恐怖の4の字固め デストロイヤーの訃報
2019 MAR 10 1:01:44 am by 西 牟呂雄
ジ・インテリジェント・センセーショナル・デストロイヤー。亡くなったデストロイヤーの正式名称、本名はディック・ベイヤーだった。
僕なんかは白黒テレビで力道山との試合も見た世代だが、リング・アナウンサーのコールに応えもせずに腕組みをしている威圧感は不気味そのものだった。そして有名な足を絡み合わせた血みどろの光景は恐ろしかった。
本人は名門シラキュース大学の大学院まで卒業の大変な学歴だ。フット・ボールやレスリングをこなす学生から、どういうわけかプロレスのリングに上がり、世界チャンピョンとなった。
小学校の教室でしばしば行われたインター・シャープ世界選手権というのがあって、そのタイトルマッチの華は4の字固めとコブラ・ツイスト(卍固めはまだなかった)だった。当時のチャンピョンA山君は体も大きい怪力の、その割りに器用な運動神経の持ち主だった。その彼が挑戦者をネジ伏せた後に、電光石火の4の字固めを決めると相手は即ギブアップ。彼は足も太くガッシリしていたため、例の切り替えしが全く通じない、一度やられたが物凄く痛かった。
もう一つの必殺技であるコブラ・ツイストは実にプロレス的な技だから、要するに呼吸が(タイミングが)合わないとバシッと決まらない。今日のプロレスでは切り替えされる事が多いが、当時は(小学生の間では)必殺の大技で、使い手は少なかった(みんな自分の得意技だと吹聴していたが)。
そもそもプロレスは本気になってやったら喧嘩になってしまうことは小学生でも薄々分かっていたのだ。
以上はどうでもいいとして、件のデストロイヤーの印象的なファイトが二つある(力動山戦以外に)。
一つは、1970年頃の馬場ー猪木時代に行われていたワールド・リーグ戦の準決勝でアントニオ猪木と戦った試合だ。
この試合は実にプロレスめいたアングルで、次の試合が馬場VSブッチャー戦のため、絶対に引き分けにならなければならない。当時馬場への挑戦をしばしば口走る猪木が決勝に行き、本当に馬場ー猪木の決勝になってしまったらチト困る。野心家の猪木は一発喰ってやろう、の魂胆がミエミエだったが、対するデストロイヤーもセメント気味のファイトで、珍しかった時間無制限一本勝負を両者リングアウトに持ち込んだ(4の字をかけたまま転落)。お見事!
もう1試合は1974年に「覆面世界一」と銘打たれたミル・マスカラスとの試合である。この試合は両者の意地がモロにぶつかっているのがヒリヒリするほど伝わった。特に印象的だったのは、コーナーポスト最上段に登ってフライング・ボディ・アタックを仕掛けようとしたマスカラスが、ただならぬ気配を感じて降りてきたところだ。ツウはこういうところが堪らない。
そして、どうやって引き分けにするのか固唾を呑んで見ていると、3本目にロープに振ってリバウンドしてくるデストロイヤーを飛び越えようとしたマスカラスの股間にヘッドバット気味に頭が当たり、戦意喪失となってデストロイヤーが勝った。いくらプロレスでも誠に後味の悪い終わり方で、専門家の間でも「デストロイヤーがアングルを無視してわざとやった」「いくら何でもそれはない」と物議を醸した
これ以後、ギミックも含めて「覆面十番勝負」が始まったが、一流覆面が10人もいないため、ディック・マードック(ザ・トルネード)やキラー・カール・コックス(ザ・スピリット)をマスクマンにするというギミック満載の企画だった。
享年88歳。旭日双光章を受章。いずれにせよ長い現役生活だった。白覆面よ、4の字固めよ、永遠に。
先般のアブドラ・ザ・ブッチャーの引退セレモニーに心温まるヴィデオ・メッセージを寄せていたのに、先に逝ってしまった。
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