ソトーバ
2026 MAY 1 21:21:46 pm by 西 牟呂雄
中国は浙江省の省都である杭州(ハンゾウ)で工場を運営していたことがある。大運河の終点に当たる街で、あまり知られていないが下関条約により日本租界があった。西湖(シーフー)という美しい湖のほとりに古くからあるというレストランでおいしい豚の角煮を食べた。現地の人間が『ここ発祥の料理だ』と自慢したがトンポーロゥのことだった。
その中国人は日本語が達者でその料理の由来を説明してくれた。
「有名な詩人のソトーバがここに左遷されたときに考案した料理ですよ」
その時はうっかり聞き流し、ソトーバ(卒塔婆)?お墓にあるアレか、ずいぶん縁起の悪い名前の詩人だが知らんな、と。
後で気が付いてギョッとした。蘇東坡(ス・トンポー)じゃないか?
宋の時代の文人、蘇軾(そしょく)のことで、書画を良くし禅にも通じた大文化人である。
若くして科挙の試験に合格し進士となり、その時弟の蘇轍も同時に合格したという秀才兄弟だった。
彼が生きた宋の国は、ザッと考えても前後の王朝よりパッとしない感じで、絶えず北方から押されまくり内部もゴタゴタし続けていた。首都も開封から現在の杭州まで押され、モンゴルに止めを刺されて終わる。
そのモンゴルが北に帰った後は極貧・流民から身を起こし側近を粛正しまくった朱元璋が明の洪武帝となっていく。
話は戻って、そういうゴタゴタの中にいると内圧がかえって高まるのか、科挙の制度などはこの宋代に完成し、かの朱子(しゅし)が儒教の体系を朱子学として完成させる。つまり文化の華は咲き誇ったことになるのだ。朱子学はその後宋学として我が国に伝わり流行った。
進士となった蘇東坡はなかなか頑固だったようで生涯で2回左遷されている。二度目の左遷が後に南宋の首都になる前の杭州だった。そこで上記西湖の水利工事に携わり完成を喜んだ現地の人々から豚肉・紹興酒を献上されると、それを煮込んだ料理を振る舞った。その美味なることをたたえて「東坡肉(トンポーロゥ)」と名付けたと言われている。
蘇東坡と言えばこれだ。
春宵(しゅんしょう)一刻値千金
花に清香(せいこう)有り月に陰有り
歌管(かかん)の楼台 声寂寂(せきせき)
鞦韆院落(しゅうせんいんらく) 夜沈沈(しんしん)
この詩を読むたびに、ドンチャン騒ぎが終わった後のライトアップされた桜の美しいシルエットが目に浮かぶ。『寂寂(せきせき)』と『沈沈(しんしん)』の韻が効いている。
比較文学者デイヴィッド・ダムロッシュは、文学は翻訳を通して豊かになりうると述べたが、漢文を訓読で読み下すという優れた味わい方を編み出した日本の先人は、実に感性豊かだったと思う。今や維新の参議院議員になった石平氏は、漢詩は日本語の読み下しの方が味わいが出る、と言っていた。
そこで思ったのだが、同じ漢字文化圏だった朝鮮・ベトナムではどう読んでいたのだろうか。ベトナムの方は語感が想像できるが(中国語のようにコンコンと言った感じ)、日本語のようにテニオハのある朝鮮語はどうだったのか。詳しい人、教えてください、返り点とか付けてたりして。
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