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第一次世界大戦を考える オマケ 

2015 FEB 1 13:13:33 pm by 西 牟呂雄

 オスマン帝国が参戦しなかったらどうだったのだろう。中東の強国だったトルコも大戦に負けてすっかりいけない。ここである仮説を考えたのだが、例えばスペインのフランコ将軍のように大戦が始まっても宣戦布告せずに知らん顔を決め込むことをしたらどうだったのだろうか。無論歴史にIFはないのだが、本テーマである100年前の教訓をどう今日の日本に生かすか、という意味である。

 オスマン帝国はクリミア戦争に巻き込まれたあたりからケチがついた。なにしろ首都の直ぐ近くでドンパチやられたので堪らない。この戦争は最後どっちが勝ったのか良く分からないのだが、産業革命を経験した英・仏にトルコが『舐められた』形跡がある。続いて露土戦争で大負けして益々ヤバくなる。その後必死に改革をするのだが、どうも国家というものはある分岐点を越えると激しい内戦でもやって生まれ変われないとダメになる『タイミング』があるようだ。それは周りの国との比較優位の差が限界を超えるポイントがあると考えられる。青年トルコ革命による立憲化までやり大戦前年にクーデターまでやったのだが、いかんせん少し遅かったか。もう少し早ければ国力を蓄えられたかもしれない。又、地理的にヨーロッパに近く大国ロシアも控えている。『スラヴ民族の救済』これ、プーチン大統領が言ったのではなく1800年代末のスローガンだ。今のウクライナで親露派が言っていることと同じだ。そしてクリミア半島。100年前まで居住していたタタール系はその後の強制移住で今や少数だ。

 さてあっという間に世界中を巻き込んだ戦争の当初、トルコは親獨的中立だった。しかしドイツにそそのかされたのか露土戦争のお返しなのか、10月末にクリミアを砲撃する。将に火蓋を切った感じだ。それから1915年内まで押しつ押されつで膠着しながら、ダーダネル海峡・ガリポリの戦いと良く踏み止まる。
 筆者の考えではせめてこのあたりで単独講和するべきだった。しかしこの後、映画にもなったアラビアのロレンスの大活躍が始まる。狡猾な英国の侵略なのだが。
 オックスフォード大学を出たロレンスは中東で考古学調査をしていたところを、かの地の軍用地図の作成のため英陸軍にスカウトされる。それが現ヨルダン王家に繋がるハーシム家の知遇を得て、いつのまにか反オスマン帝国の現地アラブ人の親玉になり、鉄道爆破や奇襲攻撃で中東の秩序をズタズタにしていく。いや、連合国から言えば帝国の足をすくうのだ。
 これがヨーロッパ史観になると、オスマン帝国の圧制から解放するためにゲリラ活動をしたことになり、今ではその役割をアメリカがやっていることになる。アメリカっぽく専ら空爆だが、イラクの時もスタート時に猛烈に爆撃した後地上軍による制圧だった。
 ロレンス本人の意思は、もしかすれば本当にアラブ人の解放を願っての命がけの活動だったやもしれないが、戦後の英国の悪意すら感じる分割・統治を見れば、国家としての手前勝手を感じざるを得ない。
 かくしてオスマン帝国数百年の平和(そりゃ色々あったでしょうが)は雲散霧消してしまう。

 歴史は繰り返しちゃいかん、より洗練されなければ。それにしてもISISだけは頂けないが。

 それで初めから宣戦布告もしないでオーストリアも見捨て知らん振りを決め込んでいたらどうなったかと言えば、結果はあまり変わらなかったのではないかと考えざるを得ない。
 1918年段階で休戦協定を結んでいたが、2年後のセーヴル条約によって分割され広大な支配地は失われた。やはりヨーロッパ列強の世界分割の風に抗し切れなかった。それでもギリシャに組み込まれた領土を巡って戦争を仕掛ける根性を見せ、革命政権による1923年のローザンヌ条約で現在の国境が決まる。
 そしてトルコ以南の政治的不安定要素は100年後の今日に至るのである。大戦時の同盟を仮に袖にしていた場合でも後の激動の100年に耐えるだけの体力はなかったろう。インペリアリズムとは支配エリアの警備に莫大な金がかかりそのコストに耐えられなくなるとガタが来る。ローマ・オスマン・大英帝国・ソヴィエトが今日時点で往時の姿を留めていない所以である。
 するとそろそろ大国間関係等と言い出だしたアノ国も・・・・。

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Categories:国境

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