Sonar Members Club No.36

Since July 2013

ようやく秋 と思ったら冬

2023 NOV 13 23:23:24 pm by 西 牟呂雄

 山荘は朝晩は寒い。枯葉が散ってくる。伸び放題の草を刈って野焼きする。
 11月になってやっと秋めいてきた。

本当は枯葉が舞ってます

 枯れ葉は穏やかな視界のどこかでひらひらと落ちて、一たび風が吹けば一斉に踊るがごとく舞い散っていく。さながら桜が散るごとく。何とか吹雪のような枯れ葉の舞いを撮りたいと30分粘ったがダメだった。
 春を告げる桜と晩秋の一年に二度、勢いのあるものが一斉に失せてしまうのを見続けた日本人は独特の感性を身に纏ったのだろう。季節の変わり目にいきなり姿を変える風景は無常観といえばそうかもしれないが、もう一ひねりしてみたい。どうだろう、我々が、もちろん普通に持っている普遍的な闘争心とか怒りとかは別として、時に見せる憐憫の情、或いは寂しさとも言える感情が培われたのではないか。
 更にもう少し掘り下げてみたいが『さて、明日は何があるかな』という具合の明るさ、あまり人は共感しないかもしれないが僕は日本人は独特の明るさを持っていると考えていて、その明るさも四季の移ろいや度重なる自然災害が培ったものとは言えないだろうか。
 1万年続いた縄文時代に今の私が考えたことと同じことを思った誰かがいたのは間違いない、その後に続く弥生・農耕時代は更に、と思えるのだ。

黄色いもみじ

 ところで今年の夏の異常な暑さで、例えば紅葉に異変が起きている。もみじが赤くなっていない、むしろ見たこともない黄色だ。黄色いもみじは何を示唆しているのか。もう一本はまだ緑い。おまけに柿がなったのでシブ柿だから干してみたのだが、念のために齧ってみたらなんと甘い!僕の記憶違いなのだろうか、それとも暑さのせいで甘くなってしまったのか。
 この年になってこんな環境の変化を目の当たりにするとは思わなかったが或る意味我々世代の責任とも言える。
 我々はいったい何をしてきたのか。次世代に何を残せるのか。僕は今のところ見習い農業でジャガイモやニンニクを造って、セッセと食料を生産しで酸素を供給している。アグリ万歳!

 さて、信長公記に『其日は、もとすに至つて御陣を移させられ』と書かれていて、これは甲州攻め帰り本栖湖を通って行った記録である。天気もいいから本栖湖まで足を延ばして信長の見た富士山でも楽しもうか。本栖湖は透明度の高さで名高いが、そこから富士山を眺めたことはなかった。子供の頃に遊びに来たことはあるが、泳いだ記憶だけが残っている。
 その後、本栖湖と隣の精進湖の間にかのオウムのサティアンがつくられていたため気味が悪くて近寄らなかった。跡地にテーマ・パークが建設されたが潰れている。あんなゲンの悪い所じゃね。
 本栖湖は明るく輝いていた。信長はこの富士山をみた二カ月後に本能寺で死ぬ。
 現地で初めて知ったが、千円札や五千円札の裏に刷られている富士山はここからの眺めだとか。お札を見ると将にこの姿なので僕も。

 本物はもう少し高い所から撮ったようだ。満足して帰ってきたら何と3年ぶりの木枯らし1号が吹いて、北関東では雪。
 オイオイ、秋はどこに行った。やっぱりおかしいよ。

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ソウル・イリュージョン・イン喜寿庵

2023 OCT 31 23:23:31 pm by 西 牟呂雄

 ヘッド・セットのボリュームはマックス。
 外界の音は遮断されている。
 難聴になりそうな大音量が体を揺さぶる。
 ノート・PCに繋いだスクリーンからは
  プリンスが爬虫類のような表情でギターを掻き鳴らす。
 プロポーション抜群の双子の黒人女性が華奢な手足を振り回し 
 ヴォリューム満点の黒人女性コーラス。
 リズム・リズム・リズム!プリンズはクネクネとギターを。
 インド系が入っているものすごい美人のチョッパー。
 さらにプリンスはギターをベースに持ち替えてますます熱を帯びる。
 性的エクスタシーの高みに上ったような表情。
PLAY THAT FUNKY MUSIC
 

 外に出れば満天の星。
 僕はリズム感に高揚したまま実体を失っている。
  強い酒がヒリヒリするほど食道を伝って滴る。
ファッキュー!!
 影ができるほどの明るい月。
 時差8時間の大地で兵士は血を流し、民間人も傷つき死の淵にいる。
 
