失われた20年とは何だったのか(ポスト・バブル序説)
2013 SEP 7 10:10:36 am by 西 牟呂雄
9月のテーマが上げられました。他にも同じような言い方で「15年」「バブル以後のデフレ」というのもあります。いずれも同義で、株価が日経平均で3万円を割って以降日本の相対的ポジションが下がりデフレが続いている状態を指しています。
実はこれ、多くのSMCメンバーの現役時代とまる被りなのです。私の例を引きます。入社したメーカーはその時点で既に合理化計画を発表していて、ヒラ社員の間じゅう圧延ミルの休止、それに伴う同一品種のミル配分調整、半製品輸送の交錯輸送対応といった仕事でさんざんコキ使われました。そして言うところのバブルの崩壊、これでは持続的発展など覚束ない、多角化だ、と管理職になるタイミングで新材料部門に配転、以後ズーッと・・となるのです。それこそ個人的にはサラリーマンの全部を「失われた」につきあったことになります。
とりあえず20年にしておいて、1993年中心にどうだったかというと、株価は大雑把にいって1万4千円、レートが1ドル=108円という昨今見たことのあるような数字。野茂がアメリカに渡ったのが20年前。私の息子は23才ですから、少年時代を全て「失われ」てしまった訳です。無論その間色々あったのですが、私が実感したキーワードは① 橋本内閣消費税アップ ② アジア通貨危機 ③ 米国ITバブル崩壊④ リーマンショック ⑤ 超円高 そして二度の政権交代でしょうか。2005年頃、ぼんやりと日本国が安定するのは2010年ぐらいかな、とある勉強会で預言しました。2010年には民主党への政権交代がおこり、このときは(政権交代可能な体制の緊張感で)預言通り政治的成熟期になった、と自慢してました。その後の評価はひとまず置きます。
当時は半導体材料を手掛けていたので上記事象(二度の政権交代を除き)はいちいち大変なことになりました。しかしながら、2003年から2007年まで製造業は好況感があり、ラインはフル操業をしていたのです。しかしその時期も含めてなお『失われた』期間に入れられています。そしてグルっと廻って今日(2013年9月6日)日経平均1万4千円、為替=100円となっています。日本企業の国際的な収益力の評価は紆余曲折を経て元に戻った、或いはなんのイノベーションも起こらなかったのか。
バブル期、当時大蔵大臣だった橋本龍太郎は国際会議において金融政策を質問され『土地の値段を下げることが、当面の第一課題である我国は・・』と回答したことを強烈に覚えています。それ程土地は狂い咲きのように上がり、銀座はまる源ビルだらけになり、六本木のビルもオーナーはしょっちゅう変っていました。バブルの定義は一般的には『投機』と考えられていますが、私の理解は少し違っています。普段はあまり表に出て来ない魑魅魍魎(アングラ・マネーとも企業舎弟とも括れる闇の金の流れ)が時流に乗ってゾロゾロと這い出してくる、その隠れ蓑に様々な形を変えた各種機関が入り交じり(例えば商工中金)制御不能になることがバブルではないかと仮説を立てています。最終的に誰かが(この辺わからないので専門の方に教えて頂きたいのですが)カラ売りに転じた途端に市場が崩壊していくと考えています。
あれからすでに20年は経っているのですが、そのころ実際の不良債権なるものが本当はいくらだったのか試算できた人・及び機関はなかったのではないでしょうか。10年を経てその残高総額は増えていました。何をやってもジワジワ増えていく恐怖感は金融関係のみならず身の回りの中堅企業をも痛めつけていました。当時のゼミOB会で(伝統的に私の出身ゼミは金融が多かった)後輩達に『お前等!本当はいくらなのか正直に上にあげろ!』と言ったものでした。その後輩達も再編再編となって今では似たような冠の名詞を持っています。
故吉川元忠神奈川大学教授の『国富消塵』には、日本のバブル崩壊からアジア通貨危機まで、米国に資金が環流されるシステムがいかに緻密にできていて、インペリアル・マネー・サイクル(これは私の造語です)とも言うべきハンドリングが成されていたかを分析しています。
その後続く円高基調でメーカーはグローバル展開、海外進出の大合唱です。90年代にはそれはマレーシア・タイあたりに工場進出することを意味し、2000年代では中国に行くことを指していました。しかしブームにのってマレーにいった半導体の組み立て工場でオリジナル・シングル・ネームの操業を続けているところはほとんどありません。中国は中小に限って言えば、7割近くが聞くも涙語るも涙の惨憺たることになって撤退しているのが実態です。私はそのころ、台湾で提携をし、フィリピンに工場を建て、中国にサテライト・ユニットを出しました。顧客はアジア中に散らばっており(韓国も含みます)一部本社機能はアメリカにありました。8泊10日で地球を一周する出張もしたことがあります。西回りでいって死ぬ思いをしたので、東回りでもう一度です。
