Sonar Members Club No.36

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レイモンド君と再会した

2021 APR 1 0:00:24 am by 西牟呂 憲

 ある日メールが届いたが差出人に心当たりがない。大変に丁寧な文面ではあるがどこか要領を得ない。『○○では父がいつもお世話になっており恐縮しております』などと書いてあるが、〇〇は喜寿庵のあるところで、誰かの世話なんかした覚えはない。なんだか事情があってどこやらに出張が決まりどうしたこうした、終わりの方に『コロナ禍によりほかに頼る親族もおらず、愚息の面倒を見ていただきたく』と結ばれていた。
 恐らくこの就職難に、誰かの勤め先をお願いするメールかなと思った。ご時世がらそういう頼まれごとはうまくいくはずもなく、参ったなと放っておいた。
 しばらくした休日にインターホンが鳴る。
「はい」
「あっ、こんにちわ。ワタクシ先日メールいたしました✖✖✖と申します」
「・・・エート」
「○○で父がお世話になっている」
「(あの不審なメールの人か。若い紳士じゃないか)ちょっとお待ちください」

何か背負ってる

と言ってドアを開けて、仰天した。小さな子供を連れていて、それはあのレイモンド君ではないか!するとヒョッコリ先生は✖✖✖という名前でこの人はその息子さんか、先生はレイモンド君のことを孫だと言ってたっけ。
「どうも初めまして」
「あのー、この子はレイモンド君ですか」
「はい。以前お世話になった」
「(お世話じゃねーよ。無理やりおしつけられたんだよ)いやー大きくなって」
「はい、もう一才で歩きます。実はですね、私たちは共働きなんですが女房が体調を崩しまして云々ーー(中略)--コロナも第三波が収まりませんし」
 要するに東京には頼る親族もおらず父(ヒョッコリ先生のこと)に相談したら僕のところに行けと言われたという事らしい。あのメールはそういう意味だったのか、冗談じゃない。ところでレイモンド君がやけに大きなリュックを担いでいるのが気になって『何を大事にそんな大きな物を背負ってるのですか』と聞くと、お世話になった時の使い捨ておむつと着替えだと言うではないか。いやこういうのには弱いんだ、オレ。更に青年も大きな包みを持っていて、それはレイモンド君用のごはんなのだそうだ。一日3回3日分が小さなタッパーに小分けにされていておやつも付いている。バナナを小さく切ったものとパンのようなお菓子だ。
 で、結論を言うとこの子を3日間あずかることになってしまった、折り悪く僕一人なのに。
 初日。1才の子供とはベビーからキッドになるころだろうか、レイモンド君は歩くようになってはいたが、スタスタとはいかない。そもそもこの年頃の記憶はどれくらい持続するのだろう。僕とレイモンド君は4カ月前には友達になった。知り合いの飼い犬は半年前に会った僕を覚えているが、1歳児の方はあやしいもんだ。抱っこしたら泣き出す。

 さっそく昼時になったので、お粥のようなパックと何かの煮込みみたいなやつをあっためて食べさせる。これはよく食べた。ミルクを温めてくれと哺乳瓶を渡されたのだが、温めるのが面倒なので常温の牛乳を飲ませると、すぐに寝てくれた。ここまでは順調だったのだ。
 異変は昼寝から覚めた時に起こる。『ふぎゃー!うんぎゃー!ぎゃあー』と泣き出したのでおむつをかえようとして仰天した。ひどくお腹を壊している。マニュアルに従ってペット用の敷物を敷き詰めウェットティッシュを傍らに脱がせたのだが、のたうち回るレイモンド君には手を焼いた。しかしまあ、こう言ってはナンだが我々のように酒・タバコ・刺激物・その他怪しげな薬や病気には侵されていない赤ちゃんだから、そんなに毒性のある排泄物でもなかろうテキトーにやっておいた。
 待てよ、ご時世は緊急事態の真っ最中だし万が一ここでコロナになられたらエライことになる。思い直してお風呂にお湯を張りぬるめのシャワーでレイモンド君を磨き上げた。そしてその状況は夜まで続き、その度に僕もお風呂に浸かること三度に及んだ。おかげでレイモンド君はすっかりお風呂で遊ぶことに慣れて楽しそうにしていたが。
 しかし一緒にお湯に浸ってしみじみとおもうが、この小さな体の中に大人と同じ五臓六腑がちゃんとそれぞれの繊細な機能を働かせ、小さな頭の中で脳が必死に成長しようとしているのだ。人間は何とも繊細な、いや生き物は皆見事な自然の造形か神の思し召しか。夜の7時にはグッスリ寝てしまった。

