ヒョッコリ先生 さようなら
2024 JUL 20 1:01:36 am by 西 牟呂雄
あっ、レイモンド君だ。久しぶりに見ると(1年振りかな)さすがに大きくなって一人で歩いていた。この子英国帰りだよな。よし、試してやるか。
『グッド・アフタヌーン』
『ヨーライ』
ん?なにそれ、英語?
『レイモンド君だよね』
『アーイ』
わかった。この子コクニィを喋ってるんだ。ヨーライとは you alight だな。
『ハウ・オールド・アー・ユー』
『ヨンサイデス』
ふうむ。何とかコミュニケートできる。日本語も前より喋れる立派なバイ・リンガルになりつつあるようだ。
『トゥダーイ・グランパ?(まてよ、ひいおじいちゃんか)』
『オッ、オージー・サマップ・・・ネンネ』
ん?オーストラリア人がどうした?するとお母さんが走ってきて大声を上げて呼んだ。
『勝手に走って行っちゃダメって言ったでしょ!』
お母さんは喪服をお召しだった。
『すみません、いう事聞かなくて』
『いえいえ、大きくなりましたね。帰国されたんですか』
『ええ。急な話で。この子のひいおじいさんが先日亡くなりまして取り急ぎ帰ってきました』
『えっ、先生が?』
『はい。お陰様で大往生でした』
『それはそれは御愁傷様です』
『これから〇〇寺で葬儀なんです』
呆然とした。あのヒョッコリ先生が逝ったとは。そうか、ご葬儀が〇〇寺なら近所だな。曇って小雨が気持ちよい。
昼メシを食べてブラブラと散歩がてら〇〇寺まで、先生との会話を思い出しながら行ってみた。するとずいぶん大勢の人が見送りに来たようで、本堂に収まりきらなくて境内にたくさんの黒い人だかりができていた。ふうん、人気のあった人だったのだな。
そしてちょうど焼香が終わったところで、喪主さんの挨拶が始まるところだった。初めて見かける顔た。レイモンド君のお爺さんで僕と同じくらいの年だろう、普段は東京にいてこちらに来ることは滅多にないらしい。
本日はお足元の悪い中、またお忙しいところ近しい皆様にご焼香していただいて父も満足したことと思います。故人になり替わりまして御礼申し上げます。
本日お見えの皆様には改めて父の事蹟たどる必要は無いものと思います。
晩年の父が大変に好んだ肩書が三つございました。
一つは『海軍兵学校76期会代表幹事』。この76期という年次は、入校時点にはすでに戦局が悪化し、サイパンは落ちておりました。そのため苛烈な教育を受け、2号生徒で敗戦を迎えました。兵学校は江田島です。従って直前の広島のキノコ雲を同期全員が目撃した年次です。そこでの体験はその後の父の人生に多大な影響を与えたのは想像に難くありません。思想的には海軍ふうの中道リベラル、息子の私が右ッパネですので「お前は少し危ない」と窘めることがしばしばありました。また、最期が近くなると悟って「ワシは海軍葬で送られたい」と言い出しました。まさか民間の我々が軍葬をやるわけにもいかず、本日皆様が若干の違和感を感じられる棺の軍艦旗や流された音楽は、せめて故人の意向に添ってやりたいという私達の思いとご承知ください。
二つ目は、長年奉職しました東京●●株式会社が功績のあったOBに与える『社友』です。戦後、荒廃した祖国の復興の一助にと入社したと聞いております。時期は高度経済成長の真っただ中で、需要家はどんどん増加し、インフラが次々と立ち上がる中、大変忙しくしていたことを覚えております。そんな中、先代を早く失くして若干30歳にして当主となったため、未亡人となった祖母並びに兄弟、そして我々家族を支えました。
三つめは、中央での仕事をあらかた片づけて活動の拠点をこちらに移した際、丁度地元の公立北富士総合大学の法人化を進めるため理事長を引き受け、その功績に対し与えられた『名誉市民』です。兄弟の中で最も地元に貢献したのはワシだ、と自慢しておりました。面白いもので、地方出身の学生さんを月に一度自宅に招き、夏はバーベキュー、冬はお鍋を囲んで話を楽しんでおりました。
さて、様々な御厚情を賜った中で父の人生に彩を添えたのは、こよなく愛した『酒』でありましょう。皆様お一人お一人にも故人と酌み交わした思い出をお持ちと思います。ひたすら楽しい酒との付き合いでした。今頃は先に送った弟達と車座になってニコニコしながら飲んでいるのではないかと慰めております。
最後に体力が衰えてベッドから降りられなくなり食事も喉を通らなくなったのですが、目が覚めると「喉が渇いた。ビール持ってこい」と言い、2缶位を「うまい」と飲み干しました。お医者様もさばけていて、もはや投薬の必要もないから飲みたいものを飲んでよい、とのことでしたが、まさかそれから10日余りも生きるとは思ってもいなかったようで驚いていました。最期は苦しみも痛みもなく、次第に息が細くなって天寿を全うした次第です。
概して明るく豪快に見えた父でしたが、ことに当たっては緻密に考えをめぐらし、丁寧に物事を運ぶ人でありました。
父は30台で当主となりましたが、跡継ぎの私は古希であります。この歳にして大きな柱を失ってオロオロするのは誠に情けない限りですが、まさに路頭に迷うような思いです。本日ご列席の皆様には、残された我々に故人の生前と変わらぬご厚情賜りますようひたすらお願い申し上げてワタクシの挨拶と致します。本日はありがとうございました。
そうか、もうヒョッコリ先生には会えないのか。ずいぶん立派な人だったんだ、知らなかった。
レイモンド君は本堂の奥でお母さんの膝の上にチョコンと座っているのが見えた。
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Categories:和の心 喜寿庵




