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小倉記 秋・古代編

2013 AUG 21 14:14:59 pm by 西 牟呂雄

 夏中瀕死の状態で日陰で昼寝ばかりしていた工場犬チビが、朝夕ノタノタ歩いている(2012年9月時点)。台風が来るのだ。

 その台風の中、人も出そうにないころを見計らって宗像大社にお参りに行った。今度は神宮ではないが大社だ!ここは天照大神と素戔嗚尊がケンカをした際に、天照大神の息、多分弟の暴れ振りにうんざりしたため息、から生まれた三人の娘さんが島伝いに祀られていて、上から沖の島、次が大島、末の妹が当社と遠い順になっている。これを結ぶと半島から一直線になることから半島南下論者には恰好のネタとなっているらしい。人文の古さはさすがだが、しかしどうであろう。実際に社から少し先の海を見ていると水平線の向こうからやってくるという実感よりも、もっと広々とした感慨にとらわれるのが自然だ。その沖の島は今でも立ち入り禁止で国宝級の勾玉がザクザク出ているそうだし、北九州の豊かな営みは連綿と続いていたに違いない。冒険心豊かな人間が行ったり来たりくらいが妥当なところだ。先日対馬で国境を見た者としては南下論はピンと来ない。言うところの騎馬民族征服説にしても、古代の船に馬をワンサカ乗せて遠征することは可能だったか。歴史上の騎馬民族の侵攻は刀尹の乱(女真、満州族の侵攻)と元寇だが、馬まで連れてはきていないようだし、そもそも根っからの騎馬民族であれば、いつ溺れるかも知れない海に漕ぎだそうと思うだろうか。ついでに言えば源義経が平泉で騎兵戦法を覚えたとされるが、侵攻してきた騎馬民族の文化(戦法)が九州にも都にも痕跡を残さず東国にのみ残ったと言えば無理があろう。やはり固有の文化としか思えない。

 閑話休題、台風の参拝というのも味があるというか、広い駐車場にチョコッと車が駐まっていて人なんかいない。ザーザー雨の降る中、鬱蒼とした森を行くと夜並みに暗い。そして小高い丘の上にたどりつくと祭壇のようなものがあり、立入禁止になっている。建物も何も無い。その場所が神様が降臨した、と解説にあり例大祭の写真には信者がその祭壇に向かって地べたに這いつくばっていた。我々の祖先は皆こうしていたのか、何となく覚えのあるようなデ・ジャ・ヴ感があり、こういうのを民族の記憶とでもいうのか、・・それとも年なのか。

 お参りした後に立て続けに台風がきて涼しくなった。九月の末が旧暦八月十五日なので、工場前の干潟にはポロロッカでも起こらないかと期待したがさすがに何もなかった。秋空がまぶしい。宗像大社で俄考古学者になったつもりの僕は吉野ヶ里遺跡にも行った。発見当初まるで邪馬台国が発掘されたような触れ込みだったが、行ってみればとても邪馬台国という感じではない。かなり深い環濠があって、水争いとか米の分捕り合いがあったことは確かだが、その環濠掘削の規模と発掘されたまま保存されている甕棺から推定される収容人員は一体何人だろうか。勉強不足だがまず百人程度のクニではなかろうか。役についている常駐兵力で、だ。この程度で守れた集落を大きいと見るか、この程度だから(僕は与しないが)騎馬民族に踏みつぶされたのか。当時の人口推計を試みてみたいが。

 ところできれいに整地された集落跡でふと考えたが、この時代の子供ははたして遊んだだろうか。学校も勉強も何もない上に、寿命だって30~40才程度だから15の年にはもう親になるのが当たり前で、長老だって今の僕より遙かに若い。物心ついたら兵役・農作業。この小さい世界で短い一生を終えるのに麗しい青春なんぞとは無縁な暮らしだったろう。もっとも僕自身は子供時代は怒られてばかりで、15のミギリにはチンピラ稼業に精を出しロクな思い出も無いんだが、それはさておき。豊かな文化的成熟とは子供が楽しく遊べる、という仮説はどうだろう。SMCの津坂氏のコラムに国別・年齢別の幸せ満足度があったが、どなたか国別・時代別の『子供ヒマ充足度』を計算していただけないか。僕のパラメーターを使えば引きこもり、ニートは『子供ヒマ充足度』100%になってしまい、現代日本のワカモノは十分幸せになってマズいのだ。一方いい年になってもアホなことに夢中になっている『オトナ非成熟度』というのも社会の豊かさに相関が認められ・・・・ん?ただ、足を引っ張っているだけにすぎないか。

 秋が深まるに連れて小倉の街が騒がしくなった。暴対法の引き締めにより「暴力団お断り」のステッカーを貼っている店に何人も犠牲者が出て、しかも一人も捕まらない。ついには今住み着いているアパートの側でも犠牲者が出た。ガサ入れをすればバズーカは出る手榴弾は出る、ここは日本のパレスチナか。福岡県警は他にも久留米と大牟田の抗争も抱えて手に負えなくなり、『岡山県警』とか『鹿児島県警』の応援が三人一組で盛り場をパトロールしている。ところがそのお陰で単なる酔っ払いにとっては普段は多少やばいエリアまで安全なことこの上ない。そのせいか飲みに行けばどこでもガンガンやっていて報道とはちがっているんだな、これが。「繁華街の客も不安を隠しきれない」という記事を書いた新聞記者は一体店の中まで取材したのか!まぁ、さすがの僕も東京にいた時のように路上で寝てしまうとか、ケンカ沙汰に巻き込まれないように気は使うんだが・・・・、年だし。

 ある朝、工場裏の川を覗いてみると、去年ここに流れ着いた時にいた水鳥の編隊がまた来ていることに気付いた。何という名前か知らないが汚い声で鳴いてエサを漁っていた。これから来る冬を過ごす準備か。営巣して雛を育てるのだろう。他に白い大型の渡り鳥も飛来して干潟がすっかり賑やかになった。賑やかというのも、もともとカラスがワンサカいてこいつ等はなかなか獰猛なのだ。引き潮の際にボヤボヤしていて洲に取り残された結構な大きさの魚がつつき殺されるのを見たが、あれが魚だからよかったもののそれこそ雛だったりしたら恐ろしい光景だったろう。別にカラスが悪い訳じゃないが、嫌われるように振る舞わざるを得ない性が悲しい。おまけに天敵がいないせいで増えすぎ、農作物に被害を出したとかで『駆除』、即ち撃ち殺される。人間にも良く居るではないか、居るだけで人に嫌われたりする奴が。オット自分のことだったりして。

 小倉も冬が近いのか、我等が工場犬チビは復活し、半年ぶりに走って見せた。犬が走るのは当たり前だがそこは人間だったら百才越えのチビである。まさか転びはしないだろうが、ノタノタながら前足を精一杯伸しての激走だ。まぁ10メートル位ではあるが。体操をしていた社員が微笑む。最近ついに頭を撫でることに成功した。それももうすぐ流れ着いてから1年という時間が過ぎたということか。単身赴任で元々軽薄な人格が少しは重厚になったかといえば、そんなことは全くない。景気は悪い。

        (本文は2012年の党首討論で解散が決まる前の時点です。)

 

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