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同時代を生きた隠者 (今月のテーマ 列伝)

2016 APR 11 5:05:42 am by 西牟呂 憲

 西行は見上げるような大男で、武道も強かったそうだ。
 平新皇将門征伐に功があった藤原秀郷(別名 大百足退治の俵藤太)の家柄で北面の武士だった。それが時代は平安末期の源平合戦の最中に僧形になってあっちへ行ったりこっちに住んでみたり。
 朝廷でも後鳥羽院を中心に和歌の格式を買われて顔が利いていた風狂なオッサン。要するに不良のオッサンだったと。
 例えばですねぇ、伊勢神宮で詠んだとされるこれはふざけてるんじゃないか。
 
 何事のおわしますをば知らねども かたじけなさに涙こぼるる

 いくらなんでもベタ過ぎる。これは高校時代に授業を怠けていた時に「何事を お教えなさるか分からねど かたじけなさに涙こぼるる」と(確か古文だったぞ)本歌取りされてクラスで流行った。
 
 願はくは花の下にて春死なん そのきさらぎの望月のころ

 これだってこの歌を詠んで本当にその時期に死んだから評価が高いが、真夏にでも死んだらどうするつもりだったのだろうか。
 幕府を開いた源頼朝と会っているが何しに行ったのか不明。銀でできた猫を貰ったものの、門を出た途端にそこらの子供にやってしまったと言う。きっと重くて面倒になったのだろう。

 法力房蓮生。誰の事か分からないのでは。
 それではこちらの台詞はどうか。
「やあやあ、我こそは武蔵の国の住人熊谷次郎直実、伝えても聞くらん、今は目にも見よや。日本第一の豪の者ぞ。我と思わん人々は、楯の面へかけ出でよ」
 一の谷で先陣を争い平敦盛を討ち取って無常観に取り付かれていた所、地元の土地争いの評定で源頼朝の目の前でプッツンして席を立つ。直情怪行型のオッサンそのもの。その後事もあろうに法然上人に弟子入りしたあの熊谷次郎直実の法名が蓮生なのだ。
 こう単純では仏法修行の方は知れたものだろうが、その分体でご奉公とばかりにアチコチにお寺を建立している。
 幸若舞の演目『敦盛』で出家した法力房蓮生が世をはかなむ「人間五十年 下天の内をくらぶれば、夢幻のごとくなり」の一節が信長に好まれて有名になるが、絶対にこんなことを言えるタマじゃない。
 西行と同じようにわざわざ高札を立て、来春に極楽往生すると言いふらしたがそうはならなかった。翌年再び予告してどうなったのかは知らない。

 鴨長明。こちらの御仁は「ゆく河の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず。よどみに浮かぶうたかたは、かつ消えかつ結びて、久しくとどまりたるためしなし。」の方丈記。
 下賀茂神社の禰宜の家に生まれたものの派閥争いでなりそこなって神職の道を断たれる。すると、これまた出家して和歌の道を進む。 琴や琵琶などの名手でもある。
 察するにクソ真面目な人なのだが出世しそこなってフテ腐れたのだろう。グチグチ文句ばかり言ってるくせに和歌が褒められると舞い上がるような。
 そしてここで西行のところで出てきた後鳥羽院が噛んで来る。後鳥羽天皇は壇ノ浦で安徳天皇が三種神器とともに入水してしまったため4歳でドサクサと天皇になってしまうが、鎌倉に幕府はできてしまうし全く気の毒なフテ腐れ人生だ。終いには承久の乱でメチャクチャに負けて隠岐島行き、そこで崩御。ついでに息子の順徳上皇は佐渡島。二人とも怨霊になったことになっている。
 鴨長明は推挙されて和歌を教えにノコノコ鎌倉まで行くが、歌人将軍・源実朝とは作風が違いすぎて断られたらしい。
 一丈四方の庵で書いたので方丈記。無論隠棲文学の名作で、乱世を生きる無常観の高みではある。

 それでこの三人、平安末期から鎌倉前期と源平合戦の時代の空気を吸っている。西行が一番年上で20年後に直実、その15年後に長明。西行は80歳くらいまで生きたので一番後の鴨長明とも30年以上ラップしている。近くお互い名前くらいは聞いていたのじゃないかと思うのだが、記録はないようだ(あったら教えて下さい)。
 ふざけた不良オヤジと単純プッツンオヤジにクソ真面目不貞腐れオヤジが会っていたら面白いのに。

 しかし不良もプッツンも不貞腐れも出家してしまえば何とかなるのも羨ましい。源平合戦の真っ最中ですぞ! 

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