 十年前に勝手に国境を変えようとした独裁者。
 私怨から元総理を銃撃したガイキチ。
 真似をして爆弾を投げたガキ。
 某国が支援疲れを起こしたのを見越して攻撃・人質を取ったテロリスト。
 陰謀論ではカバーできない悪意の国家。
 それどころか、その悪意に擦り寄りかねない国内諸派。
もう一度ファッキュー!!
 寒くなって来たのでまた母屋に帰って酒を呷る。
 徹底的に殺しあえ。
 気が済むまで殺しあえ。
 憎しみあえ。
 
 数十年前に世界を相手にたった一国で戦っていた1945年に。
 支援物資などどこからも来ず、
  絨毯爆撃を食らって原爆まで落とされた。
 人類は一晩に十万人を殺さなくなっても
  1年に一万人は殺す戦争をやめられない。
 これが人類の知恵の結果か。こんなものが進化か。
 グローバリストの求めたものはこれか。
 
 ガッデーム!攘夷!攘夷!攘夷!
 もっと聞かせてくれ。
 もっと揺さぶってくれ。
 魂が震えるまで。
 酔えばいい。
 踊ればいい。
 
 熱くなってきた。ボトル片手に外に出る。
 雲が出て漆黒の闇。
 欲しいのはこれさ。
 音をあげろ。
輝け。叫べ。踊れ。飛べ。
 狂え!狂え!狂え!
HOLD ON I’M COMMING

 最後は夏の残りの花火を。
 真夜中の小さな花火さびしかろ。

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狂言『昆布売』並びに 能『巴』 

2023 OCT 22 0:00:00 am by 西 牟呂雄

 野村萬斎という人はどれ程の才能の持ち主なのか、ちょっと計り知れないところがある。今年の薪能では『昆布売』を万作さんとのコンビでやった。

 侍役が萬斎さんで昆布売が万作さんだったのだが、出てくるところからオーラが出ていた。
 つくづく思うのだが、この人と團十郎とではオーラの種類が違っている。どちらも華があり、伝統に裏打ちされ磨かれた芸があり、舞台に出ると強烈なオーラを発する。十才違いのこの二人、いずれも人間国宝になっていくだろう。
 ただ、際立った違いは團十郎は単に歌舞伎の天才、萬斎はマルチな才能ということになるのではないか。
 團十郎が歌舞伎以外の例えばテレビに出ると、それが時代劇であっても大して面白くならない。以前の大河ドラマで信長役だった。大いに期待してそれなりに良かったのだがイマイチ感が残った。何故か。それはテレビは役者の意思にかかわらずアップにしたりカットするからだ。團十郎の芸は全身を使って所作する舞台が基本で、またそれしかできないのだ。稽古嫌いで知られ酒癖も悪い團十郎は画像に残る演技はできない。成田屋の十八番芸、邪を祓うという『睨み』なぞ、画面でアップされたら面白くもなんともない一発芸だ。

 そこへいくと萬斎は現代劇に出ても味のある演技ができるので、テレビ・映画でも重宝されている。おまけにこの人は芸大を卒業し、東大の非常勤講師をやったこともある教養人だ。
 密かに温めている企画がある。わがまま放題に育ったヤクザの二代目VSそいつを執拗に追い詰めるキャリア刑事の映画を、深作欣二や北野タケシがやるようなノン・ストップ・ロング・カットで撮ってみたい。どっちがどっちかはお分かりだろう。やはり歌舞伎は大衆の、能・狂言は武士の芸ということか。

 さて、御父上の万作さん、御年93才。この度文化勲章おめでとうございます。『まず美しくないとダメ。次に面白さが必要。そして最後に笑いがある』とは至言。矍鑠とされていて姿勢もいい。ただ、どうしても声にでますな。

 能の方は『修羅物』といって武将の霊が出てくる話だが、その中でも唯一女の霊の『巴』。美貌・怪力で木曽義仲の愛妾、巴御前のことだ。
 台詞の中に『なにものがおわしまするかしらねどもかたじけなさになみだこぼるる』とあって、ハッとした。これ、西行ではないか。一瞬、西行法師が能のセリフをパクッたのかと混乱したが、能の成立は室町時代で西行のいた鎌倉時代の遥か後である。帰って調べたら『古の歌人が謡った「なにものが~」のように』と挿入された台詞だった。あー安心した。

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波よ風よ雲よ

2023 OCT 16 20:20:10 pm by 西 牟呂雄

 インドから戻ったら日本は秋になっていた。風は爽やかに、そうなると海は透明度を増して、夕暮れは息を飲む色合いになる。それが見たくて波打ち際に行きたくなります。この時期、若大将カップといって逗子沖から茅ヶ崎沖のえぼし岩の往復を競うクルーザー・レースが開催されるので、そのスタートを見に行きました。

