人は変わる どう変わる
2017 MAY 13 13:13:20 pm by 西 牟呂雄

僕は以前、親友だった故中村順一君から『最近は丸くなった』と言われて驚いた。
やはり数年前に九州に単身赴任したことが大きかったのかと考えたのだが、どうもそうでもない。やはり歳をとったのだろうか。
そう思って振り返れば少年期はハシャギまわり、青年期はトンガリまくり、壮年期は暴れて暮らしたので、相当量の感情を撒き散らして生きてきた。
どうもこれらの喜怒哀楽の量が滅亡してゴミになることが不思議でしょうがないから『来世』とか『あの世』といった形而上の概念が発達し、宗教として体系立てられたのではないだろうか。喜怒哀楽は優れて脳内の化学反応だから、肉体を失えば無くなってしまうのはいいとして、あんまり激しいこれらの発露は自然体としての健康にはいいことはないだろう。
ヨガとか太極拳とかソノ手の体術は、ひたすら呼吸の安定と肉体の調和を説く。SMCメンバーの神山先生によれば修行の末に”気”が”見える”域にまで達すると言う。それは本当の事だと思う。
無論修行も何にもしない僕が”気”が見えるはずはない。はずはないが何かそういうものがあるだろうとは思っている。
昔の上司に”気”の達人がいて、この人は修行したわけでなく最初からそういう能力があったらしい。目の前で50肩が上がらなくなった者に”気”を入れたところ、たちどころに腕が上がって誰よりも本人が声を上げて驚いていた。本当の話だ。恐らく一種の血流、或いは神経伝達の活性作用だろうと思えるが定かではない。
足が上がらない、疲れやすい、目が悪くなる、反射神経が鈍る、耳鳴りがする、息が切れる・・・。オマケに最近身の回りの物が突如無くなる、といった心霊現象にも悩まされるようになった。
金が無くなった、と青ざめたら屑篭にあった。これなどいくら私が迂闊でも自分で捨てるはずはない。新幹線の切符が乗車してから忽然と消えた事もある。
これは以前に書いたが、朝起きたら畳に血溜まりができるほど出血していたこともあった。いくら前の晩酔っ払っていたとしても絶対に心霊現象に違いない。
こんな風になってしまって、これからどうやって老人道を全うしろというのか。ここは真剣に考えなければなるまい。そこで考えた十則を書き留めておく。
一.大勢の人のいる所に行かない、群れない。会合は小人数かサシでやる。
二.希望を持て。だが絶対に人に言うな。
三.偉そうに振舞うな。若い人には教えを請う、彼らの方が上。
四.目立つな。もう年寄りだ。
五.趣味なんかやるな。もう効果は少ない、上達もするわけがない。
六.もう焦ってはならない。時間は減るが返ってゆっくりやれ。
七.受けを狙うな。もう十分ヒネクた邪魔者だし。
八.僻むな。誰も見ていない。おまけに充分嫌われている。
九.怒るな。どうせ聞いてもらえない。
十.別にあした死ぬわけじゃない。
ところで、気が付くと2年前にこんなことを書いている。随分変わってきたな。
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