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春夏秋冬不思議譚(名前考)

2014 JUN 3 11:11:30 am by 西 牟呂雄

 僕の名前は建(ケン)という。普通ニンベンを付けた健の人が多いので、ヒトデナシ等という怪しからん輩もいるが。諸説あって、最も有力なのは届けを出すときにニンベンを”忘れた”という説だ。家は男は大体一文字の名前で、次男三男が生まれると下に数字をつける。だからオヤジの兄弟はヨーイチ・コージ・タイゾーといって1・2・3の順番が付いている。僕に弟がいればケンジくらいになっていたはずだ。
 ケンの名前は海外で通りがよく、テキサスの田舎でケン・ザ・ジェットと呼ばれたりもしていた。味をしめたので、息子にもその手の名前を付けて、更にもう一人息子ができれば2をつけてジョージ(丈二)にすればいい、その後は、イーサン(飯三)ジェシー(慈四)ヒューゴ(飛五)ロック(六)後が続かないが、九番目の息子はジャック、漢字は何を当てようか、『弱九』や『寂九』ではかわいそうだな、などと思ったものだった。
 しかし最近のキラキラ・ネームは面白いといえば面白いが、20年後に流行が変わっていたらどうするのか、人事ながら心配になるようなのも多い。赤ちゃんの時は何でもいいのだ。
 
 織田信長は今で言えばキラキラ・ネームを子供に付けていて、上から奇妙・茶筅・三七・次・大洞(おおほら)・小洞(こほら)・酌・人・良好・緑とくる。まあこの頃は元服時にちゃんとした名前を貰うからいいのだが、どんな顔をして「キミョー」とか「ツギー」「ヒトー」と呼んでいたのだろうか。大洞・小洞なんて、別々の女性が同じ頃に産んだんじゃないか。
 
 西郷隆盛は本当は隆永だったそうだ。本人は生涯自分のことは「吉之助」と言い習わしていたそうだが、明治の太政官布告によって名前を諱に統一する際、本人がいなかったので良く知る人が「隆盛だったはずだ。」としてしまったらしい。弟も諱を聞かれて「リューコー、デゴワス。」とやったら、薩摩弁が聞き取りにくかったので「ジュードー」と間違えられ『従道』にされてしまったそうだ。隆興だったんですな、本当は。してみると、名前なんかどう付けようが人として識別されていれば本人にとってはどうでもいいものだろうか。僕が明日から全く別の名前になるとしたら、変身願望が満たされるような錯覚がある。一方知らないところでミョーなニック・ネームで呼ばれているとすると、コード・ネームの付けられた大物スパイのような気がするかもしれない。

 過去様々な渾名で呼ばれたが、いくつか紹介したい。
「中央道の青い翼」僕がホーム・ロードにしていた中央高速で飛ばしてた頃についたあだ名、というのは嘘で二十歳の頃自称していた。
「ゲレンデの赤い流れ星」210cmもある型の古いスキーで直滑降だけを滑っていた頃の自称である。事情があって30前に取り消した。
「マレーの猫」東南アジアをウロウロしていた頃に部下がそう呼んでいたらしい。しばしば所在不明になったからだ。40代で卒業。
「大佐」これは無理筋だったが、フィリピンの現地工場の奴らにそう呼ばせていた。あいつらもふざけた連中だったからノリが良くて『サー、カーネル、サー。』等と返事をして遊んでいた。
「相模湾の白いイルカ」昔は色白でヨット仲間からバカにされてそう言われた。50代で日焼けが抜けなくなってお終い。
「提督」ある組織から足抜けした後、呼称を何と言うか尋ねられてとっさに口をついて出たのだが、ある筋から猛烈なクレームがついて立ち消えになった。

 ウーム、名前ねぇ。ペン・ネームでも考えようか・・・。

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Categories:春夏秋冬不思議譚

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