 前日に秘密基地(合鍵を借りている某氏の別荘)に行くと、眼前に広がる相模湾はご覧の明るさです。
 私はビール片手に風に当たりながら先日訪問したインドのことを思い出していました。
 従業員の女性達は大変貧しいですが、あの人達はインド高原の大地で形而上の世界を生きていて、こんな明るい海を見ることは生涯ないかもしれません。ですが様々な宗教的戒律とカーストに縛られつつ気楽に生きています。
 それと我々日本人の生活と比べることは無意味で、彼らを憐れむこともうらやましがることもありません。
 ただ時間だけは同じように過ぎ去って行くだけです。
 この明るい景観も遷ろっていきます。

 などと思いつつ一晩寝て起きたらこんな海になっていました。レースはきょうです。
 インド人もクソもなく海に出てみれば14~15ノットの強烈な北風でした。
 目指すのは江の島沖、北上しました。正確には北西に進路を取って江の島を右に見る頃にタックします。
 スタートには間に合いました。5分前予告信号(音響 短音1声、掲揚)、4分前準備信号(音響 短音1声、掲揚)、1分前(準備信号旗降下 音響 長音1声)、スタート(予告信号旗降下 音響 短音 1声)。
 応援している仲間の船は5分前にはスタートラインから大きく離れた海域にいて信号音と共にタック、徐々に風を捉えて満を持したスピードで飛び出しました。お見事!
 北風に対してアビームといってゼネカーというセールを出してフルスピードで進みます。仲間のレース艇は飛ぶように行ってしまい、江の島沖まで追いかけて僕達はホームに向けて北に舵を切りました。というのも天気が怪しく、今にも降りそうだったので。
 風が強くなると白波が立ってきて追い風で船足が7ノットと早まります。
 振り返るともう、えぼし岩を回った船が見えました。早いなぁ。

 波は基本的には同じところの海面が上がったり下がったりしているだけですから、うねりが動いているように見えても潮の流れとは関係なし。陸地の見えないセーリングではコンパスだけを頼りに、その怪しげに上下するだけの水面を見ながら舵を取ります。そういう時は操船に集中するのですが、心は宙に浮いたような気に陥ります。何も考えていないでボーッとしているのじゃないですよ。何と言うかやったことはありませんが禅の修行はこんなではないかと思えます。
 港に入るとホッとするような、何か掴んだようなリハビリが終わったような気分です。レースはこうは行きませんが、そっちは別の達成感があるでしょう。
 それは海上に出ると海の圧倒的な質量に抱かれるからでしょうか。陸から眺める海とは明らかに違っています。山登りも山の質感が同じ作用をもたらすのか、今度は久しぶりに喜寿庵からお城山(海抜千m)に登ってみようかな。
 アッ、手首にポツッと雫が。これから雨降りなんだ。

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インド再び

2023 OCT 8 13:13:13 pm by 西 牟呂雄

 ロシアに対する制裁どころか、非難決議にも加わらない。クアッドに加わりつつも中国とも対話する。我が道を進むインドは目下順調な経済成長を遂げている。鉄鋼生産はもうすぐ日本を抜き去り、近いうちに2倍の能力を持つだろう。
 無論宗教・人権・格差といった問題は山積しているが、そもそもインドは矛盾の塊なのだ。個別の問題にガタガタ言い出してはインドとは付き合えない。重層的な文化の蓄積と現実とのギャップ、同じ空間に最先端と原始的伝統が自然に共存する姿は、仮に全く先入観がなくとも一歩踏み込んだだけですぐ分かる。
 高度にゲジタル化されたシステムはあるが、それを使う人間の非効率さ・時間間隔の無さは救いがたい。近代的な外観のハイテク・ビルの横にゴミの山。経済成長にインフラが追い付かず、信号のない交差点の渋滞は殺人的ですらある。救急車が渋滞にハマって立往生していた。
 今回の滞在中に隣の州と水争いが起こり、工場が一日止まった。9月は雨期の始まりなのだが、今年は夏の雨が極端に少なくて、ダムの放水を中止したところ、下流の都市が水不足に陥ったので政治問題化した結果だ。以前に滞在した時にも同じことが起こり、その時は下流のチェンナイ市で暴動が起きたため、それを阻止しようと州境に古タイヤを並べて火をつけて防御していた。滞在したカタルーナカ州と下流にあたるタミルナドゥ州は昔から中が悪く、言葉まで違う(カンナダ語とタミル語)。この両州の水利問題を調整したのは今から百年以上前の統治者であるイギリスで、成文化しているのかどうか知らないが、その時の両州のマハラジャが結んだコントラクトが準拠法だと聞いたのだが、本当かね。

ゴチャゴチャ

 さて9月末に降り立った南インドの高原都市は日本よりはるかに涼しく、夜はエアコンいらずの過ごし易さだった。そして8日間ホテル暮らしをしたので、その住環境をお伝えしたい。
 場所は中心部から車で2時間程の、まあ田舎町である。ただし前述の殺人的渋滞の2時間だから距離的には30kmくらいだが、幹線道路の両側は十分に田舎だ。
 一歩踏み入れるとご覧のようなスラムではないもののゴチャゴチャな村で、道端にはやせて飢え死に寸前の子犬がいる。犬はそこら中に繋がれもしないでウロウロしていて、人間から離れないから野犬ではないのだろうが飼い主がいるのかどうか。

