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元二の安西に使いするを送る

2015 JUL 12 22:22:04 pm by 西 牟呂雄

渭城の朝雨軽塵を浥す
客舎青青柳色新たなり
君に勧む更に尽くせ一杯の酒
西のかた陽関を出づれば故人無からん

 王維の詩情あふれる名作である。玄宗皇帝の時代、抜群の秀才であり尚且つ容姿端麗、琵琶の名手、天才詩人にして南画の走り、と想像もつかないスーパースターなのだ。漢文の教科書に必ずあるでしょう。

あおい柳 

あおい柳  

 『客舎青青柳色新たなり』この原語読みを知らないのだが、色彩の鮮やかさはどうだ(もっとも私は色覚異常だが)。友を送るに柳の枝を輪にして送る習慣があったと言うが、この朝の柳は青々としていたことだろう。
 渭城は秦の始皇帝が阿房宮(あぼうきゅう)をこしらえた咸陽のこと。陽関は玉門関とともにシルクロードの関所。安西は現在の新疆ウイグル自治区庫車(クチャ)だ。これらを地図で眺めると当時の距離感では気が遠くなる程の所まで”使い”に行かされるのである。

 ところで王維が仕えた玄宗皇帝は楊貴妃に狂ってからおかしくなるが、それまでは恐ろしくスケールの大きい皇帝の中の皇帝だった。余談だが『望めば眼前に大海を掘らせ鯨を泳がせるも可』という小説を書いて失敗したことがある。海で泳ぐ鯨が見たくなってある官僚に命じたところ、8年かけて水平線が見えるほどの池を掘り、延々と海水を運ばせる為に運河までつくったが、出来上がったときには楊貴妃に夢中でそんな命令を忘れていた、という内容だった。とても僕の手に負えるテーマではないことが分かってやめた(50枚程書いて気が付いた)。
 初めのころ真面目にやっていて「開元の治」は唐帝国の絶頂、文化の華が開く。
 個人的には『さぞ物凄い賄賂を色んな奴が懐に入れただろう。』と思ってしまう。
 因みに皇帝一族の李氏は鮮卑系と言われている。そういう意味で全国制覇した純粋に漢族の王朝と特定できるのは、漢・宋・明だけだという記述があった。
 詩聖杜甫や、その杜甫をして「李白一斗 詩百篇」と言わせしめた泥酔詩仙、李白と絢爛豪華な詩人がおり、阿倍仲麻呂も長安にいた。

こんな 顔

こんな 顔

 王維は弟の王縉とともに長安で行われる科挙の予備試験をトップでパスし、皇帝の一族とも親しく交わる。デキは杜甫・李白より遥かに上だ。しかし例によって讒言されたり嫉妬を浴びたりで左遷も経験することとなる。きっと頑固な所もあったに違いない。
 そうこうする内に安史の乱に巻き込まれる。
 安禄山、父親はイラン系で母親は突厥人というシルクロードの申し子。体重200kgでもクルクル独楽のように踊れたといい、この人はこれで魅力的な人物ではある。
 王維は都から逃げ出した玄宗の後を追ったが追いつけず、隠れていたところを囚われ、安禄山にコキ使われる。恐ろしくいやな思いをしたに違いない。この辺は秀才官僚の習いで仕方なかろう。

 その後はあまりの安禄山のメチャクチャぶりに唐が盛り返した後復活する。この時安禄山にペコペコしたことを咎められ危なかったが、弟の王縉が必死に執り成してセーフ。

 臨終にあたっては、弟・友達に別離の手紙を書いている最中に絶命したのだとか。カッコ良くはあるが詩人の最後にしては、まっ普通の死に方ですね。秀才で真面目な人だったのだろう。詩も素直な感じだ。

南朝四百八十寺

六十而耳順

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Categories:古典

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