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国松公 異聞 求厭(ぐえん)上人

2015 JAN 27 19:19:11 pm by 西 牟呂雄

 延宝(えんぽう 1680年頃)の江戸、五月晴れの日であった。
 芝増上寺の高僧、求厭上人に尋ね人が来た。門前の警護に当たる寺侍は一目で分かる武士の貫禄に気圧され、まだ幼い子供の高貴な凛々しさにも目を見張った。二人は「樹下(じゅげ)秀忠とその息子藤丸」と名乗った。
 奥の庫裏に通され,しばらく待つと僧衣の求厭上人がやってきて樹下秀忠と対面する。求厭はその顔をみて『ホッ。』とかすかに驚いた、瓜二つの面立ちなのである。年は少し上の大柄な老武士だった。派手さは微塵もない。
「樹下殿と申されるか。」
「いかにも。」
互いに見つめ合い静寂の時が流れた。

 沈黙の内に室内にも関わらずどこからとも無く霧状の雰囲気が漂い始めて、求厭上人は視界が悪くなるような錯覚を覚えた。そして樹下親子の背後に黒い何か影のような物が浮かび上がりそれが段々と人の形を成していく。既に悟入十分の求厭と雖もさすがに驚いた。二人は忍び装束だった。
「御上人。これなるは大阪で討ち死にした真田幸村の遺臣の猿飛佐助に霧隠才蔵。共に二代目ではあるが。」
「何と!」
「お主の隠し姓を存じておる。ワシが誰か分かるか。」
「ムッ。そのお顔立ち。」
「ワシの樹下とはすなわち『きのした』。」
「まっ・・・・。まさか!兄上でおられまするか!国松様でおられるのですか!」
あたりを憚ってか小声で言ったつもりだが裏返っていた。求厭は白昼に妖怪変化を見たような表情で我に返り居住まいを正し、頭を畳にこすりつけるように挨拶し直した。
「初めて逢うた気がしない。互いに苦労した。真田十勇士も残るはこの二代目が二人のみとなり、浪々の身であった。」
「ご身分をお隠しなされての今日まで・・・。世が世であれば天下人の兄上が。」
「お互いに。しかしその苦労もこれまでじゃ。ようやく長年の恨みを晴らし」
「あいや、お声が大きい!本山は徳川家の菩提寺。」
求厭上人が声を励ましてを制すると、秀忠は『フフフ。』と笑った。
 霧隠才蔵がスッと立ち上がり庫裏の障子を開けると冷気とともに濃い霧がたちこめていた。
「一山全て霧の中でござる。霧隠れの術の内、忍法『霧幕(むばく)』。」
「しかし人に聞かれては。」
今度は佐助が呟く。
「我等以外、当寺の境内の時を止めてござる。不動金縛りの術の内、忍法『猿止(えんし)』。動く者あらず、鳥も虫もまた飛ばず。」
「求厭よ。先日、慶安の変(*筆者注 軍学者由比正雪が槍術家丸橋忠也等と起こそうとした幕府転覆計画、発覚して阻止された)の際、由井正雪を操ったのはこの者達。」
「あれは・・・兄上の・・・兄上は幕府転覆を・・・・。」
「さにあらず、謀りごとはこれからなり。その折りにこの佐助と才蔵は徳川頼宣公と見知り合い、江戸紀州藩邸には出入り自由となっている。」
(*筆者注 慶安の変には紀州家徳川頼宜がバックにいたと疑われ、10年江戸に留め置かれ紀州入りできなかったのは事実だが真偽不明)
「身分を偽ってでしょうか。」
「佐助。」
「御上人。我等は何人(びと)にでも替われまする。」
「江戸藩邸には現藩主徳川光貞公の庶子、四男新之助殿あり。只今疱瘡を病んでおられるそうな。」
「・・・・。」
「わが子藤丸とその新之助殿は年回りもさしてたがわず。」
「そっ・・それは。しかし庶子の四男の行く末とて・・・」
「その新之助殿が徳川将軍になるのだ。」
「まさか!」
もはや求厭は蒼白となっていた。そこからは才蔵がささやいた。
「我等が授かりし秘術を使い、成就の暁には我等は果てまする。」
「のう、救厭。我等は大阪より下りし折りには初めは女中衆と真田十勇士のうち七人と共に落ちた。真田十勇士の内、幸村様と最後を共にすることを許されたのは青海入道・穴山小助・海野六郎の三人のみ。由利鎌之介は宮本武蔵と立ち会って敗れ、根津甚八は力尽きた。更に残党狩り服部半蔵の伊賀十三人衆を引き受けて伊佐入道を失った。」
「残り四人。」
「浪々の末に落ち着いた山郷では暫く百姓とも交われぬ。夜な夜な褥を共にした女中頭白梅があろうことか懐妊。」
「それは和子なるや、姫なるや。」
「おの子なり。致し方なく望月六郎と筧十蔵に女中を二人つけて九州に逃した。鹿児島に落ちてただ今は日田に落ち着きやはり樹下を名乗っておる。残った女中と先代の佐助・才蔵が子をもうけたのがこの二人。二人は『不動金縛りの術』『霧隠の術』を徹底的に仕込まれ今日に至っておる。ひたすら豊臣の再興を願って耐えた。儂が無聊にまかせて近隣の百姓娘を夜伽に参らせたところ、この藤丸が生まれた。これこそ天の時と心得し。」
「しっしかし、藤丸様が将軍に御成り遊ばした後は。」
「徳川御三家なら心配いらん。御三家に替わる藤丸の血筋が連枝として残る。従三位なる御三卿なり。以後幕府は豊臣の血筋のみと成りおおせる。フッフッフッフッフ。」
つられて佐助も才蔵も不気味な笑いを漏らしていた。
「フフフフフフ。」「フッフッッフッフ。」
 聞きながら求厭上人は気を失った。

「御上人様。お茶で御座います。」
「ホッ。」
庫裡の障子が開け放たれたままなので、小坊主がお茶を三つ持って来たが入りかねて、声を掛けた。明るい陽光が入っていた室内には上人一人が放心していた。
「上人様、お客人はいずこに。」
「アッいや、・・・・既にお帰りか・・・・。いすれにせよお茶はもう良い。」

おしまい

 求厭上人は実在の名僧で増上寺の後山城国伏見に至り、同地で没した。臨終の際に廻りの者に、姓は豊臣であり秀頼の次男だと告白した記録が残っている。
 樹下家は日田に実在し、吉宗も秀吉の末裔という噂を聞きつけ樹下民部と会見している。その後大江戸総鎮守、日枝神社の宮司となる血統が残っている。
 徳川新之助とは後の徳川吉宗である。御三卿は清水・田安・一橋で、吉宗以降将軍職はほとんどが紀州系と一橋家(養子は含むが)から出ている。

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