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酔った上の話

2021 JUL 10 13:13:46 pm by 西牟呂 憲

 宴もたけなわ、人は皆声が大きくなり笑い声が絶えない。皇族の一行が狩猟と称して近江の蒲生野までやってきた。今でいうピクニックである。毛氈を敷き山海の珍味が並べられ酒が振舞われた。
 斉明天皇崩御の後、白村江の戦いで負けて唐・新羅連合軍のまさかの対馬侵攻に備えざるを得ない不穏な世相であった。これを打開するために、中大兄皇子は都を近江大津宮へ遷都し、ようやく帝に即位した。この日はお祝いがてら臣下の者を連れての行幸だった。
 一人の大男が立ち上がって歌い出した。かなり酔っ払っており何を歌っているのか遠くからでは分からない。ところが、周りの男女(おそらくお付きの者達)の笑い声は大きくなる一方で、散らばっていた人々も集まり始めて人の輪が広がった。
 さる妙齢の女性が気を揉み出した。なぜなら今日の主催者であるツレの男の周りにいる人数を上回っている。ツレが気を悪くしないか、と踊っている酔っ払いに目をやった。するとその男もこちらを見ており視線が合った。男はニヤリと笑うと腰を振りながら更に歌う。周りは更に笑い転げる。こっけいな仕草と囃し立てる歓声に何やら猥雑な歌であることが見て取れた。そしてその間、男の視線の先に先程から気を揉んでいる女性がいることに人々も勘づいたようだった。その女は以前踊っている男の娘を産んでいたのだ。
 女はそっとしたためた紙を従者に託した。

あかねさす 紫野行き 標野行き 野守は見ずや 君が袖振る

 男は渡された歌を見ると破顔一笑した。そして周りには見せずに思わせぶりのようにゆっくりと大杯に満たした酒を飲みほした。取り巻きはかたづを呑んで次の節を聞こうと身を乗り出している。たっぷりと間を取ってはやにわに大声で踊った。
 
紫の匂へる妹を憎くあらば人妻ゆゑに我恋ひめやも

 ドッと湧いた歓声にさすがに女の傍らで側近達と談笑していた宴の主も気が付いた。
「なんだあれは。我が弟ではないか。しょうもないあんなに酔っぱらって」
 主が歌の内容を耳に留めたのかは分からないが、謹厳な表情は変わることはなかった。
 主は即位したばかりの天智天皇。傍らにいたのは歌人として名高い額田王、現在天皇の寵愛を受けていた。弟こそ大海皇子、後に壬申の乱を起こした天武天皇である。
 京都、湧泉寺は歴代天皇の位牌がある寺であるが、実はその中には天武天皇とその系統の7人の天皇の位牌はない。まさか酔っ払った挙句のこの歌のやり取りでしくじったわけではないだろうが。

 「一家三后(いっかさんごう)おめでとうございます」声が響き渡ると宴席の一族の者達は一斉に「おめでとうございます」と唱和した。一家三后とは三人の娘が入内し、皆天皇の后である中宮に叙されるという離れ業のことである。
 御堂関白は一条天皇に長女の彰子を、次の三条天皇には次女の妍子を、更には三条天皇を退位に追い込み、彰子の生んだ後一条天皇を即位させそこに三女の威子を入れるというゴリ押しぶりだった。相当な無理があるため、威子は9歳も年上のバランスの悪さである。
 ともあれ当の御堂関白・藤原道長は上機嫌で酒も進んだ。煌々と火の粉を巻き上げる松明の明かり。着飾った女たちの踊り。すり寄って来る青公家どものオベンチャラ。これらすべてに酔い痴れた。夜は更けていき、意識も朦朧としてきた時におもむろに立ち上がった。
「麿は一つ歌を詠もう」
 呂律は回っていない上、体はよろよろと前後に揺れ動く。果たしてまともに詠めるものなのか。
この世をば~~~わが世とぞ思ふ~~~望月の~~~~(ゲップ)虧(かけ)たることも~~~~なしと思へば~~~~(オェッ)
 遠巻きにしている者達には何を言っていたのか分からない始末。しかし近くにいた藤原実資には良く聞こえた。なんという下手な歌か。思うが2回も入っている語呂の悪さ、悪趣味な傲慢さ。元々ポストの奪い合いで仲の悪かった実資は、不愉快極まる歌として日記に書き記した。
 御堂関白・藤原道長は翌日、二日酔いで目覚めた時には、夕べの振る舞いとともに詠んだ歌のことは微塵も覚えていなかったが、実資の日記により後の傲岸不遜な道長像が出来上がったと言える。
 御一条天皇は当時の11歳で20歳の威子を入内させられたが、29歳で崩御してしまう。すると威子も半年後に疱瘡で亡くなった。仲睦まじい夫婦であったことを祈るのみである。

