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実録 三方ヶ原の戦い

2021 JUN 20 0:00:08 am by 西 牟呂雄

 越後の虎と言われ、生涯敗けなしの猛将・上杉謙信は一向一揆と対峙しながらイライラしていた。武田軍が躑躅ヶ碕の館から出て韮崎・小渕沢に動いたという報告が上がってきたのだ。ここで背後を突かれてはひとたまりもない。
 一方、浅井・朝倉連合軍と睨み合っていた織田信長も背中に汗が流れる思いで同じ知らせを聞いた。東美濃で国境を接してから、懐柔しようにも遜ろうにも硬軟自在の信玄には通じない。正直ホトホト手を焼いていた。そこへもってきて盟友の徳川家康が武田と小競り合いを始めてしまったことに気を揉んでいたところだ。
 そしてその家康、ここ浜松城は元はと言えば今川領である。謂わば旧敵地にヘリコプターで舞い降りたようなもの。しかも旧今川の本拠であった駿府は武田領となった。浜松と駿府の地侍はツーツーである。もし本気で信玄が攻め上ってきたらばどうなるか分かったものではない。おっとり刀で信長に応援を要請したのだが、信長が援軍として寄越したのはたったの3千人。
 追い打ちをかけるように新たな情報がもたらされた。武田の別動隊が甲府を出陣し南下し始めたというのだ。信玄得意の攪乱作戦に違いない。
 越後でも謙信が声を荒げていた。
「一体、信玄入道はいずこにある。甲府か!諏訪か!」
 無理もない。正面で4回対決した川中島でも陽動作戦には悩まされ続け、終いには単騎突撃するに至ったこともある。おまけに謙信が陣を払った後は、様々な調略によりかの地の国衆を傘下に納めてしまうのだ。

 突如、東美濃に武田方の秋山虎繁が2千5百の兵を率いて現れ、猛将・山県昌景が東三河に南下し、破竹の勢いで信長の六男御坊丸のいる岩村城を取り囲んだ。天兵が舞い降りたような早業に、調略を受けた岩村城はあっけなく開城してしまう。
 肝を冷やしたのは信長で、上杉謙信は胸を撫で下ろし、家康はパニックになった。信玄の本隊は後発の部隊だと分かったからだ。その本隊は駿河と遠江の境を超えて来る。
 浜松城には自分の兵8千と信長の援軍3千人がいる。籠城するか、迎え撃つか。武田軍の騎馬隊の強さは天下に知れ渡っている。当時の平均的編成は足軽7~8人に馬1頭だが、目の前の武田軍は総勢2万5千が1万頭の軍馬を引き連れており、その騎馬武者が独特の長槍を携え、猛烈な勢いで突進してくれば止めるのは不可能だ。
 家康は籠城に傾いたのだが、そうも言っていられなくなった。近隣の地侍が先を争って信玄になびき出したのである。我慢できなくなり、3千の兵を連れて威力偵察に出た。
 天竜川を渡り、一言坂の下から本多忠勝に5百ほどの兵を付けて先発させた。本多隊が坂を上りきって視界から消えたと思った途端、その忠勝を先頭に息せき切って駆け戻って来る。
「殿!大変です!武田の兵は我等を取り囲んでおります」
「なに!いかほどの数か」
「およそ1万。信玄率いる本隊です」
「そんなバカな。音もなく大軍が降って湧いたとでも申すか」
「とのー、あれを」
 指差した先には真っ赤な武者備えの大人数がヒタヒタと駆け下りて来るではないか、ホラ貝も吹かず鬨の声もあげずに、である。
「殿!お下知を」
「ターケ(たわけ)!逃げるんじゃー」
 3千人の総退却である。指揮もヘチマもない。灰神楽をひっくり返したように砂塵が舞い怒声が上がる。兎にも角にも馬に乗った家康を先頭に逃げに逃げた。本多忠勝は殿になり駆けに駆けた。見付(現在の磐田市)の集落にたどり着いて一息入れようとすると、なぜかそこには赤備えの騎馬隊がいるではないか。一体いつ先回りしたのか。
「一斉に放てー!」
 苦し紛れに家康は鉄砲を撃ちかけ火を放った。自分の領地を焼くのである。もはや作戦もクソもない。3千人はまだ戦もしていないのに敗残兵のように大火事の中を逃げる。天竜川が見えてきたが、一同目を見張った。何とそこにも騎馬隊がズラリと並んでいたのだった。
「もはや、これまでか。信玄恐るべし」
 家康は覚悟を決めた。と、その時、殿だった本多忠勝が飛ぶように駆け込んだ。鉄砲隊を連れての決死の突撃だった。本多忠勝は家康の側近中の側近。好んで危険な戦闘に飛び込むのだが、生涯かすり傷一つ負わなかった剛の者である。手には天下の三名槍と後に称えられる二丈余(約6m)の蜻蛉切りを携えていた。穂先に止まったとんぼが真っ二つになったのが名前の由来である。
「とのー!ごめーんん!」
 叫びながらの突撃にさすがの騎馬隊も割れ、家康は九死に一生を得たのだった。
 しかしこの遭遇は単なる脅し程度のもので、信玄本隊は二俣城に軍を向ける。