ノラ

 工業団地にも群れがたむろしていた。
 ところが、我が工場に繋がれて従業員から愛されていた犬、ソニーは訪問直前に死んでしまった。
 パートナーたちはそれを悲しみ、火葬にしてやっていたが犬の社会的な地位は非常に低いため大変奇異な感じがした。
 犬にとってはどうでもいいことだろうに。さらにパートナー氏はその辺にノラには何の憐憫の情を示さない。まぁそれぞれ独特のルールがあるのだろう。

 さて、そのゴチャゴチャの街の一角のゲートで仕切られたところにホテルはある。
 一見洒落た感じのたたずまいの入り口で、フロントを通ると芝生の中庭、そこを通って3階建ての客室棟、禁煙の表示の部屋には灰皿があった。
 片田舎のホテルにしてはまずまずの住環境と言える。
 ただし、メシは頂けない。
 朝はおじやみたいなドロドロのスープがカレー味だったり甘かったり。それにオムレツなんかをトッピングして後はトースト。夜はかろうじてチキンくらいが食べられるが、他に何やらメニューにあった物を食べる根性はなかった。

 かといって、外にあるレストランはこの恐ろしさで、中を覗いてみると大きな鍋にドボドボ油を注いで何かを揚げているのだが、その何かは原型をとどめていない塊である。しかもこいつらは本来ヴェジタリアンのはずだが、このレベルの連中はかなり怪しく、そこらの野犬の肉かもしれないと想像するととても食指がわかない。旅人が珍しがって食べてひっくり返ったら迷惑千判だから遠慮した。

 その隣には屋台というかホッタテ小屋の露店でココナッツの実を売っている。見ているとこのオッサンが青龍刀のような野蛮な大鉈でガシガシガシッと叩き割り、真ん中あたりのジュースをストローで吸う。問題はそのストローで、誰かが使ったかもしれないものを洗いもしないで使うのだ。
 日本では新たなコロナが拡がっていると言うのに、こいつらはこんな暮らしをしていても『もう患者はいない。オーバーだ』というが信じられる訳がない。調べなくなったに違いない。

 そもそもこのオヤジが売っているヤシの実にしてから、ヤシの木はそこら中に生えていてご覧の『落ちて来るココナッツに注意』という看板がかかっている。こいつが大きな農園のオーナーなはずはないので、その辺に落ちてたヤシの実を売っているのはミエミエだ。
 しかし仮に仕入れがタダでも恐ろしく生産性の低い商売に違いなく、このオッサンもこのジュースだけで生計をたてているのではあるまい。だがそこに厳然とカーーストが張り巡らされ、このジュース売りはエリアを独占している。従ってオッサンはオッサンである種の誇りを持ち、時間を持て余しつつ毎日を過ごしている(多分)。
 そもそも、大部分の個人が『形而上』の思考で様々な営みを捉えているから、何百もあるという宗教だのカーストだのといった複雑な社会が成り立つのであって、我々からすれば奇怪な社会がかろうじて成立している。かのエマニュエル・トッドはここ南インドの家族制度を、親は子に対し権威的であり、子供の教育に熱心、女性の地位は高いとし、カースト制度と親和性が高いと考察した。繰り返しになるがインドは一つの国とか民族という概念には納まらない。
 それはそれで、日本人の僕はここでは一体何者なんだろう、インドの一角で時間が僕を通り過ぎていくのをジワリと感じながら涼しいベッドで眠った。

こっちを見てる

 翌日、ニワトリだのガチョウだかのけたたましい鳴き声で目が醒める。涼しい。どれ、散歩でも。と中庭に降りた。
 すると奥の方には只ならぬ気配がして足を進めた。
 子供用のプールなども整備され、リゾート気分が漂うが、ここの水で泳げるのは外国人ではなかろう。
 と、遠くからの視線。乳牛がいるではないか。ノラではない。
 更に奥の方ではホルスタインではない水牛みたいな白い親子がじゃれあっている。ホテルに牛!!

