僕の修行時代 インテリジェンス編 (今月のテーマ インテリジェンス)
2016 DEC 30 10:10:57 am by 西 牟呂雄
その男は台湾生まれの日本人だった。
台湾語も北京語も自在に操る語学力と滅法切れる頭、そして頑強な体力をもっていた。
当時台湾は国民党が上陸してきて戒厳令を敷き白色テロが横行する不安定な状況だった。本気で大陸に反攻する気だった蒋介石はあれ程激しく戦った日本とは反共国家同士として国交もあった(田中内閣以前)。当時はまだ貧しくもあり、大陸からのスパイはウヨウヨしていたようで、それは国民党側も多数の人間を共産党内部に送り込んでいたから互いの手の内はスカスカな時代だったらしい。
本当かどうか確かめようもないが、その男は香港・マカオ・台北に拠点がありその辺りをウロウロしていた。僕がその男と知り合ったのは遥か後年、台北の繁華街として日本人にも有名な林森北路(リンシンペールー)の飲み屋だった。カラオケに興じていたところ隣で古い演歌ばかりを歌っているオヤジがいて意気投合した。随分羽振りがいいものだから調子を合わせて二次会・三次会と飲み歩いて名詞を交わしたが、その時は日台の貿易振興NPOの名詞だった。僕より大分年上だからA先輩と呼んでいた。
勃興する台湾経済がしきりに日本に秋波を送って、国際的に孤立しないように気を使っていた。台湾はASEANにも入っていないし、李登輝政権が民主的に出来る直前の話だ。
当時僕も台北にはよく行っていた。たまに連絡をして(年に2回くらいか)飯を食ったりして遊んだ。その時に元自衛隊にいたことは聞いた。へ~え、と驚いたものの年から言って先の大戦とは無関係のはずで普通の就職先の一つという認識しかない。
本人は物腰の柔らかい小柄な紳士だったが、時々「海南島」やら「金門島」の名前が出る。海南島は中国の領土で当時そう簡単に行けるところではないし、金門島は言ってみれば中台の最前線にも当たる要塞だ。
更に蒋経国・蒋緯国兄弟(蒋介石の息子達)の名前が出たりして、国民党にも太いパイプがある口ぶりだ。
3年ほどして、あるきっかけでA先輩のバックに謎の組織があること(あったこと)が分かった。白団(現地語でパイダン)と呼ばれる。
中華民国は国共合作をしたり反発したりしつつ日本とドロドロに戦争しながら、日本が敗戦となった後はもっとひどい戦乱国家となり、アメリカも強く支えず国民党が台湾に上陸する。その後も共産党に推されまくっているうちにあろうことか秘密裏に旧日本軍将校を中心とする軍事顧問団の協力を仰いだ。無論GHQの後押しあっての事だ。それが白団(パイダン)と呼ばれる秘密軍事顧問団であり、中心人物富田直亮元陸軍少将の中国偽名 白鴻亮 から名付けられたと言う。
どうやらA先輩は若き日にはその組織と繋がっていて主に防諜を担当していたものと推察された。
それから僕はA先輩にスパイダーというコード・ネームを付けて(だって本物のスパイかもしれない)秘かに見よう見まねで諜報活動・秘密戦の修行を始めた。
だが、既にスパイダーはちっとも活動しないのである。『マカオに連れて行って欲しい』とか『台湾の民主化によって防諜はどうなるんでしょうか』としきりにコナをかけるのだがニコニコするばかり。一度尾行しようとしてこっちが道に迷って失敗した。
結局肝腎なところは言を左右にして何も語らなかった。こんな具合だ。
『海南島で暗号通信を傍受したとするとそれを伝達するのには又別の電波を使う事になるでしょう?』
『いや、漁船で釣りをしてたら海が荒れましてな。高雄に帰港するのに二日かかったんですよ、ワハハ』
これでは何も分からない。
しかし、それでもたまにギョッとするような示唆をしてくれた。忘れもしない李登輝氏の選挙中に大陸がミサイルを撃ち、第七艦隊は空母を派遣したアノ時である。台北市は戒厳令下のようにネオンが消え人通りも絶えて緊張したが、スパイダーはこう言い放った。
『ありゃ空砲だよ。弾頭は空っぽだから心配しなくていいさ。リ・タンフイ(李登輝の事)もそのことを知ってるよ。』
結局何も教わらないうちに僕は台北を引き上げ、ひとりでスパイ修行に励むことになる。強い愛国心と切れる頭、火のような度胸と冒険心で女にモテまくる、はずだった。
結論から言えば今も修行は怠っていない。一人NSAのつもりで情報収集に努めているのだが、ロシア関係者からも日本当局からも一向にスカウトされないのはなぜか・・・。
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