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立ち止まってみた

2017 MAR 16 7:07:35 am by 西室 建

 「断・捨・離」という言葉があるそうだが、なかなかいい。いらない物を持ち込まず、いらないものは捨て、執着を持たない、ということだとか。
 これ、僕は3年前に母を送った時に身に染みて思うところがあった。遺品(というか生前使っていた物)は残された家族にとって全て必要のない物だ。見ると『ああ、これをあんなことに使っていたな』等と記憶が蘇り、もう少し取っておこうか、となりがちだった。
 しかし待てよ、物を見なけりゃ思い出さない記憶ってそんなに大事か。中にはイヤなことを思い出す代物もあったりして。
 で、結局片っ端から捨てに捨てた。洋服・本・書き物・日用品・装身具・靴・メモ・えーいこれでもか、とね。ついでに僕に関するものも多少あったが、それは見るのも嫌になって目を瞑って捨て。暫く呆然としたことは確かだった。

 例えば東京での孤独死や誰も住んでいない空家が問題になったり、地方のシャッター通りが話題になったりする。思うにこういったことは(それぞれ事情は違うにせよ)「断・捨・離」に失敗した結果かもしれない。
 前者は持てるものに固執して誰にも渡さない、或いは様々な事情により逆に周りから縁を切られてそうなったと考えられる。誤解を招くと困るのでクドクド申し添えるが、気の毒な結果になったことを本人のせいだと非難しているのではない。そこに至る過程で「断・捨・離」が上手く行かなかったことを慮っている。
 後者も全く人がいなくなったのではない。シャッター通りの住民も町の外のショッピング・モールに買い物に行っているだろう、と考えている。人の流れや消費行動が変わったことに気づかず、コストが高いままに駅前の店の権利を持ち続けたのかも知れない。店の持ち主も車に乗りモールで買い物をするのではないか。

 これ、人間関係にも当てはめられるだろうか。
 僕はこれ以上知り合いを増やしたくない。偶然の出会いはあるだろうが、殊更それを求めたくない。ちょっと前までは同窓会などの幹事役は進んでやったのだが、長い間会わなかった人と接するのに”人見知り”のような感覚に陥るのでやめた。この5年の話、調度ブログを書き出したあたりから群れるのが嫌いになった。 
 付き合いを断つ、そりゃ全部は無理ですな。一人では生きていけない。何も今仲良くしているのをブチ壊す必要はない。たまたま新たに知り合った人と親しくするのは誠に結構、ただ努めて新しい出会いを求めない。流れにまかせる。これが『断』にあたると考えている。
 長く付き合った(これは10年以上くらいか)例えば仕事をしていた頃の知り合いから声が掛からなくなった、或いは呼んでも出てこなくなったとする。無理矢理呼び出すとか押しかける事はしない。『去る者は追わず』と言う。これは自分が疎まれても別に嘆かない、僻まない、騒がない、こっちも悪いのだろう、と頷く。これを私流の『捨』としよう。捨てても捨てられても恨みっこなし。
 去年は親友一人、親しかった飲み屋のオーナー、親族二人といった面々を失った。特にかけがえのない友を失ったのは堪えた。正真正銘の『離』になってしまったわけだが、こちらもオッサンになってしまったから嘆いてばかりもいられない。むしろいつ自分になるか分からない、と言い聞かせている。
 静かに水がよどまないように流れて行く。これが私の『離』の解釈としている。

 この人間関係「断・捨・離」簡単なようでそうでない。この年になると分かるが、結構な根性を入れないとできないのである。
 例えば、まるで生存確認のようだ、と5年ほど前に年賀状をやめた。すると「あのヤローついにくたばったらしい」という悪意ある噂が流れた(1年だけですが)。
 また、どうしても会いたくない奴の顔を見るのが嫌で会合をすっぽかしたら「恩知らず」のレッテルが貼られた。

 静かに潮が引くように行方をくらまして「エッ、しばらく見ないと思ったらあいつ死んでたの」くらいになれないものか。

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Categories:えらいこっちゃ

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