オッパイ欲しい

 なかなかワイルドな趣だが、きのうまで楽しんだ朝食のココナッツ・ミルクはやめた。あの牛と落ちたヤシの実じゃ・・・。
 やはり僕はヒンドゥー教徒にもインド人にもなれそうもない。
 だがそれは彼らも同じ。日本人にはなれない。それでも仲良くはできる。
 原色の花があざやかだった。

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坂の上の霧

2023 OCT 1 0:00:15 am by 西 牟呂雄

 司馬遼太郎の『坂の上の雲』は明治日本の勃興を正岡子規と秋山兄弟を軸に描いた名作である。
 秋山兄弟は二人とも華があるので、物語を一層引き立てたのだが、明治期は二度の対外戦争があったこともあり、同じように兄弟で戦った人材は多いはずだ。
 そう思って調べてみたらやはりいた。こちらは陸軍の田村3兄弟。

田村守衛

 上記坂の上の雲で、日露戦争の激戦である黒溝台の会戦の描写がある。数万の敵中に孤立する秋山好古の元に総司令部からただ一騎でやってきた参謀がいた。様子を尋ねる騎兵中佐に好古は「見てのとおり、無事だ」と答える。この一騎の中佐参謀は騎兵科で好古の後輩に当たる田村守衛中佐であった。
 この人は陸士(新)5期、陸大は首席で卒業した秀才で、大正時代に陸大校長となった陸軍少将(没後中将)なのだが、長兄は田村怡与造というやはり陸軍中将だ。

田村 怡与造

 怡与造は学制の整う前の私塾で学び、明治の学制施行後にいきなり小学校の校長となった経歴の持ち主で、その後に陸士(旧2期)に進んだ。更に普仏戦争によって軍制がフランス式からドイツ式に変わるタイミングでドイツに留学し、帰国後参謀本部にて『野外要務令』『兵站勤務令』の策定に多大な功績を残した。クラウゼヴィッツの『戦争論』の翻訳を旧知の森鴎外に勧めたのも怡与造である。
 日清戦争でははじめは大本営の兵站参謀、後に第一軍参謀副長として指導に当たった。切れ者として有名で実務能力も高かったため、出身地の山梨にちなんで『今信玄』と称されたことが『坂の上の雲』にも記述がある。ドイツ駐在武官を経て、いよいよロシアとの関係がヤバくなってくると参謀本部次長として作戦立案に勤しむが、あまりの激務に開戦前年に死去してしまった。
 怡与造が長男で守衛は確か四男と記憶するが、その間の3男沖之甫も陸士(旧10期)陸大(13期)を卒業し砲兵科を歩んでいる。日露戦争においては火力を充実させた第四軍の砲兵参謀として従軍。戦後は陸軍砲工学校長・中将に昇進した。
 田村家は武蔵七党をルーツに持つ家で、兄弟の父義事は神職をしながら養蚕に功績があった人。更には刀工・一徳斎助則として刀剣を鍛えたとある。多彩と言うか不思議な系譜の一族と言えよう。
 思うに勃興する明治とは地方の草莽に埋もれていた宝石のような人材が、ごくごく真面目に支えた国家であり、どの辺境にもこの田村家のような物語はあるであろう。

田村義富

 そしてその行きついたところはどこかと言えば、田村家にもオチがある。兄弟のなかで唯一実業の道に進んだ次男、濤二郎の息子、田村義富は伯父・叔父達の後を追うように幼年学校・陸士・陸大と軍エリートの道を進む。陸大は恩賜組という優秀な人材だった。
 このジェネレーションは当然のように先の大戦に巻きこまれる。真珠湾前の昭和13年には 北支那方面軍参謀として大陸に派遣され、開戦直前には大佐となって悪名高き関東軍の参謀であった。最後は終戦時に南方戦線第31軍参謀長の陸軍少将であり、任地グアムの激戦中に戦死する。グアムではその作戦能力と胆力で『カミソリ参謀』と称されていた。
 即ち、田村一族は近代日本の勃興と挫折を、対外戦争の始まりから終焉に軍人として足跡を残したことになる。
 司馬遼太郎は名作『坂の上の雲』で秋山兄弟とその時代を、坂の上に見える雲を目指して登って行ったことになぞらえたが、田村一族の目には坂の上に何が見えていたのだろう。確かにスタート時点では白き雲が輝いて見えたかもしれないが、登り切った時点で、そこには濃い霧に覆われていたに違いない。
 田村家は山梨県の一之宮から、2ジェネレーションで4人の陸軍中将を出した。一族のその後を知らないが、平和な戦後には子孫が経済界で活躍したことだろう。

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ビブラフォンの誘惑 Ⅱ

2023 SEP 24 6:06:28 am by 西 牟呂雄

 

 仲良しの大井貴司さんの演奏を聞きに行った。
 この人はお茶目なところがあって『さて、次の曲はなんでしょう』と言いながらソロをとり、バックが入って始まったら『ルビーの指輪』だった。
 アメリカではモダン・ジャズ・カルテットとも共演していて、同じビブラフォン・プレイヤーのミルト・ジャクソンのスティックを譲り受けたこともあり、よく演奏もしている。
 今回のレパートリーにピアノのジョン・ルイスが書いたヴァンドームをやったのだが、あれっこれってバッハじゃないの、と気になった。出だしのピアノとの輪唱のような掛け合いでハッとした。
 無論僕は熱心なバッハの聞き手ではないが,亡母が好きで1日中流れていた記憶があるので、刷り込まれたのかもしれない。それでジョン・ルイスを検索してみると、1980年代になってバッハの「平均律クラヴィーア曲集 前奏曲とフーガ」の全曲を、アドリヴも入れながら吹き込んでいる。やはり素養があったのだろう。聞いてみたかったが、TOUTUBEにはソースが見当たらなかった。バッハのコード進行はスタンダード・ジャズとは比べ物にならない程複雑だから、リズム・セクションはともかくどんなアレンジで編曲したのか興味は尽きない。

