黄金の首 (紅蓮の炎)
2014 MAY 13 13:13:21 pm by 西 牟呂雄
ついに戦端は開かれた。といっても戦力・戦略ともに初めから勝利に決まっている戦闘である。勝つに決まっている戦は進んで起こすべし、その敵は比叡山延暦寺。
国体鎮守、伝教大師最澄以来の権威を護持し、何人たりとも手を付けられなかった叡山はひとたまりもなく灰塵に帰した。武装した荒法師も火をかけられて逃げ惑うばかりで物の数ではない。前線の精鋭部隊はかたっぱしからなで斬りにして何の仏罰も起きなかった。総大将信長は、ただ遠目に今まで見たこともない炎が巻き上がるのを見て、あまりの美しさに心奪われた。折しも紅葉の季節とあって、昼はただ赤味の射した黄色い火炎と巻き上がる黒煙、夜には軽快な金色(こんじき)の炎、この世の色彩が一度に出現したかの光景は、忘れえぬ快感を伴った。
ちょうど1年前に越前朝倉と浅井が、霊山であることをいいことにこの山に登り立てこもった。元亀元年九月のことである。信長は歯ぎしりするする思いでこれをやり過ごし、越前兵が引いた後に中立を勧告する。無論答えは否であり、迷うことなく焼き払った。次の主敵はその浅井・朝倉である。
年号が代って天正元年八月、これを攻め潰した翌年正月、岐阜城にて年賀に訪れた公家、配下の諸将、その馬廻り衆を集め大酒宴を催す。それぞれが大いに楽しみ、年初の祝辞を受けた信長は上機嫌となり、夜には戦場で苦楽をともにした身内ばかりとなった。燭台を灯させた大広間での無礼講が宴たけなわとなった時、『これへ持て!』信長の大音声が通る。一瞬にして、何が起こったのか、と静寂に静まるのが信長旗下の作法である。すると白木の方形の盆の載せられたものが三つ、上段の間に並べられた。
「おのおの、近う参れ、存分に見聞せよ。」
初めに進み出るのは柴田勝家、佐久間信盛といった宿老、次に明智光秀、丹羽長秀、羽柴秀吉、といった野戦の大将。他の武将、小姓、馬廻り等は遠巻きにして、燭光を照り返す不気味な黄金色の物体を見入る。暫くは誰も何かわからず、ただただ眩しそうに眼を細めていたが、やがて驚きとも何とも言えない低い声が広がる。それぞれに名札が立てられたからだ。昨年打ち取った朝倉義景・浅井久政・長政父子の首級だった。最前列で間近に見た者は呻き声を上げた後、何ともいえない驚きを表し、口々に信長への賛辞を述べ出す。事情が後ろの方に伝わるに従ってうなりのような歓声が上る。そのたびに酒が所望され人々は酔い狂った。
酔いが進むとあまりの趣向に鎮痛な表情になるものも出てくる。特に明智光秀。首の一つ朝倉義景は旧主君であり、またその趣味の悪さに表情を保つのが精一杯だった。
信長は次第に目を据えてくる。叡山焼き討ちの際の紅蓮の炎と、目の前の憎い敵の金色(こんじき)のしゃれこうべが煽るような快感をもたらす。延暦寺の大量殺戮を思い出すばかりなのだ。
あからさまな態度なのは羽柴筑前守秀吉ただ一人。わざわざその来歴を信長に訪ねては大げさに相槌を打つ。『なんと!』と声を上げる。首は晒された後に漆で塗り固められ金泥を施され、梨地の光輝を放っていた。秀吉は冷静に、こみあげてくる笑いを主君への賛辞にすりかえることで、噛み殺していた。
一つは、主君の首を見た時の後味の悪さ、そしてあまりに下品な趣向へのおののきを隠せない、明智光秀に対する思いである。惟任日向守の心胆はやはりあの程度か、と組し易さを感じたこと。いま一つは、密かに想うことさえ叶わぬ主君の御妹君お市の方を妻にした浅井長政に対する復讐遂げた、との思いである。その性が丸出しになる薄ら笑いが浮かびそうになるが、信長に気取られては命取りになる。いきおいお世辞を口にして誤魔化した。酔った信長の返事はいつもの響きであった。
「デアルカ。」
だが秀吉の心を見透かすように、後家となったお市の方を信長は宿老柴田勝家にやってしまう。諸将をすり潰すように使う信長の心情が鈍く光る。狂気は次の殺戮を欲する。標的は元亀元年以来交戦が続く石山本願寺。本願寺第十一世顕如光佐も比叡山焼き討ちに覚悟を決め、門徒衆に激を飛ばす。まず血祭りに上がったのは伊勢長島門徒である。半年後の天正二年六月、九万人の総力と九鬼水軍で長島願証寺を包囲した。ここは尾張西南とあっていわば信長の膝元であり、過去に苦杯を舐めた経緯もある。二月あまりの兵糧攻めにした後に降伏させたが、信長は全く満足しない。出てきた老若男女を全てなで斬りにした上で、城砦に閉じ込めた二万人を火責めにした。大量殺戮と炎の競演を存分に味わう。
翌年には加賀門徒の一揆勢。直轄の部隊を率いて前線を一蹴。後に羽柴・明智の両将と挟み撃ちにした数万人を片っ端から討ち取った。
さすがに本願寺顕如上人は和睦を申し入れ小康状態になるものの、天正四年には激突する。この時、窮地に陥った明智勢の応援のために三千の兵の先頭に立って突進した信長は、雑賀党の一斉射撃を受けて被弾。憎悪が狂気を燃え上がらせる。
耐えられなくなったのは本願寺だけではない。荒木村重は反旗を翻した。信長は勿怪の幸いとばかりに人質の女房衆を磔にし、数百人の罪無き若党・下女は閉じ込められた所に火をかけて焼き殺す。九鬼水軍の巨大装甲船が大阪湾の毛利水軍を沈めてしまうと兵糧を絶つ。天正八年にはついに顕如光佐も石山本山の明け渡しを飲まざるを得なくなった。
残存勢力を蹴散らした後は火炎地獄。五十にも上る支城全てに火を放つと、大阪は三日に渡り昼も夜も燃え続けた。
因みに坊主嫌いは宗門を問わない。石山陥落の前には法華宗に弾圧を加え、後には高野山金剛峰寺を包囲した。
本能寺に火が上がる。外に翻っているのは桔梗紋、明智の軍勢である。驚き入った森蘭丸が駆けつけて「惟任日向守様、御謀反に、」と言いかけたときには信長は赤々と巻き上がる紅蓮の炎に目を奪われていた。この光景を待っていたかのように一言発する。
「是非に及ばず。」
その声にはかすかな狂気が宿っていた。吸い寄せられるように火炎の中に進んでいった。
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