花盛りの喜寿庵 12月の花
2017 DEC 2 17:17:54 pm by 西 牟呂雄
さて、師走である、寒い。
絨毯のように芝生に敷きつめられたような落ち葉を見ると、どこから手を付けていいのか・・。子供だったら泣くこともできるだろうがオジサンはそうはいかないんだ。
セッセセッセとネイチャー・ファームに持っていって畑の土に埋めているが、オレがやっていることは何て無駄なんだ、と思わざるを得ない。翌年は腐葉土になっているのかもしれないが、何年埋めても少しも土壌が増えた気がしない。
この花の歳時記を今年から始めてみて、喜寿庵は一年中花に囲まれていることが分かった。この年まで大して気にも留めなかったとはもったいない、人生で随分損をしたような気がする。庭にはサザンカが咲いている。
山茶花の 紅(くれない)残し 風抜ける
はや年の瀬か 冬枯れの山
そしてチョット足を伸ばすとよそのお庭に良く手入れされた薔薇が。
大昔のことだが「薔薇」という漢字がスラスラ書けるかどうかが仲間内のステータスだったことがあり、フツーの漢字は間違えるくせに「薔薇」はわざと書いた。
品種改良と剪定といった手入れによって四季咲きの花なのだとか。
クイーンとでも言いたくなるような気品だが、どこか冷たい気配を放っている。更に棘があるのがいい、危険な感じ。
いずれにせよ木枯らしの中でも咲いてくれるのはありがたい。
”ばら色”はローズというくらいで赤がメジャーだろうが白い薔薇も一般的。中には青までつくられたらしい。トルコの原産種で黒薔薇も実在していて画像を検索してみると極濃い紅色と黒の中間のようなドスの効いた花だった。花言葉は「憎しみ」。
11月の末にガンッと寒波が来て師走になった。
ときどきポカポカするが北海道や日本海側はもう大雪。
するとこのような野菊がフワフワと花をさかせる。
この白菊はさっきの手入れされた薔薇のそばの崖に、健気にも自生していた。
いよいよ真冬になって一年が終わる。
今年は本当にロクなことがなかったから、サッサとケリをつけて平成30年を迎えたいものだ。
フト見ればポツンとススキが穂をつけて風になびいている。
別に歌に歌われるほどの寂しさはない、スッと立っているじゃないか。
この姿は清々しいが、冬の曇天というのは実に陰鬱にされる。
先述のロクでも無さが増幅され、そこから解放されたい。
ところが「せめて気分だけでも明るく」とはどういうことなのか思いあぐねた。
「明るく」するとはありもしないことを想像してヘラヘラ笑うことではない。ポジティヴ・シンキングとは目標を造ってどうしたらもっと「楽しく」やら「面白く」やれるかをワクワクしながら工夫することだ。元来が楽天的だと思われている僕は、今さら「明るく」しようと勤めると、タダでさえチャランポランないい加減さがひどくなるだけではないか。
そもそもそんな気分を恣意的に刷り込むことそのものが無駄だろう。例えば僕の頭がこれ以上良くなることがありえないように、或いはどこかの嘘つきが一生直らずにウソばかりつくように、どうにもならないと思う。
冒頭の枯葉の絨毯をみてため息をついたのを機会に、この冬の間は様々なことに対し「くよくよ」と悩み、どうしようもなく絶望的に暮らしてみよう。静かに心を冬眠させて過ごす。
そうするときっと来年はいい年になるはずだ。
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