 浜松城での軍議は寂として誰も声を発しない。かろうじて家康が絞り出すように言った。
「信玄は妖術でも使うのか。あの騎馬武者は音も立てずに我等を追い抜いたとでも言うのか」
「おそらくは我等の動きを読んで先に迂回させていたかと」
「しからばなぜ一言坂に行くことが知れた。裏切り者でもいるのか」
「あれは確か殿とそれがしのみで謀ったことにござる」
「ともかくあんなのとまともに戦ったら勝ち目はない。籠城するぞ」
「敵は我が領地の庭先を悠々と二股に向っており候。遠江の地侍は雪崩を打って武田に馳せ参じております」
「ケッ、腰抜け共め。武田を片付けたら目にモノ見せてくれるわ」
 そこへ物見の武者が駆け込んできて庭先に平伏した。
「申し上げます。二股の城が落ちましてござる」
「なにー!あの堅固な城をか」
「いかだを組んで水を切られ候」
「ふうむ・・・・。服部半蔵いずこにある」
 家康が突然大声を上げた。
「庭先にて御座候」
「近う」
 半蔵が縁側のところまで進むと家康はわざわざ立ち上がって近づいていき、半蔵の耳元で何かをささやいた。諸将は家康が迷っていることを悟った。半蔵を呼ぶのは迷った時のいつもの癖である。それもそのはずで、このまま籠城している間に三河に進軍されれば岡崎の息子信康はひとたまりもない上に信長との同盟が破綻してしまうかもしれないからだ。
 旧暦の師走は日暮れも早い。軍装を解かぬまま夕餉を掻き込んでいる所に半蔵が帰ってきた。
「殿、服部半蔵おん前に」
「おう、どうじゃった」
「武田は奥三河に向う、とのこと」
「なんじゃとう」
「放っていた草はみなそう聞き、それがしも確認して候」
「こちらへ向かわず我が庭先に進軍するとは。岡崎の信康を潰して岩村より信長様の背後を突く」
「こうしてはおれぬ。殿、打って出ましょうぞ」
 大声で立ち上がったのは鬼のような形相の本多忠勝だった。

 三方ヶ原は東西10km南北15kmの広さで標高差は80mもある洪積台地。浜松からは見上げる形で2万8千の武田軍が整然と移動しているのが見えた。家康の手勢は信長の援軍をいれても1万程度。しかも出だしでこっぴどくやられているので、家康は鬨の声が上げられなかった。
 しかしついていくように軍を進めている内、まるで敵を追い詰めているような気分が高揚してしまい、先方の部隊が武田の殿に礫を投げ掛け始めた。すると武田側からも印打ち(円盤状の石)を掛けて来る。しかし行軍はそのまま粛々と進むので、家康の先鋒千人ほどがつい深入りした、その瞬間に全軍がピタリと動きを止め向きを変えると鉄砲隊が構えた。
 第一撃で前面がやられてもすぐには踏み止まれない。そこへいきなり50騎一組の塊で、次々と突進してきた。しかも例の長槍を携えている。ホラ貝の音も『突っ込め』の声もワーッといった歓声もない無言の突撃だ。家康も仰天するとともに先日の騎馬隊に追われた恐怖がまざまざと蘇った。
 叫び声を上げて次々に突かれ騎馬に踏み倒されていくのは家康の兵ばかりである。迎撃戦は破られ総崩れとなりかける。ただ一か所、家康軍左翼で本多忠勝隊のみ奮戦をしていた。あまりの攻撃の苛烈さについにもちこたえられず家康が下知した。
「引け―!浜松まで引くのじゃー」
 踵を返して近習と共にひたすら逃げに逃げた。しかしこっちが必死に駆けて居るのに武田菱の馬印の騎馬隊は後ろから迫るかと思いきや、天竜川の時のように向かう先に轡を並べていたり.終いには逃げる家康と成瀬吉右衛門、日下部兵右衛門、小栗忠蔵、島田治兵衛のわずか5人になったすぐ横を並走していた。這う這うの体で浜松に帰り着いた時は切腹まで覚悟した。

 家康は破れかぶれになり、全ての城門を開いて篝火を焚き、湯漬けを食べて寝た。猛将山県昌景が浜松に突入してきたが、空城の計(敵をおびき寄せるたのの策略)と勘違いしてそのまま引き上げた。
 一方、圧倒的に勝利した武田軍の陣中は勝ちに乗ずるかと思いきやさにあらず。
 実は信玄の病は既に手の付けられないほど進行していた。信玄の喋っている言葉が良く聞き取れないのだ。にもかかわらずあの整然とした戦を軍配一つで指揮できるのは武田軍団の日頃の鍛錬の賜物ではある。信玄は歯が全て抜け落ち、口の中にできものができていた。髪は剃髪していたので分からないが、もう無かった。幽鬼のような姿に成り果てて輿に乗るのがやっとだったのを、ここまで押して来たのだ。
 いよいよ危なくなってきた。勝頼と側近数名を呼び寄せてかすれる声で告げたのだった。
「我が死を3年秘匿し、ひたすら兵馬を養え」
 そして勝頼の名を上げて密かに伝えた。
「越後を頼る事」
 信玄は勝って病に伏し、宿命のライバルの名を上げて戦に明け暮れた生涯を終えた。
 家康はこの敗北を恥じ、その後の生涯に渡って同じ負けの轍を踏まぬように戦い続けた。負けて生き残り後に天下に覇を唱えることになる。そしてその前に、信長・秀吉の天下統一もまた無かったに違いない。
 あまりにも鮮やかな運命の天秤だった。

 なお「しかみ像」に関して、家康がこの敗戦の時の姿を模写させたと伝わるが、最近の研究では否定されている。

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