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悪戦苦闘物語 (今月のテーマ 振り返り)

2015 DEC 30 21:21:47 pm by 西牟呂 憲

見るのもいやな食べ物
 子供の頃、本当に幼い頃の記憶だが、蟹の缶詰を見た。缶詰には横一杯に八本の足を広げた蟹があった。一目見た時からなんて薄気味悪い生き物なんだと怖くなった。そしてそのオレンジ色への恐怖感が刷り込まれ、その色合い(以前も書いたが私は色覚異常だが)のモノが食べられなくなった。蟹・海老・人参、従って天丼と蟹玉もだめ、人参はかろうじてカレーで克服した。海老のおかげで似たような食感の物も好きではない。これは大変に不幸なことではないだろうか。
 同じような視覚によるショックで明太子も長いこと食べられなかった。

二度と思い出したくない記憶
 この年になればそれなりにマズかったことはいくつもあるが、実に苦々しいことはやはり人を裏切った経験だろう。何度かある。原因は今から考えると私の説明不足と曖昧な態度だったと考える。相手も相手だったのだが、ここでクドクド述べるのは本意ではない。
 しかしながら少なからず恨みも買っただろうし、未だに僕のことを許せない奴はいるに違いない。だけどこっちだって今度会ったらただじゃおかないからな、とだけ言っておこう。嫌いな人間が増えるたびに人から嫌われていると思うようにしている。オマエだ!おまえの事だ。
 えっ?お前もだ?すいません。
 そう言えば最近人見知りがひどい。

死にかけたと思った時
 バイクで事故っている。しばらく気絶していたが蘇生して、その時は『シマッタ』と思っただけだった。だが後日現場に行きマシンの残骸を引き上げさせられたので(廃車処理するにも捨てて置けない)覗き込んで改めてゾッとした。浅い谷底なのだが大きな石が転がっていて、将に危機一髪だったのだ。
 その直後、てっきり胃痙攣を起こしたと思い金曜の晩から月曜の朝まで苦しみ抜いた。水一杯飲んでも戻してしまう。ただお風呂に入っていると痛みが和らいだので入っては戻した。結局急性膵炎というアル中にでもならなければ滅多に発病しない病気で入院。医者からは『もう一生酒は飲めない。』と言われた。当然無視して今日に至っている。
 これに近い症状を怖いことに東南アジアで発症したことがある。ご承知の通り東南アジアのトイレ事情はひどいもので、戻すたびに『この汚い所で死ぬのはイヤだ』と心から思った。30分おきに吐いてしまうので鼻の粘膜が破れサーッと鮮血が流れた。ついに胃が破裂して吐血したかとビビッた。当時マレー・エリアからの帰国便は真夜中離陸が多く、ズーッと苦しみながら乗った。喉が渇いて堪らず、コーラをもらってトイレでうがいをすると少し楽になる。明け方、成田に着く頃に回復しCAさんにお湯を貰ったら飲めた。これで生きて帰れると本当に涙ぐんだ。

近づくのもいやな場所
 これはやはり記憶からくる刷り込みだろう。大概大恥をさらした恥ずかしい思い出とセットになっている場合が多い。私の場合はまず交番、そして職員室。どちらも胸が悪くなるほどのイヤな思い出が詰まっている。すべて自分が原因だが、満座の中で私が怒られ、マヌケな言い訳をしてドツボに嵌まり最後は俯いて黙ってしまう、オー恥ずかしい。そして最後は悲しくもなった。
 もう一つ、地下鉄〇〇〇線の✖✖✖✖駅。
 駅の伝言板、と言っても携帯ですむ今の人は分からないか。待ち合わせなどで都合が悪くなると『先に行きます』とか『もう帰ります』等と書き込む黒板が設置されていたのだ(今もあるかな)。そして当時✖✖✖✖駅の伝言板にはしばしば『國◎参上』と記されていた。これは硬派の気概と無類のケンカ強さで都下にその名を轟かす◎◎館高校のアニさんが『ここはオレ達のナワバリだ。そこらのチンピラでかい面するな』の警告サインとして知られ、都内の主要ターミナルでも良く見られた。その実力はずば抜けており、辛うじて対抗し得るのは民族教育一本槍の△△高校生だけと言われていた。それをこんな相手もいないヤワな駅で何をいきがってるんだ、とばかりに僕はその伝言の横にバカとかアホと書き込んでおちょくって遊んだ。
 それがある午後の授業をサボッた帰りに駅で例の書き込みがあったので、ワハハとばかり”國◎”のところに✖を付け、さて何と書こうかなと佇んだところ、只ならぬ気配を感じて振り返った。そこにはガッチリとオール・バックに頭をキメた黒い蛇腹の制服が二人・・・・。後は言いたくない。以後卒業まで通学経路を変えた。

