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小倉記 年末鹿児島編

2013 AUG 25 13:13:17 pm by 西 牟呂雄

さて、二度目の小倉の冬だが。一人暮らしの1DKは両隣もその隣も空き部屋で、帰って来るとドーーンと寒い。床・壁・天井と冷え切っていて暖房が効くのに時間がかかる。そういえば小倉でホームレスを見ないがみんな凍え死んだのじゃないだろうな。風も強いし。このアパートは単身赴任の巣みたいなところで、住んでいるのは僕のようなオヤジばかり、若い女性等は一度も見たことがない。一方で下宿みたいに賄いはついていて、朝食とか夕食の表に〇をつけておくとメシにだけはありつける。単身赴任産業が独自に進化したのだろう。

国境編で登場した例の腐れ縁がまたぞろ連絡をよこして鹿児島への旅を持ちかけてきた。あまりの寒さに逃げようと思っていたのであっさり乗ったが、内容は『石原慎太郎の作品のおかげでかの特攻隊の基地としては鹿児島の知覧ばかりが有名だが、あれは陸軍の基地だ。実際に飛び立ったのは海軍航空隊の鹿屋基地のほうが多いことはあまり知られていない。英霊の御霊に優劣・貴賤のあるはずもなく、そもそも帝国海軍は云々。』この辺で切っておかないと僕まで右翼かなにかに間違えられる。とにかくおっさん二人の旅に出た。

行ってみるとやはりというか北九州とはまるで違う、明るさが違う、空が違う。目の前が火山だ。桜島は普段は白い水蒸気を上げているが時々(1~2回/日)黒煙を噴き、これが噴火だそうだ(2013年8月に大きめの噴火があり、灰が降った)。

お定まりの観光コース、西郷先生が最後に立て籠もった城山の洞窟跡にも行ったがお土産屋で椿事が起こった。大きな写真に大勢の幕末の志士が写っていて、いちいち名前が貼ってある。それも有名処がテンコ盛で、やれ岩倉だ桂だ坂本だ、極めつけが写真が無いと言われている西郷隆盛!これはツウの間では有名なフルベッキ写真と言われているもので、真ん中にいる貴公子が後の明治天皇という俗説もあるいわく付きのニセモノ。この説はその人物が南朝の正当後継者で、後に本物の明治天皇とすり替わったとするトンデモ話だ。以前、鑑定団に持ち込んだ人もいて、一発アウトになったこともある。

「お客様、お客様」

突然呼ばれてギョッとして振り返ると、店の主と思しき婆さんが立っている。

「これが唯一と言われている正真正銘の西郷先生のお写真です、お客様。」

それから、西郷の肖像画はキョッソーネが弟の顔をモデルにして想像で画いた(これも有名な話だが)だの、色んな似顔絵の綴りを見せて、その一枚のオヤジの絵と件の西郷先生の写真は耳の形が同じだと警視庁の鑑識が太鼓判を押した、だのと続き終わらない。目は完全にイッってる。挙げ句の果てに、

「そのことが全部この本に書いてあります、お客様(とヒラ積みの本を渡す)。そこの洞窟、実はズーッとドコソコまでつながっていてそれは(息を吸い込んで)ウチしか知らないんです!お客様!」

あまりの剣幕に真っ当な反論でもしたら婆さんが怒りのあまり脳卒中でも起こすような恐怖感にかられまず僕が、次に日本史音痴の腐れ縁が、同じ本を買ってしまった。しかし後で読んでみてもそんなこととは何の関係もない田原坂の戦闘の話だった。「お前が騙されたからだ。」「お前は半分信じてた。」と罵り合ったのは言うまでも無い。こういうのは『お客様サギ』とでも言うのだろうか。観光される方は気を付けられたい。

更に驚いた事が起こった。島津家の磯庭園に行ってみたところ、入り口に見事な具足がしつらえてあり人だかりがしていた。僕はその人の輪の真ん中までシャシャリ出て行って見ると、それは島津ナントカの鎧甲だと〇に+の島津紋のジャンパーを着たオジサンが解説していた。暫くその人と「しかしこれは本物ですか。」「いいえレプリカで本物は宝物殿にあります。」などと話しているところに腐れ縁がいきなり割って入った。何事かとビックリしていると「〇川じゃないか。」「何だ、×村。」と旧交を温めるではないか。何と腐れ縁の元職場の同期入社だそうだ。それでは僕とも(会社は違うが)同じだからとたちまち意気投合した。その人は華麗な転進を遂げ、ご夫婦で鹿児島に移住、縁あって島津興業で悠然と余生を過ごしているのだそうだ。その後散々タダで色々案内してもらったが、腐れ縁の顔に「ウラヤマシイ」と書いてあった(無論僕の顔にもだろうが)。

その日は指宿まで行って砂湯というのに心地良く埋まってみた。ここも明るい。それも光だけの話ではなくて、空気が、だ。埋まりながら考えたのだが、何というか開放的なのだ。思うに、日本の端っこというつもりで旅に来ているが、来てみるとむしろここから先の海原の向こうに世界が開けている、といった気風を感じるのだ。南への海路。そういえば江戸時代は沖縄を虐めたり密貿易を盛んにやり、その前は南蛮貿易でうまいことやり、坊津(ボウノツ)からは倭寇をさんざん繰り出した。この坊津は遙か昔の遣唐使が船出したところでもある。むしろ、端っこではなく先端だと考えていたフシがある。

しかし、その先端の意味するとおり、前大戦では沖縄戦時点の最前線となってしまった訳で、知覧・鹿屋は特攻基地になってしまった。知覧の展示はさすがに堪える。この青年達の三倍も無駄な人生を過ごしたのは慚愧の念に耐えない。良く見ると死後階級が不揃いで、即ち体当たりに成功した者は二階級特進し、撃ち落とされてしまった者は一階級しか上がっていないのだ。僕はこのあたりが相当頭に来た。鹿屋に廻った時点では腐れ縁の興奮は頂点に達し、二人とも無口になった。およそ凡百の感想は記すべきではなく、しかし一度は思想信条に係わらず訪れるべきだろう。その後、熱心な反戦運動家になろうが極端な右翼になろうが、僕の知ったこっちゃない。航空ファンには一言。鹿屋の展示(実は海上自衛隊の現役基地でもある)にはかの名機と言われた二式大艇があった。

ジングルベルの鳴るころに小倉に帰ってきた途端、雪が降った。年末は決め事が多い。単身赴任の記述のくせにに仕事の内容が無いが、何も旅ばかりしている訳じゃないことは言うまでもない。
 

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