沖の小島に波のよる見ゆ
2015 MAY 11 23:23:34 pm by 西 牟呂雄
言わずと知れた鎌倉3代将軍 源実朝の名作です。
『箱根路をわが越えくれば伊豆の海や沖の小島に波の寄るみゆ』
この歌を解釈した文献を読んだが、色々考えなくてもこのリズム感が素晴らしい。「わが」「みゆ」のノリの良さはどうでしょう。
箱根権現に詣でたときのものとされていて、ここに出てくる小島は一般的には熱海沖の初島を指すものと考えられているようです。
しかし、海岸付近から初島を見ると島は海に浮いているように見えてとても『波の寄るみゆ』にはなりません。又、箱根から鎌倉に抜けるのは小田原に出ますが小田原からは初島は見えないのです。
『おほ海の磯もとゞろによする波われてくだけてさけて散るかも』
ダイナミックですね。こちらは「おほ」と「とどろに」がすごい。僕はこの歌も大好きです。このノリはロックンロール。現に阿木燿子作詞、宇崎竜童作曲ダウンタウン・ブギウギ・バンド『アイム・ジャスト・ア・フーチークーチー・マン』の歌詞なんかに「裂けて砕けて、散っていくのが、バカなオイラにゃお似合いさ」などとパクられています。Hoochie Coochieって猥雑な意味なんですけどね。ちなみに宇崎竜童はこの手をよく使っていて、キャロルの「ファンキィ・モンキィ・ベイビー」が流行った後こっそり「ヤンキィ・モンキィ・ベイビー」なんて曲をアルバムに滑り込ませたり。
話を戻して、鎌倉・葉山・逗子のあたりでこんな光景が見える磯はありませんね。あの辺は余程の荒天でなければこの歌のような波は立ちません。稲村ケ崎も結構遠浅ですから、多少波が高くても『われてくだけて』にはならないのです。
実朝は藤原定家から万葉集の写しをもらい狂喜したとされます。確か12歳で征夷大将軍になったのですが、鎌倉幕府の体制が定まっておらず生涯ナントカ合戦やカントカの乱に苦しめられ、最後は暗殺されてしまう悲劇の人です。詩心があった青年は万葉集を熟読して心を慰め、また楽しんだことでしょう。
で、ここから私の仮説ですが。実朝は実際には『波のよるみゆ』や『われてくだけて』の光景を見たのではなく、想像で詠ったのではないでしょうか。
本歌取りはいくらでもありますし、別にこれらの歌の芸術性が損なわれるわけではありません。それどころか想像によってこれだけのダイナミックな歌を紡げるところが天才たる所以ではないか、そしてきっと海が大好きだったでしょう。
私は見たまま
南風 相模の海の 色あわし
未だ ま白き 富士はさびしき
連休の時は靄ってしまうことが多いのですが、たまにうっすらと富士が見えます。この時期富士山はまだ頂上部分が冠雪してきれいです。
海原の 波の飛沫を 跳ね上げて
若き イルカ等 十ノットで行く
我が愛艇はいい風を拾っても7~8ノットが精一杯。実際には年寄りのイルカも混じっていたかも知れませんが、しばらく面白がって船と伴走していたのが飽きたのでしょう、群れが一斉に抜き去っていきました。
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