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菩提寺にて

2024 APR 7 6:06:21 am by 西 牟呂雄

 ある難民一家と知り合った、というか話をしただけだが。お父さんと娘さん・息子さんの一行は佇まいがとても品が良く、最初は中東から来た観光客だと思った。というのもこの喜寿庵周辺のような田舎でも外国人を観ることは珍しくもなく、欧米人・東南アジア人と思いもよらないところで遭遇する。ほとんどが富士山観光のついで、もしくは宿が一杯なのでここまで泊りに来た観光客である。困っていそうな人には道案内をしてあげたりもして、大抵は英語ですむ。ただし技能研修性のための日本語学校まであるため、そこの生徒たちは英語は覚束ない。
 今回はいきなりそのお父さんから日本語で話しかけられた。
『西願寺はどっちですか』
 きれいな発音だった。
 お父さんは年の頃僕よりは若いのだろうが、頭髪は少し薄くなりひげは真っ白。そして何よりも顔が大きい(身長は低いのに僕よりずっと大きい)。娘さんは欧米人との混血と見まごうような彫りの深い美人で黒髪、息子さんも黒髪で目の大きな少年である。肌は浅黒く、ヨーロッパ系ではなさそうだった。
 ちょうど墓参りに行くついでがあったので、こちらですよと案内することになった。
『西願寺に御用ですか』
『いえ、この子達に枝垂桜を見せてやりたくて。有名ですから』
『そうですか。ちょうど行くところですからご案内しますよ』
 亡母の命日が近いのだ。
『ずいぶん日本語が上手ですね』
『私はもう30年日本にいますから』
 その間お子さん達は聞いたこともない言葉でポツポツ会話をしている。まったく見当もつかないので聞いてみた。
『どこから来られたのですか』
『私はトルコ人です』
『そうですか。トルコ語は初めて聞きました』
『いや、あの子達が喋っているのはアラビア語ですよ』
『へえ、トルコでもアラビア語は公用語なんですか』
『いや、公用語ではないですね』

 と話しているうちに着いて。見事な桜のドームが満開で子供さんは歓声を上げていた。それじゃあ、とお墓に行ってお線香を上げて一服。母はタバコが好きだったのでお線香と一緒に添えてやった。もう十年経った。
 戻ってくると一家はまだベンチに腰掛けて眺めていた。トルコは伝統的な親日国として知られる。それはエルトぅール号の救助のエピソードや長年死闘を続けてきたロシアに辛勝したことが遠因とされているが、今でもそうだろうか。ここは民間外交の基本として何でも感心して友好に努めようか。
『日本で何をされてますか』
『宝石の輸入をしています』
『そうか、トルコ石とかありますね。私は色々と世界を回ったのですがトルコは行ったことがありません。イスタンブールはどんなところですか』
 するとその質問には答えず、桜を見ている視線を僕の方に向けてポツリと発した。
『私は国籍をトルコにしていますが、タタル人なんです』
『えっ、タタル!日本語や中国語で韃靼人とも言われているタルタル・ソースの!』
『ハハハ。よく知ってますねそうですよ』
『司馬遼太郎の本で読みました』
『「韃靼疾風録」ですね。あれは私も読んだけど正確には私達ではなく靺鞨のことです。ジョルシン、後の満州族です。私達はその頃は突厥と呼ばれていました』
 なに、読んだ!確かにこのオッサンの言う通りなんだが、日本語でよんだのか、並々ならぬ教養に恐れ入った。これは只者じゃないぞ。
『タタールの方が日本にもいらっしゃるのですか』
『あなたの年齢ならロイ・ジェームスを知ってますね』
『あの日本語の達者な外人タレントですか』
『彼もタタルですよ。彼は私の父の友人でした。革命後ソ連を嫌って日本にやってきて白系ロシア人と言われた人達ですね』
 突然世界史が目の前に出現したような気がしてお子さん二人に目をやった。
『あっ、この子たちはタタルじゃありません。上の女の子はクルド人で下の男の子はパレスチナ人です』
 今度は国際政治を突き付けられた。
『上の子は両親をISILとの戦闘で亡くしましたし、下の子もヨルダン川西岸の騒動で孤児になりました。クルド人はどこでも弾圧されていますし、パレスチナも似たようなものです。今は戦闘が報じられていますが、あのハマスはテロリストにすぎませんし自治政府というのも腐敗の温床で統治能力はありません。二人とも身寄りがないので私が引き取って東京に連れてきました。言ってみれば難民なんです』
『そうだったんですか』
『この子達は、まあ私もですが祖国というアイデンティティはありません。・・・・桜がきれいですねぇ、日本人は幸せですよ。国内に民族対立はないし、世界のどこに行っても故郷を普段は忘れていても思い出すことができますから。こんないいことはないんですよ』
 返す言葉がなかった。逆に、我が国は世界を相手にあんなみじめな負け方をしていながらよくまあ(領土問題はあるにせよ)露骨な分断もされずに今日に至ったものだと先人の知恵に感謝した。同時に苦労をかけた沖縄にもだ。
『あのー、これからどうされるのですか』
『この子達に富士山を見せに行きます。印象に残るでしょうから。そのうちに第二のふるさとだと思えるかも知れません』
『それだったら私の車で送りましょうか』
『ありがとう。周遊券を買っていますし旅はゆっくりするものです。生きた自然を見て人を見て、神の偉大な創造を体験することが真のイスラムの知ですから』
『イスラム!』
『あっ、ご安心を。私たちはスンナの穏健派ですからね』
 そういって初めてニッコリ笑った。
 そしてアラビア語(だと思う)で子供たちに何か言って立ち上がった。
『私はラシド・ムサーといいます。神のお導きがあれば東京でお目にかかるかもしてません』
 子供たちを促すと二人ははじけるような笑顔で『サヨナラ。マタイツカ』と言った。僕もつられて『さようなら。又いつかね』と言って手を振った。
 三人は山門の所で振り返り、もう一度手を振ると歩いて行った。 
 しばらくタバコを吹かしながら桜を見上げ、あの子たちの今後の幸せを密かに祈った。本堂に向かって仏教式に合掌しながら。

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Categories:遠い光景

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