いつまでも続くような冗談のような暮らし
 オレがまだ若かった頃。突如カミさんがケッタイな病気になり長期入院治療となった。ガキはまだ中学生であちこちの助けを受けながら二人でナントカ暮らした。朝はお茶漬けばかり、夜は外食、ついにネタがなくなって六本木の飲み屋に連れて行ったこともあった。あれは教育環境として大変よろしくなかったと反省している。コッチはすぐにデキあがってしまい、まるでガキの方が保護者のようだった(店の人の談)。
 ウチの中はグチャグチャ。キッチン・テーブルは簡易卓球台になり洗濯物はウチの中に干しっぱなし。あまりにオレが酒ばかり飲むものだからガキは酒瓶を隠し、それを見付けられたら飲んでいいというルールまでできた。大体二人とも金銭感覚が無く(ガキはしょうがないが)気が付けば全て飲み食いに費やしてしまい床屋にも行けなくなった。
 一応分担を決めて掃除はするのだが、お互いの手抜きがミエミエでまるでゴミ箱をひっくり返したような暮らし。
 ある晩酔っ払って帰ってみるとガキの部屋からジャラジャラ音がする。中学生が麻雀をやっているのだ。しかももう夜中だ。幸い住んでいた所はワン・フロア・マンションだったので近所からはクレームが来ないが、うるさくて眠れない。よっぽど『うるさいから雀荘に行け』と言いそうになったが、奴等が中学生なのに気が付いて止めた。
 このマヌケな暮らしは三ヶ月続き、更にもう一度やることになる。

気が狂いそうな夜
 中学半ばから4~5年、創造的な考えを巡らせることができなく、何もかもがうまくいかなくなっていた。昼間はギャアギャアはしゃぎまわりバカ騒ぎに明け暮れたが、寝る前に時々『うわぁー!』と叫びたくなる衝動にかられるともう眠れなかった。翌日学校に行くとその反動で授業中に寝てばかりいた。即ち心の病でも何でもない訳だ。おかしなもので大音量で大好きなローリング・ストーンズを聞くと眠れる。それ以外目を閉じようがラジオを聞こうが、タマに勉強しようが眠れない。あれは一体どういう精神状態だったのか。何をやる気にもなれない。何事にも夢中になれない。もしかしたら、こういう精神状態で朝になったら人は発狂してしまうのかと本気で怖かった。
 うつ病とは違う。人とは平気で話せたし、割りに親切だった。
 硬派を気取ってみて訳も分からず右傾化してしまい、ついでにテレビで見たキャロルにイカれてリーゼントにしたらチンピラに殴られた(上記、地下鉄〇〇〇線の✖✖✖✖駅)。
 時を経、酒の味を覚えてから開放された。従って今でも禁酒するといつまたそうなってしまうのか恐怖する。
 途中体調の都合で連続して飲めない時期には薬を処方してもらって(上記入院時)眠れたが。
 あの時期は一体何だったのだろう。ひょっとして当時は狂っていたのだろうか。

 しかし良く無事に還暦を乗り越えた。これからも油断せずにまじめにやろうっと。

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Categories:僕の〇〇時代

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