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ミルクキャラメルの箱

2021 APR 25 0:00:55 am by 西牟呂 憲

一枝もこころして吹け沖つ風 わが天皇(すめらぎ)のめてましし森ぞ
 昭和4年。粘菌の研究で名を成した全く在野の研究者である南方熊楠に昭和天皇行幸の際に御進講するようお達しがあった。
 生物学者でもある陛下は兼ねてより熊楠のことを知っていて、どういうルートなのかは知らないが大正の末に粘菌の標本を所望され、熊楠は90点を献上していた。
 熊楠は神島で陛下をお迎えし、案内の後に御召艦「長門」にて約30分の御進講に及んだ。この神島は伊勢志摩にある三島の潮騒の舞台となった『かみしま』ではなく和歌山の『かしま』である。
 せっせと持ち込んだ標本110点もこの時に献上されたが、その標本をキャラメルの箱に入れていた。それが森永ミルクキャラメルだったと記憶しているが出典は忘れた。
 冒頭の一首は翌年に行幸記念碑が立てられた時に熊楠が詠んだ歌だ。何とも無邪気なもので、二人でさぞ盛り上がったのだろう。
 熊楠は全くの無位無官。おまけに数々の奇行で有名な難物だ。陛下の前で突如悪い癖が出ないかと、関係者は気を揉んだことだろう。しかしながら当日は留学時に求めたフロック・コートの正装で現れ見事なジェントルマンであったそうな(普段は全裸で過ごすこともあった)。
 熊楠は抜群の記憶力の持ち主であったことは広く知られるが、昭和天皇もまた記憶の王でありその逞しさにしばしば周辺は舌を巻いた。この御進講から30年の後、南紀行幸啓の宿舎から神島が見えた時、
雨にけふる神島を見て 紀伊の国の生みし南方熊楠を思ふ
と詠じられた。
 楽しかった思い出だったに違いない。

若き日の熊楠

 生涯仕事らしい仕事に就かなかった熊楠だが、一体自分のことは何だと思っていたのだろう。粘菌で有名だが、10ケ国語に通じ民俗学にも造詣が深い。人類学・考古学・宗教学全て独学。50本の論文がネイチャー誌に掲載され、日本人のダントツ1位である。ロンドン時代に亡命中の孫文とも親交があり、来日時には和歌山に熊楠を訪ねている。
 今日であれば博物学者とでも言うのかもしれないが、本人がそう思っていたかどうか。一種の天才だろうが、こういう頭脳構造にありがちなバランスの悪さで始末におえない。よく言えば欲が無いのだろう。むしろ心のおもむくままに唯々何かに没頭していただけではないか。
 最近知ったのだが膨大な日記に、幽体離脱というかろくろ首というか、不思議な体験を記述している。その記述が妙に生々しくて具体的なのだ。もちろん本人も夢だと言っているが、胴体から首が離れて飛んでいく様が活き活きと描写されている。この現象というか感覚に熊楠が興味をそそられないはずがない。日記にによれば『頭が抜け出て』そこら中を飛び回り『急に自分の頭とおぼしきところへ引き入れられた』のだそうだ。
 実は筆者は熊楠の日記を読んで、似たような経験があることを思い出した。無論夢である。ただ、筆者の場合、四谷のJRから見える土手で三輪車のような軽量飛行機に乗り、空を飛んでいて落ちる夢なのだが、その落下する感覚がヤバいと感じつつスーッとうつ伏せに寝ていた自分の肉体に入り込むものだったことを今でも覚えている。ただ、筆者の場合は一度だけ。
 熊楠は数回に渡る神秘体験の後、古今東西の文献から自分と同じような事象を調べ上げて数本の論文を書いている。ひょっとすれば熊楠はエスパーだったのか。
 話が突然飛ぶが、筆者は昭和天皇が超能力者だった、という仮説を立てているので、一度だけ邂逅した二人はその後もテレパシーで話していた・・・無理だな。

晩年の

 ところで、この写真は晩年の熊楠-----ではない。
 だがよく似ていると思いませんか?
 誰だかわかった方はお知らせください。仮想通貨100万ソナー・ダラー差し上げます。
 ヒント。熊楠が大学予備門(旧制一高の前身)に通っていた時の同期です。

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Categories:潮目が変わった

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