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僕の駆け出しヒラ時代

2014 JUN 26 12:12:23 pm by 西 牟呂雄

 僕は25歳で地方から東京に転勤して来た。現場は全国に散らばっており、品種は多岐に渡る。それぞれいろいろな工程を経て製造され、納期に特徴もある。そういった製品群の厖大な注文を、どこで、いつまでに、どれくらい生産するのかを一元的に管理する部署に配属されたのだ。先輩達は折り紙付きの優秀な精鋭ばかりで、上司は一選抜中の一選抜の怪物。着任した途端に圧倒された。当時はパワハラとか残業規制といった概念そのものが全く無く「時間がかかるのはお前が無能だからだ。」と言わんばかりの迫力で、しかも不思議なことに鬱病になった者など過去一人も出ていない驚くべき職場だった。特に四半期計画策定の時は、ほぼ全員が休日に出勤してきて更に徹夜することが常態化していた。
 ある日曜日!サボっていて月曜の会議資料が何も出来ていなかったので焦って朝から出勤した。着いてみるとある先輩がすでに来ていて、ガンガン仕事をしていた。その日はなぜかその先輩と僕だけだったのだが、口も利かずに一日中働いて夕方帰ろうとすると「オレも帰るから一緒に出よう」と言われた。そして会社を出た時の一言に気が遠くなりそうになった。
「うむ、三日振りに吸う外の空気はうまい」

 そのうちに解ってきたのだがこの職場、他部門からは社内三大タコ部屋と言われていた。会議なんかでは独特の用語とともに、考え方がどうだったかが非常に重要視されていて、議論ともなると極めて神学的な論争になる。ペイペイの納得感やら達成感なんかはどうでも良く、ただひたすらに忙殺された。
 更にまずいことに、タダでさえクソ忙しい上に全員が酒とバクチが大好きだったのだ。あんなにコキ使われていて時間が無かったはずなのに、どういうわけかメチャクチャに酒を飲んで酔っ払い、麻雀に入れ込んでいた。この結果ロクに恋もできずに、尚且つ経済的にも困窮し、大幅に結婚が遅れた。大きな声では言えないが、先輩幹部が先頭になって煽るものだから、ヒラが調子付くのも無理はない。
 暫くして後輩達が何人か配属されてくると、その”悪い”傾向に拍車がかかり、給料日のたびに大金が動いていた。ツケの払いと麻雀の負けを払うからだ。今から考えるとこの光景は実に『昭和』であって、今日の若いサラリーマンはぜんぜん違うだろう。本人も好んでやっていた訳でもなく、ああせざるを得なかったように思う。更にここだけの話だが、当時は組合員だったので本部から無利子の融資があったのだ、まぁ×十万円が上限だが。僕の仲間は全員上限一杯借りていた。。
 ある景気の悪かった時に残業規制が始まった。規制もクソも元々忙しすぎるのに麻痺していたから全員『それがどうした』状態だったのだが、問題は公平感。職場単位に割り当てられた残業時間を誰がどう取るのか。頭割りにする案は何故か却下され(会議までやった)紛糾した挙句に上司が下した結論は『麻雀の負けに準じて時間配分する』だった。驚くべきことだが、この非合理な提案に全員が心の底から『何という素晴らしい案だ』と賛成してしまった。忙しさと負けの恐怖感で正常な判断ができなかったのだ。
 その頃始めたゴルフはもっと強烈だ。右だ左だバンカーだパットだと様々なモノに金がかかっていて、18番ホールのグリーン上でのスリー・パットは高額になる始末。そして中にはスコアは120くらいのくせに確実に稼ぐ奇っ怪なプレイヤーがいて、とてもスポーツとは思えなかった。

 しかしそんな暮らしの中でもちゃんとエリートは育っていて、今でも付き合いがある先輩・同期・後輩。ある人は忙しい中にも拘わらず女にモテまくり、得意の英語を駆使しつつ、ガンガン仕事をしていた。そう言えばこの人は確か麻雀はやらなかった。こういう人を見てしまうと、僕程度の能力では余計なことは考えず能率とスピードだけに興味を集中させればそれなりにやって行けると悟った。
 かくして生活は荒れ放題に荒れ、遅くまで会社でドタバタしてから深夜の六本木で暴れ回り新宿のサウナで目覚めてから出勤するようなことまであった。しばしば一体何の為に働いているのか夜中に自問したが、答えが出たためしがない。それどころか盛者必衰の理を表すの伝え通り、メチャクチャ暮らしにピリオドを打つ時が刻々と迫っていたのだ。

 ある週末に二日酔いで水を飲んでも戻してしまい、激痛にのた打ち回っていた。これは酷い胃痙攣だろうと思ってジッと耐えていたのだが、週明けに病院送りにされた。急性すい臓炎!
 医者があきれかえって言う。
「まだ若いと言ったって、これでよく胃と肝臓が持ちこたえたもんですな。」
中年のアル中がたまになる病気だった。20代の発症例が極めて少ないそうで、毎日のように教授が学生・インターンを連れて回診に来て、どうしたらこんなに酷いことになるのかを解説していた。それは飲み過ぎなのだが。ベットの上で鼻から胃までチューヴを入れられ胃液を汲み上げられる人間サイフォン状態になって、これからどうしようか野菜造りでも仕事にするか、等と考えて落ち込んでいたら、見舞いに上司が来てくれた。僕は『こんなになるまでコキ使って済まなかった。』程度のことを言われたらどんな顔をしたらいいのか思いを巡らせたのだが・・・・。
「ワシ等が20年以上毎日飲んでも何とも無いのにだらしの無い奴だ。サッサと直して早く出て来い!お前がいないと退屈でしょうがない。じゃこれから飲みに行くから」
 これだけだった。
 普通はこの手の話は後に『あのときの試練があったから・・・。』と続く成功譚になるはずだが、僕の場合何にもならなかった。再発率の高さにビビッテいたのだが、元々の発症率が大変低く、退院してしばらくして又飲み出したからだ。バカは死ななきゃ直らない。

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