 それこそ大昔の話になるが、山中湖で大きなジャズ・フェスがあった時に大井さんやバンドのメンバーと一緒に聞きに行き、喜寿庵に泊って大騒ぎをしたことがあった。その時にこの業界の連中の物凄さを目の当たりにしてビビッた。時間は守らず行動計画もなく金銭感覚もない。十人程が雑魚寝をしたのだが、メンバー同士知らない人が混じり、アンプを持ち込みギターやらベースをかき鳴らし、見たこともない女性二人はただの飲み屋のオネーチャンだったことが後で分かった。当時のこととはいえ、運転した途端にビールを飲みだしたのには唖然とするしかなかった。この人達はあんなにテクニックがあるのに、クラシックの道に(一応音大を出ているにもかかわらず)進めなかった理由の一端が覗けた気がしたものだった。
 ヴァンドームの演奏シーンがアップされてたのでお楽しみください。

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大相撲観戦記

2023 SEP 20 0:00:51 am by 西 牟呂雄

 いわゆるそのスジのこわもての人はケンカのプロなので、空手・柔道・ボクシングと心得のある人も多い。それがどの格闘技経験者が一番強いか、という問いには一様に相撲を上げるそうだ。僕としてはプロレスと言いたいところだが、ストリート・ファイトの場合下はマットではないので寝技には至らないし、バック・ドロップなんかは自分の頭もコンクリートに当たる。その点、ダウンしたら即負けの相撲取りは立ち続ける体幹能力と前に出るスピードがズバ抜けているとか。おまけにあの体型なので、蹴りでもパンチでもめりこんでしまってダメージは少ないらしい。昔、空手バカ一代に夢中になって、ブルース・リーにかぶれていた時は極真空手地上最強にも納得感があったが、ストリートでデス・マッチをやったらどうなのか。

ズラリ!

 どういう訳か、横綱不在の今場所の升席が手に入ったので昨日(18日)国技館に足を運んだ。向こう正面だったので、立ち合いの時に行司が邪魔なのが難点だが、バチッっとかドスッあるいはゴンッっといった音が聞こえるのは迫力満点である。
 何度か仕切り直しをしていると、見る見る力士の表情が強張り顔色まで変わる。これは土俵下からでないとなかなか伝わらない。テレビ中継はカメラが見下ろすような場所なので目線が高いのだ。
 つくづく相撲は日本の文化だと思う。厳しいく辛い稽古を続けて全力で戦い、一瞬で勝負が決まってしまう。無論これを毎日やるのは持続力も忍耐力も必要なのだが、この一瞬にかけて一勝負するのはプロレスともボクシングとも明らかに違う。例えは適切ではないかもしれないが、真珠湾である。そこで勝った気になった。兵站も戦略も戦争設計もしないで一度勝って・・・。

それっ

 それはさておき、もう一つは様式美。作法に従って礼を重んじ土の上で戦う、反則は一切なし。大好きなプロレスはそれが全部なくて、それはそれで鑑賞の仕方があるが(八百長が無くなった)相撲は相撲でいい、強い。
 贔屓の力士がいる場合は応援に熱が入る。翔猿という人気力士の染め抜きの浴衣を羽織った一団が右前の席にいて、取り組みの時の気合の入り方は尋常でない。するとつられて両隣の席までが声を出し、即席の大応援団が出現した。蹴手繰り・蹴返しと言った足技が多彩な力士だが、この日は負けた。すると中の女性は『ありゃ何だ』と烈火のごとく怒っていた。
 困ったことに(別に困らないが)桝席はお茶屋さんから注文を取りに来てビールや日本酒がいくらでも頼める。途中お弁当も食べるので、飲み食いに夢中になっていたりすると立ち合いを見逃す。酒やお弁当を裁っ着け袴(たっつけばかま)のアニサンが持ってきてくれるのだが、その時にチップを渡す。この時にポチ袋で渡したり財布を取り出してお札を抜き出すのはヤボで、上着のポケットなんかからシャッと千円札を出すと何故かカッコいいことになっている。すると『ヘイ、ゴッツアン』となって何回も聞きに来てくれる。このアニサン達は『出方(でかた)』と呼ばれ、かつては年3回の本場所だけで食って普段はブラブラ遊んでいる人が多かった。即ち年間45日しか働かない遊び人の代名詞で、僕の憧れの職業だったが、今は他に正業(自営業が多い)を持っているらしい。

 さあ、結びの一番は新大関豊昇龍と関脇琴ノ若。豊昇龍は今場所は調子が悪く、仕切りの間は噛みつきそうな表情である。 大歓声の中土俵際で豊昇龍が飛び込むように突っ込むと、琴ノ若はジャンプしたように見えた。豊昇龍の勝ちに見えたが即物言いがついて長いこともめた。
 何と行司差し違えで琴ノ若の勝ち。解説に寄ると豊昇龍の足の甲が既に返っていたので死に体と見なされた。よくわかったな、と感心していたら、ビデオ室からの画像で確認されたのだとか。おかげで立行司は進退伺を八角親方に出したらしい。
 ふーん、進化してるもんだな。
 ハッケヨーイ!

