潮もかなひぬ今は漕ぎ出でな
2015 MAY 14 19:19:00 pm by 西 牟呂雄

古代史のヒロイン額田王(ぬかだのおおきみ)の力強い歌である。
『熟田津(にきたつ)に船(ふな)乗りせむと月待てば潮もかなひぬ今は漕ぎ出でな』
一条の光に導かれ
友よ力込めたまえ
まだ波静けくあるうちに
我が目指すところ
遥かなる 海原の
風まだ猛くならぬうち
友よ さあ 力込め
櫂しならせて漕げ
外海で 帆をはらむまで
夜間帆走というのは荒天で灯台も見えないような外洋の場合、大変に難しい。風とコンパスだけで心細い航海が続く。しかし月も星も見えないで何時間も舵を取っていると必ず恐怖感が麻痺してしまい、返って緊張感がなくなる方がヤバいそうである。4人で太平洋を横断した人が言っていた。外洋の懐の深さ、大きさ、そしてその恐さを語って余りある。その人達は33日でサンフランシスコに入港したが、日本を出た途端に低気圧を喰らって帰港しようかと随分悩んだそうである。
もっとも近海でも注意しないと内航貨物船は夜中航海しているから危険だ。
影のできるほどの月夜で天の川が目測できるような満天の星に気を取られ、千トンクラスの貨物船が接近しているのに気付かずヒヤリとしたことはある。航海灯に気が付いた貨物船の航海士が汽笛を鳴らしてくれたのだった。
そして未明の薄明かりの時は、実はもっとあぶない。障害物(船舶等)が海の色に溶け込んでしまって良く見えなくなってしまう。
結局航海は常に危険に囲まれているのだ。
ところで冒頭の歌の熟田津は愛媛県のあたりらしく、百済からの援軍要請を受けた倭の軍が出港する時の歌だ。あの時代の航海術では風の悪い時期の玄界灘なぞ、行くのも命がけだっただろう。
かの人は天皇兄弟の三角関係から壬申の乱の遠因になったという説もある。
『あかねさす紫野行き標野(しめの)行き野守は見ずや君が袖振る』
これは天智天皇行幸の際に歌ったのだが、それに対し大海皇子が
『紫のにほへる妹を憎くあらば人妻故に吾恋ひめやも』
と返歌したので、前述の三角関係説の傍証とされている。確かにはじめは大海皇子のツレだった。
このやり取りの故池田弥三郎氏の解釈がメチャクチャ面白い。僕は40年以上前に聞いた語り口を未だに覚えている。池田先生は江戸っ子なので話し言葉のニュアンスを思い出してちょっと再現して見よう。
「あれは宴が始まって酔っ払った大海皇子が下手な踊りでも踊ってるんじゃないんですか、ラジオ体操みたいな。額田王は前のオトコだった皇子に向かって『コレコレ』ってな具合で注意を促してるんですよ。周りみんな、今は天智天皇の彼女ってこと分かってんだから、何にも言えない。それを大海皇子の方も『いまだに惚れてますよ。』ってな按配で返してる。この歌の時点でどう考えても40台後半ですからあの時代では大年増どころじゃない、『恋ひめやも』も何もないですよ。それぐらい大らかだ、と思ってないと古代のウタゲってもんはわからないでしょう。」
いやはや、さばけてますな。
またテーマと関係ない話になってしまった。
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