帝王の罵詈雑言
2016 OCT 29 18:18:36 pm by 西 牟呂雄
『無学で無能で慾深で見当違いだ』
『大山師の大嘘つきの誤魔化し屋の詐欺師め』
『恩を知らず義を知らず、化け損った古狸め。国家の法規を台なしにするのは手前等の仕業だ』
誰の言葉だと思いますか。
これは中国歴代皇帝で最も働き者だった清朝第五代雍正帝の怒りの声です。こんな言葉を最高権力者から浴びせられたらそれこそ死にたくなったんじゃないでしょうか。
雍正帝は休みなく来る日も来る日も大量の上奏文全てに指示を書き込み返送し睡眠時間は4時間だったと言われています。その指示も満洲語だったり漢文だったり自由自在。執務は涙ぐましい程です。
それもそのはずで、全国至る所に密偵を送りその報告を直接受け、閣僚を通さずに決裁を行う軍機処を設置して政治に当たっています。
更に、皇太子を正式に立てると派閥争いが起きたりチヤホヤされてダメになると考え、皇位継承者を記した勅書を玉座の上の扁額の裏に隠しておきました。そして日頃の行状からしばしば継承者を代えたとも、これを「太子密建の法」と言います。
怒らせたら恐い人だったでしょうね。
この「太子密建の法」により、清朝には比較的ボンクラな皇帝は出なかったとされています。評判の悪い西太后でさえ亭主の咸豊帝がヤル気を失った後は(京劇に熱中して若くして結核で死ぬ)膨大な決済書類に返事を書き続け、その実物は残っています。
私の知る昭和天皇は正に神韻縹渺、怒るお姿は想像もつきませんでした。しかしお若い頃はしばしば激怒されたことが伝わっています。2・26事件の時が有名ですね。
満州事変の処分問題が陸軍の強硬姿勢で行政処分で終わる事を善しとせず、参内してきた時の総理大臣(陸軍出身)田中義一に
「お前の最初に言ったことと違うじゃないか」
と激怒される。そして鈴木侍従長に
「田中総理の言ふことはちっとも判らぬ。再び聞くことは自分は厭だ」
とやってしまわれる。この時は田中総理がビビッて総辞職。陛下は当時まだ30歳前でした。
張鼓峰事件の際にも裁可を求めるべく参内した板垣陸軍大臣が御下問に対し、咄嗟に出任せを言ったところ
「自分をだますのか。今後は朕の命令なくして一兵たりとも動かすことはならん」
とキツイ一言を発せられました。
三国同盟推進に邁進していた板垣征四郎は平和主義者の陛下と相性が悪く、不興を買います。
人事案の上奏時には
「お前は自分の考えをよく知っているじゃあないか。この前も軍事参議官の会議で『外務大臣は軍事協定に賛成である』という虚構の事実を報告している。誠に怪しからん」
天津問題の返答には
「お前ほど頭の悪い者は居ない」
とまで叱責されています。これ余程懲りない人だったのか、ヒョッとしてお若い陛下をナメくさって誤魔化してしまおうという態度で臨んだのではないでしょうかね。
お上を怒らせちゃイカーン。
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