そしてリーマンショック。前の年の夏、サブ・プライム・ローンが破綻。とうとうやったか、が第一印象でした。年が明けてベア・スターン、ファニーメイと続きます。流石にこれでは済まないと考えました。不思議なことにいずれも奇数月に起きたものですから9月は身構えたのですが平穏に過ぎる、と思った月末に突然来ました。その後は諸兄ご存知の通り。
しかしながら、アメリカは全然懲りていません。オバマ大統領にしても、ウォール街の代弁者といって差し支えないのではありませんか。むしろ次の(例えば中国の混乱?)チャンスにしこたま儲けてやろうと牙を研ぎ澄ませているとしか思えません。アメリカだけではありません。評論家佐藤優氏は、再び帝國の時代になる、と言い切っています。アングロサクソンの御本家U.Kは明確なアジア戦略を練っていそうです。国家の意思なのでしょうか、香港を失ったリベンジを考えていないはずはない。このあたり、陰謀史観論者などは面白く見立てていて、いかにも、な話が流布されています。
日本は大雑把に括られた20年でも15年でも良いのですが、少なくとも国家戦略としての強い意志はありませんでした。いや、二つだけありました。財務省と日銀のローカルな意思というのはありました。財務省のプライマリー・バランス回復のための消費税増税と日銀のマネー緩和へのためらいです。識者の意見などというものは、中身なんかありません。誰かの意思を伝えているだけです。第一学者の言うことなど当たった例しがない。
私の周りには来年の消費税増税に異を唱える人はあまりいません。上げるべきですがタイミングがよろしくない。もっと前から1%づつやれば良かったのです。(筆者注 その後2020年の東京オリンピック開催という後押しがあった。恐らく問題なく既定路線の3党合意のまま可決されると思われる)各論はさておき財務省のスゴ腕達は、政治的バックグラウンドの強い大臣の時は比較的おとなしくし、素人同然の管直人、野田毅彦の時に猛烈にチャージをかけて手玉にとり陥落させました。見上げたものです。私はこちらのほうは評価するのですが、一方の日銀はどうでしょう。政治からの独立を盾に何もしていません。無論彼等の内部資料にはあれもやったこれもやったと書いてありますが、そうでしょうか。
国内でのみ消化される日本国債の暴落ー金利上昇はどのモデルをみてもありません。日銀券の増刷は数少ないすぐにやれる政策(議会の承認もいらない、コストもかからない)のはずです。20年というものは我々の現役とほぼ被ると言いました。即ち現日銀幹部も我々と同じ蹉跌を噛み締めて来ているはずです。しかし大量のマネー投入というどこの国でもやっていることを全くやろうとしませんでした。恐らく日銀伝統のアンチ・インフレ・イデオロギーに触れれば飛ばされるなり流されるなりして、議論の俎上にも上がらなかったのでしょう。
そうこうしているうちに、これだけ通信機器が発達しグローバル化も進み、瞬時に世界が同時に反応できるようになっても、日本企業の生産性なりイノベーション・スピードなりが優位を保てなかったのが、冒頭の株価・為替一巡を指していると思います。それらは日本以外で起こってしまい(例えば中国で)私達の可処分所得は目減りし続けているのではないでしょうか。
私は7月のテーマだったアベノミクスに強い期待を持つ者です。この20年間力強く育ってきたインダストリーは無いのです。不幸な災害により、エネルギー産業という穴場が今後勃興する可能性は否定しませんが。ソフトバンクも楽天も若い天才的経営者が優れた業績を造り上げましたが、あれはビジネスモデルなのです。ライブ・ドアや村上ファンドは惜しいことをしたと思います。この辺やはりメーカー育ちなので、他のSMCメンバーとは違うかも知れません。投資減税、法人税減税(大体払ってない輩が多すぎるが)、経済特区、などを次々に繰り出すことを望みます。三本でも一本でもいいですから元気にやれる(私はそろそろチンタラしますが)ように、まずやれそうでやれなかったことを何でもやる、でいいじゃないですか。
しかし、20年を総括することは、書き出してみると中々手強い。SMCの手練れの金融出身諸兄殿、これらのタワゴトが数値化・モデル化できますでしょうか、お知恵を拝借、御意見拝領。何しろ『序説』ですから。
これからのことは又、別のテーマで。
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