 毀誉褒貶はあるものの、最後の将軍である徳川慶喜は頭の切れる才人だったことは間違いない。生まれた時代が悪すぎた。
 何しろ尊王攘夷運動の流れでさえもまっすぐに流れてはくれないのだ。尊王攘夷で散々暴れた長州が追っ払われると、一緒に追っ払った側の薩摩は国父として久光が前面に出てきて開国を主張する。公武合体論者だった前藩主斉彬が死んで藩政を取り仕切りだした。
 既に開港していた横浜は、一旦は鎖港の勅諭が出てしまっており、幕閣は外交交渉を始めていた。将軍後見の慶喜は既に開国論者になっていたため、鎖港などやりたくもない。貿易は大儲けだからだ。
 一方、長州を切った後に京都政界の主導権争いは雄藩の参与会議で合議する体制が久光主導で固まりつつあり、薩摩の島津久光、越前の松平春嶽、土佐の山内容堂、宇和島の伊達宗城に会津の松平容保と一橋慶喜が任命される。
 ところが、慶喜は前藩主斉彬とはあんなにケミストリーが合ったにもかかわらず、その弟の久光とは全く相容れなかった。斉彬は嫡男として江戸で育った開明派だったが鹿児島弁丸出しの久光はゴリゴリの保守派なのだ。そのため薩摩藩内でも深刻な対立によって血が流れ、西郷も遠島されたりする。ともあれ久光がデカい面をするのが気に障ってしょうがない。横浜問題はそのナイーブさからとんでもない方向に向かってしまう。
 将軍家茂が上奏を終えた後に、中川宮を通じて鎖港再考を伝えられると慶喜は本音とは逆に激高する。
 中川宮が手打ちとでも思ったか、慶喜以下、久光、松平春嶽、伊達宗城を招いた席には、茶碗5杯の冷酒を一気飲みし、わざと泥酔し乗り込んだ。確信犯だからたまらない。
 まずは佩刀をかざし、切るの切腹するのと脅し上げる(これは諸侯とは別に単独で行った時という説もある。深夜、帯刀して強硬訪問して絡み倒したと)。そして三人を『この3人は天下の大愚物・大奸物』とやらかす。挙句の果てに『宮は島津殿からいかほど用立てられたか』とまで言った。そしてベロベロになって春嶽に抱えられて退出したとか(演技説があるが酔っ払っていたに決まってる)。
 こんなに酔ってそこまで饒舌を奮えるものかと訝しむ向きもあるが、さにあらず。このテの酒乱は酒が進めば進むほど頭が冴えて来る気がして(本人だけ)、早口になるは攻撃的になるは。そして翌日は全く覚えていない。こういう人がいるのである、筆者がそうだ。筆者は慶喜程の切れ者ではないが、気持ちよく酔っ払った翌日、ひどい二日酔いでやれやれ楽しかったなぁとふやけていると『いやー、ゆうべは大暴れでしたね』などと言われ何度慌てたことか。今思い出しても致命的なしくじりは数えきれない。ついでに言えば大怪我に至ったことも何回かある、どうでもいいことだが。
 慶喜の場合は薩摩・宇和島はまあいいとして松平春嶽を不快にさせたのは致命的だった。福井は親藩だったのに距離を置くことになり、そのノリで御三家尾張まで離反させる結果を招いた。日本史の転換点となった酒乱ではないか。
 そういえば、目下大河ドラマで見事に慶喜を演じている草薙も夜中に裸で暴れて捕まっていた。

 時は下って戦後。抜群の秀才を以て鳴る内閣官房長官宮澤喜一。この人がまた酒乱だった。
 筆者はさる縁で、直接ではないがその酷さを聞いた。
「あのチンピラがよ、嵩にかかってオレを面接したんだぜ。十年も早いと思わねーか」
 チンピラとは当時の田中派幹部で幹事長職にあった小沢一郎である。
 この話を教えてくれた人と、あるおめでたい席で一緒だった時、宮沢官房長官(当時)の祝電が披露されたので『『随分な大物とお付き合いがあるんですね』と言うと、その人は『うん、あれはなー、オレが打ったんだ。ガハハ』とうそぶいた。唖然とする筆者に『一応、祝電打ちますよ、と伝えたんだけどベロベオに酔ってたから覚えてねーだろな』だそうだ。
 本人も自覚があったらしく、総理大臣になってからは禁酒したんだとか。
 中川昭一センセイも凄い会見をしてたっけ。

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Categories:潮目が変わった

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