 2日目。あいかわらずお腹の調子が悪い。僕がミルクをそのまま飲ませていたが、検索してみると大人よりもはるかに腸の短い赤ん坊は常温の牛乳を直接飲ませると途端にお腹がゆるくなるらしい。『赤ちゃんムギ茶』なるものを買いに行った。無論レイモンド君を抱っこしてだ。意外と重い。
 本当にそうだったようで、昼寝からは元気になりヨチヨチ歩き回る。ところが危ないことがどういうものかまだ分からないので、何でもかたっぱしから手に取っては口に入れようとする。目が離せないとはこのことだ。
きのうお風呂に何回も一緒に入ったのでもうすっかり打ち解けてニコニコしているが、テーブルの上にあるものを取ろうとしたり、ピアノの鍵盤を叩こうと一生懸命に背を伸ばしたり。食べて寝て泣いて一日が過ぎた。夜半に帰宅した家人は散らかりまくった部屋のあまりの惨状と、そもそも何でキッドが僕と過ごしているかを理解できず唖然とした。説明するのにはもともと無理があるので納得がいかないのは仕方がないが、レイモンド君の寝顔を見てあきらめてくれた。

 3日目。どうも落ち着かない様子だ。僕は親切に仲良くやっているのだが、レイモンド君の方は『このオッサン、色々と世話を焼いてくれるけどいつも一緒だったパパやママとは関係ないんじゃねえの』という感じで一人で手当たり次第に引っ張り、叩き、投げるという破壊本能全開。参った僕は外に連れていくことにした。
 近所の公園ではよく保育園が園児を連れてきているし、それだけでなくお母さん方が子供たちをつれてシートを広げてお弁当を食べていたりする、この非常事態宣言下にもかかわらず。
 靴を履かせて公園まで抱っこして行った。地面に降ろしてやると、これが裸足で部屋の中を歩き回るのとは勝手が違うらしく、素人が初めてスキーを履いた時のようなペンギン歩きだ。この時も何組かのママ友グループがいたので僕もシートを広げ二人で座った。
 だがどうも変だ。何故か注目を浴びているようで居心地が悪い。オッサンとキッドの組み合わせがそんなに珍しいか。ハッと時が付いたが、僕はさっきコンビニで反射的に買ったビールを手に持っている、これか・・・・。
 一方レイモンド君は少し年上の子供達が遊んでいる方に一生懸命近寄っていく。ママ達は一段と険しい視線をオレに送っている。おいおい、オレは誘拐犯でもアル中でもないぞ。仕方なくシートを畳みレイモンド君を『ホラ、おウチに帰ろう』とそこらのママ達に聞こえるようにわざと大声で言い、担ぎ上げ退散したのだった。
 夕方連絡が入ってこれから父親が迎えに来るとなった。食料もちょうど3日分食べ尽くしたし、正直ヤレヤレといったところか。
 日が暮れる頃、例の青年がやって来た。
「いや、大変お世話になりました。申し訳ありません」
「(そりゃ大変に決まってる)いやいや、こちらも楽しかったですよ。レイモンド君じょうずに歩いてましたよ」
 そこへチョコチョコと歩いてきたら満面の笑みで青年にしがみついた。それっきり離れやしない。やっぱり寂しかったんだな。そう思うと、あれだけ面倒見た身としては微笑ましい、いやうらやましいかな。
 レイモンド君はチャイルド・シートに据わって(括りつけられて)帰っていった。車が動き出したときに一瞬困ったような表情になったようだったが、まっ気のせいだろう。また遊ぼうね。
 アッ、きょうは仕事をサボッちまった。あしたから働かなくちゃ。

喜寿庵紳士録 レイモンド君

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Categories:和の心 喜寿庵

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