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この世の境目

2023 JUL 16 6:06:24 am by 西 牟呂雄

 先日、親族が天寿を全うした。パーキンソンを患い、最後は認知症になってしまったそうだ。これは悲しいことでその人にはもう会えないのだが、最後に会っても話はできなかったのだろう。後何年もか生きれば苦痛が続いたことは想像に難くない。そんな苦労をして生きなければならないのか、違うだろう。
 
 コロナが収まった途端に葬儀が立て続けにあった。
 一人は無宗教の家族葬。もう一人は上記の方で敬虔なクリスチャンのため教会葬である。
 僕の家は浄土真宗で、菩提寺での葬儀も法事も何度も経験しているが、葬儀はこちらも動転しているのでお経も講話も覚えていないし、法事になると退屈だもんだから住職に『短めでお願いします』などと不届きなことを頼んでいる(もう何代もやってる間柄だし)。第一お経なんか何を言ってるのかわからない。
 因みに母方は神道で、神主がお経の代わりに祝詞を唱える。そもそも葬式とは言わずに葬場祭(そうじょうさい)というお祭りだ。焼香はしないので、代わりに玉串奉奠(たまぐしほうてん)をする。大抵神主がテープで雅楽を流しながらナントカの儀という手順で進め、確か途中で照明を落とし真っ暗にした。御霊が身体から抜けるのだと聞いてそれなりにしみじみしたものだった。
 無宗教は親友だったブログ仲間の故中村順一君のときもそうで、個人の好きだった音楽を流していた。上記家族葬の時はナントカ讃歌という寮歌をかけて、OBたちは多少口ずさんでいた。

 そして教会葬は直近のことでもあり、感慨深いものだった。美しい讃美歌は知っているメロディーなので唱和できた。その後に聖書を読むのだがそれに衝撃を受けた。
だから、わたしたちは落胆しません。たとえわたしたちの「外なる人」は衰えていくとしても、わたしたちの「内なる人」は日々新たにされていきます。私たちの一時の軽い艱難は、くらべものにならないほど重みのある永遠の栄光をもたらしてくれます。わたしたちは見えるものではなく、見えないものに目を注ぎます。見えるものはすぎさりますが、見えないものは永遠に存続するからです。ーコリント人への第二の手紙4章16節から18節ー』
 僕はクリスチャンじゃないので宗教的な解釈はできない。だが、そもそも葬儀は残された者のためであり、亡くなった人を偲ぶセレモニー。悲しくもないのが義理掛けで大勢来るのはいかがなものかと思っている。
 上記、聖書からの引用は信仰者でなくとも腑に落ちる警句であり、尚且つ送る側が同じ教義を固く信ずる場合は、どんなに悲しみをやわらげ、遺族を慰めることだろう。
 まっ、そうは言っても今更洗礼を受けてどうこうするつもりもない。フト自分が死んだ後の葬儀を想像してしまったが、クセの強い我が親族と少数のタチの悪い仲間が、ガンガン酒を飲みながら私の悪口を言ってはゲラゲラ笑っている光景が浮かんできてウンザリさせられたからである。

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Categories:遠い光景

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