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不思議な子供の目線

2019 NOV 19 0:00:05 am by 西 牟呂雄

 随分見ていなかった喜寿庵の近所に住んでいる謎の友人ピッコロ君とマリリンちゃんにバッタリ会った。大分背も伸びて、恐らく学齢に達しているはずだが、保護者であるらしいヒョッコリ先生の奇怪な子育てでチャンと学校に通っているのかどうかもあやしい。今日はウィーク・デイで今は午前中だ。しかも僕は未だにこの子達が喋ったのを聞いたことが無い。日本語ができないのかもしれない。
「ひさしぶりだねぇ。元気かい」
 一応声をかけてみた。こっちを大きな目で見ているが表情はない。
 この子達と同じくらいの野生動物(まだほんの子供と言える時期のこと)は警戒心と好奇心の塊だ。警戒心を持ちつつ好奇心でオジサンの顔を見上げているのだろう。以前に僕が遊ぼうとしても、土足で家に上がってきたり手づかみでモノを食べたりと、存分に野生ぶりを発揮した。ひょっとしたら言葉の問題で廻りとコミニュケートできず、遊ぶこともできないのだろうか。

 ニューギニアの未開民族デアルベーリング族には全く文化が存在しない、という研究がある。その退屈さはフィールド・ワークに行った人類学者が二人もうつ病になったことでも知られる。そこでは子供は遊ぶことを禁じられ大人と一緒にひたすら働く。神話も宗教も思想もない。しかも全くの平等な社会なのだと言われている。
 一見理想郷のようで、遊んでいるオトナ(支配階級)もコドモ(次の世代)もいないという社会は、かくのごとく殺伐とする。
 そして私はフト考えた。目の前の日本語も怪しいために閉鎖されたような幼年時代を過ごしたこの子等も、そのうち一足飛びにいきなりスマホを手にしたらどうなる。今の世の中でしきりに言われる、SNSでの安直な繋がりが人々のコミニュケーション能力を下げているとしたら・・・。思うに高校卒業くらいまではスマホは持たせてはいけないのではないか。残念ながら手元にそれなりのことを言える統計的数字がない。

 話は戻って、相変わらず一言も喋らないピッコロ君とマリリンちゃんを芝生の庭に連れて来た。色々言っても理解しているかどうかも確認できないので(全くコミニュケートできない)特に何も言わずほったらかして、落ち葉を掃いていた。
 黄金色の夕日が射しこんで来て紅葉が美しい。
 二人は、と見るとしゃがみこんでいる。何してるんだと覗き込むと、カラカラになった落ち葉で遊んでいた。
 そして二人の足元にはケッタイなモニュメントというか何というか、枯葉のピラミッドのようなものを丁寧に積み上げている。それも一枚一枚丁寧に拾ってはソーッと乗せていて、何か目的があるようでもなくひたすら重ねている。

落ち葉のピラミッド接写

 面白いので接写したら御覧のようなただのゴミの塊にしか映らなかった。
 しかし、どうもこの子たちの中には何かのルールのようなものがあって、自分達の中には規則性のある積み上げ方があるようだ。
 掃き集めた枯葉をネイチャー・ファームに埋めて(天然リサイクルのつもり)戻ってくると、例によって二人は姿を消していた。
 後には枯葉のピラミッドが残されていた。
 それも、良くみると正確には正四面体を作ろうとしたらしく、底辺が正三角形にしてあり、各辺が同じになるように一枚一枚重ねていった物なのだ。
 これは面白いと写メに納めようとした瞬間、残酷な木枯らしがサーーッッと吹いてきて飛び散ってしまった。あ~あ。
 凄く惜しい気がしたが、チョット考えるとあの子達はデキがいい・悪いに関係なく、楽しく遊んで飽きて帰ったのだ。そしてもう一度やってきたところで惜しんだり悲しんだりはせず、また新たに全然違う落ち葉の遊びをするだろう。
 こういう子供たちをいい方向に伸ばす教育は、一体いかなるシステムがいいのだろうか。ただ、ほったらかしにしておけばいいという物ではなかろう。そのうち飽きて後には何も残らない。
 こういう童心を忘れずに体系立てて行ければそれはいずれ文化になると思える。上記デアルベーリング族のような事にはならない。ひょっとして大昔、こういうマインドのまま大人になったヒマ人が宗教とかを思いついたのかもしれないぞ。

 よし、この子等に僕がプログラムを組んで、独自の文化を情勢できるように教育してあげよう。ええっと、まず言葉からおしえるのかな・・・・。

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Categories:遠い光景

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