相撲の始まり

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哲学者と政治家 右派からの検証

2023 SEP 14 10:10:37 am by 西 牟呂雄

 安部元総理が凶弾に倒れて1年過ぎた。
 保守系月刊誌を中心とした保守論壇は特集を組み、元総理を懐かしんでおり、左派は相変わらず日本をダメにした、という論陣を張っている。
 あれだけ長期政権が維持できたということに一定の評価がなされるのは当たり前であり、その間鬱屈した思いだった人々の恨み節も有りだろう。だが国会論戦(論戦と言っていいかどうか)を見ていればお花畑左派の情けなさは多くの国民の失望を招き、元総理在任中の選挙は全て負けたことが国民の健全な良識が信頼に足るものの証明だろう。その昔デモに一度や二度参加したようなオールド・リベラルが、安倍が日本をメチャクチャにしたと嘆くのは滑稽を通り越している。
 私自身右派であるから、元総理の功績を高く評価する者であるが、最近の右派はもっぱらLGBT法案を嘆き、日米韓に舵を切った現政権の攻撃に徹しているが、どうであろう。保守派の矜持として元総理の右派からの批判を検証することは必要で、なぜなら保守は常に鍛え続けなければ必ず堕落するからなのだ。
 まぁ、私のようなアウトローは保守派といっても、地べたを這いずるような暮らしの中で御上(おかみ)の勘違いは無視することが可能だ。例えばLGBT法案など法律にしなければならないのかね、程度の感覚でいたため法案成立にかけられたエネルギーを冷笑する立ち位置。韓国の尹大統領個人に期待はするものの、どうせまた反日の政治家が台頭するだろうから信用はしない。アメリカについてはその悪意を認識しているが、消去法で他に頼れるところはない。なにしろ負けてしまったのだから。そもそも挑発に乗って真珠湾をやったのが大間違いではあるものの、仮にやらなかったら日米関係はどうなっていたかと言えば、どう想像をたくましくしても目下の状況と大して変わらないだろう。お若い方々はバブル以前をご存じないだろうが、繊維・鉄鋼・自動車・半導体と次々に難癖をつけられて、挙句の果てにバブルの崩壊に追い込まれた経緯を踏まえればよく分かる。1990年に私はヒラ社員だったが、つくづく我々はアングロサクソンには二度負けた、と思った。
 話は戻って、公平を期するために普段保守派と言われる連中の安倍批判を探ってみたところ、ある新書を見つけた。
 哲学者を称する適菜収、ニーチェの研究者らしい。一読、あまりの見識の低さに呆れた。こんなのがマスコミに雑文を書き散らしているのはいいとしても世間に相手にされないのではないか。調べてみると『B層』というゾーンをバカ呼ばわりした著作で売れた学者だとか。
 ものすごく勉強熱心な人らしく、極めて緻密に検証していることは窺える。しかしこのテの秀才にありがちだがくどいのだ。おそらく理論の組み立てを全て書き込まないといられない、私なら保守派の定義は『早急な変化に対応して、後に昔は良かった、などと思いたくない気質』だけで済むが、大昔のフランス革命に遡って考証を加え定義する。悪くはないが違和感は感じる。よほど努力をする体質で、ろくに勉強もしない輩は全てバカに見えるので、バカ呼ばわりを多発して文章の品を下げる。『箸の正しい持ち方』は得意の持ちネタのようで、随分がんばって習得したのだろうが、別のところで書いてもいるのはそれこそバカの一つ覚え。ひょっとするとコンプレックスの塊なのか、ちょっと褒められると舞い上がる。自殺した西部暹に褒められたのが余程うれしかったのかわざわざ記している。そういえば西部邁もやたらと話の長い人だったが、適菜もそうなんだろう。一般的に話がバカ長い人は頭が悪そうにみえますがねぇ。
 そもそも元総理の勉学の奮わなさはかねて知られている。私は同学年なので成蹊小学校の同級生に知り合いがいるが、大したことはなかったと証言した。家庭教師をしていた平沢勝栄はそれをバラして出世が送れたのだから本物で、適菜からすれば上から目線になるだろう。
 だが政治家は思想家とは違う。
 思想家同士がいくら議論しても現実にはラチがあかない。『日本は核武装してアメリカのくびきから独立する』と『被爆国の日本が核武装などとんでもない』の両者がいくら議論しても合意にいたることは絶対にない。そこを何とかするのが政治であって、交渉とは一言でいえば妥協の技術なのだ。海外案件の契約をやってみればすぐわかる話だが、双方知恵を絞って何とか着地点を見つけるなどということは、自称でも他称でも哲学者にできるはずもなく、また口をはさむべきではない。文学者であり続けた石原慎太郎が大派閥の頭にはなれなかった所以である。
 元総理とプーチンの交渉過程を適菜は揶揄するが、何もしないでツッパって200年すれば領土が返るか、そんなことはありえないので散々交渉のテーブルに引き込んだ。あの時点で一月にトランプ・プーチン両大統領と面会できた首脳は元総理ただ一人であった。
 大陸・北の国・現戦争当事国という核武装した危険な国家に取り囲まれている我が国の安全のために同盟していることをポチだの何のとオチョクルのもいかがなものか。このご時世にあの憲法でいいと言えるのか。安保法制は時代の流れなのにその成立過程にイチャモンをつける。それでは護憲を訴える左派なのかオマエは、と言われると『そもそも左翼とは』とトリモチのようなクドい説明をする始末。

 確かに元総理はお坊ちゃん育ちであり、時々キレては物議を醸していた。思い余って『一切』とか『必ず』という言葉をはさんでしまう。私なぞはやや危ないところはあるが、好ましい部分だと思った。
 一方で政治は流動的で、相手もあり身内の都合でその通りにならないことも多い。実社会とはそういうもので、従ってトップに立つということの難しさは頭が良けりゃ務まるものではないのである。
 それを、ガリ勉根性丸出しで実に丁寧に発言を俯瞰してはウソつき呼ばわりするのは片手落ちというものではないのか。モリ・カケの問題について、特にモリの方は相手の悪質さと佐川局長の見苦しさはそうだが元総理は本当に知らなかったのだからガタガタ言われる筋合いではない。
 ついでに言えば、カケ関連で前県知事の加戸証言『安倍総理にあらぬ濡れ衣がかけられているので、なんとか晴らすことができるお役に立てるからと思ったからでございます』を意図的に報道しなかった偏向マスコミを棚に上げておいて、言論弾圧をしたという話にどうしてなるのか。適菜は好き放題書いてもお咎めなしにもかかわらず、である。

 あれ、元総理の右派からの批判を検証しようとしていたのに変な本を読んでバカなブログになってしまった。適菜収はニーチェの研究をしていなさい、お箸の持ち方はわかったから。

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贋作ジェット・ストリーム 復活編

2023 SEP 8 0:00:17 am by 西 牟呂雄

ーエデンの東が流れるー
 おひさしぶりです
 長かったコロナ禍も落ち着きました
 皆さまも、あるいは旅に、あるいは仕事で
 やっとお目にかかることができました
 パーザーのジェット・ニシムロオです
 
 さて、今回のコロナ禍に人類は勝てたのでしょうか
 確かに感染者の死亡率は大幅に減りました
 ですが 先日も私の友人は甲子園のスタンドで感染し
 あの決勝戦でクラスターが発生したようです
 苦しんでいる皆様に謹んで
 サザン・アメリカン・テイストを捧げます

どこまでも終わらないフリーウェイ
 フォートという名が付く町が点在する
 ウェザーリポートは きょうの山火事はどこかを伝える
 クールなサザン・ベル(南部型の美人)もメキシカンも
 摩天楼はないが リアル・アメリカは テキサスだと胸をそらす。 

 州を超えると 雨がパラつきだした
 アリゾナで200日ぶりの雨だよ
サンキュー・ヴェリー・マッチ 旅の日本人
 乾燥した大地は多少の雨じゃあジトリともしない 砂・砂・砂。
 巨大都市フェニックスは 先端産業の一大集積地
 腕に覚えの白人も黒人もインド人も中国人も いまだにフロンティア

 ニューオリンズのフレンチ・クォーターから
 ハローと言いながら二日酔いを覚ます
 友はすでに遠くに去った
 蒸し暑いデルタの風
 道端で佇んでいると
 マーチング・ダウン 賑やかなブラスが行進してくる
 オレも重い体を引きずって
 東へ行こう
 フロリダにでも行こうか 
 

ーエデンの東が流れてくるー

 皆様いかがでしたか
 久しぶりの空の旅は
 おくつろぎいただけましたでしょうか
 さて、また新しい旅が始まることでしょう
 お目にかかれる日を楽しみに
 旅のお相手はパーサーのジェット・ニシムロオでした

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贋作 ジェット・ストリーム 

贋作ジェットストリーム (女性バラード編)

番外 ジェット・ストリーム  ジャニス・ジョプリン

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