ところで失われた分を取り戻せるのか
2015 MAY 9 17:17:28 pm by 西 牟呂雄

最初から何だが日本型の密度で仕事をするのは、グローバル化が進むだけ進んでしまうと成り立たないのではないだろうか。
色々と話をしていてアメリカ人だろうが中国人だろうが単純なビジネスの交渉ではしばしば『こいつらもうちょっと真面目にやれないのか。』と思ったことが何回もある。2000年代の頭の頃に(2002~2007)日本の素材をアジアや大陸に売りまくって組み立てた製品を北米に輸出する、というモデルに悪乗りしてまぁカモにしていた。ところが日本側は交渉のプレゼンの手続きまでは異常にエネルギーを使ってしまい、その場に臨む前にもう仕事が終わったような気になってしまう。最近読んだ本にうまいことが書いてあった。『日本人は非常に能率的に非効率な仕事をする。』そういうノリではどうも通じなくなって来ているのかも知れない。
実は当時からもアメリカ人(白人だったが)の、見た目のトロさやだらしなさの合間からは思いもつかない集中力に一瞬ヒヤリとしたことや、中国人のやたらと友好的な態度の中にチラチラ覗く拝金主義的な上から目線にハッとさせられたことはあった。その場の交渉力では正直歯が立たなかった。
合同演習をした海自の将校さんが言っていた。アメリカ海軍は普段時間には遅れたりダラダラしているように見えて、実践訓練をやってみるとこれが強いらしい。概して実戦向きなのだろう。
京大教授の故会田雄二氏によれば、言い方は悪いが24時間ダラダラと且つ粘り強く働く、今日も明日もあさってもメリハリ無く働き続けるのはアメリカ人や中国人にはできないが、日本では(僕は別にしても)可能だという。現在でもしばしば悲劇を生みかねないブラック企業などが潜在的に存在している訳だ。
更に欧米・大陸は少数民族を奴隷的に使う体質を共通して持っている。アメリカは移民を飲み込み、中国は異民族は言うに及ばず農民戸籍の人間をいくらでも苛める。こういった体質はグローバル化との親和性が高く、資本も国境を越えてダイナミックに移動できる。大陸が?とお思いのムキはあるかもしれないが、東南アジア中の中華街が強固なネットワークを築いていることを見れば一目瞭然であろう。この点多少の異論もあるかもしれないが話が進まないのでチョッとそういうことにしておいて欲しい。いい悪いは別として日本人はそういうタチにはできていないから、その真似事をすれば失敗する。グローバル化に乗り切れなかった所以かとも思う。
大陸とは一定の距離を置いている方が相互にハッピーであること、歴史が証明しているではないか。一人頭はまだだがトータルGDPは既に2倍近い。相手の挑発もあるし、今更わざわざスリ寄って行く必要は無く、来たら追っ払い続けていればいい。むしろそれぐらいがいいのではないか。
ところで、我が方が経済的に優位に立っていて中国というリソースを使おうとしていた頃、見るのもおぞましい振る舞いの日本人がウジャウジャしていた。中国語も覚えず、エラそうにふるまい、下品な物言いにゲラゲラ笑う日本人の塊は中国中にあちこち固まっており、日本でリストラされた腹いせか金に目が眩んでいたような顔は醜悪そのものだった。そういう特にエンジニアが自分の持っている2流の技術をペラペラ喋りまくっていた。
その前には同じようなのが半島にゴッソリいたし、そのまた前には怪しげな英語使いがアメリカをウロウロもしていた。
皇軍の軍律厳しく国際法を順守し規律正しくしているうちは評判が良かったのが、調子に乗って変なのが巾をきかせていた大陸浪人なんかもああいう顔をしていたに違いない。
しかし今日位になればもうそういう連中は使い尽くされてお払い箱になっているだろう。一時いい思いもして稼いだんだからおとなしく引っ込んでろ。
繰り返しになるが日本はグローバル展開に乗り損なったのだ。それに乗ってうまいことをやったのは、先程から例に出しているチャイナやアメリカであったのではないか。
そして最近言われ出したニュー・ノーマルという無成長経済になってしまった。これ、以前はゼロ・サムという言い方だった。そして格差が広がったことになる。
現時点ではEU・ロシア・南米に好況感はない。ドイツだってギリシャが弾けたらタダではすまない。
勝ち組のはずの大陸でさえ気の遠くなる程の不正蓄財を国外に持ち出す政府幹部は後を絶たないし、アメリカは世界の警察の座から自ら降りた。だいたい使い切れないほどの資産を国外に持ち出そうとする輩がガサガサいるなんてロクな国じゃないだろうに。
翻ってこの程度の格差なら世界水準から見れば上出来だし、今後は人口も減って縮小均衡はやむを得まい。
いっそのことガラパゴス化を徹底させてサーヴィス産業を充実させたりする。すると特に日本語の参入障壁が高いのでまず外資は入れないし、今の為替が維持できればそれなりにやっていける(突発的な外部要因除くが)。爆買いやガイジン観光客の増加は実に結構なことで、ニューノーマル経済にソフト・ランデイングすることは可能ではないか。製造業は匠の技で必要なものだけを作る。
一方いとも簡単に国境を越えてビジネスを立ち上げられる優秀な人材は現在でも多く、今後も続くだろう。そしてそういう一握りの逸材達はそれこそサッと日本語を捨てる方向に行くのかもしれない。そういったビジネス感覚の研ぎ澄まされた人々は自分のビジネスに一番能率のいい言語を選ぶだろう。日本のマーケットはニューノーマル・ゼロサムで結果縮小均衡するのだから。
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Categories:失われた20年とは何だったのか

花ごよみ
5/10/2015 | Permalink
おじゃまします。
ビジネス音痴の主婦なのでお手柔らかに^^
少々観点は違いますが、中国とインドの人口を合わせると世界の4割(実際は、もっとかもしれない)。昔、インドの「IIT」がさかんに話題なっていた頃、中国も技術を持つようになると、世界はどのように変わっていくのかなと思っていました。この頃中国は宇宙開発の方面でも科学技術の発達が目覚ましいようですね。優秀な人材に教育のチャンスが与えられるという点からは、動き出した戸籍改革(2020年までに1億人の農村戸籍が都市戸籍に移行とのこと)と技術の発達は正比例していくように思いますし、中国人の方々のあの気の強さに日本の気の優しい若者はビジネスでもこれから、ちゃんと互角に対応できるのでありましょうか。
「おじさんが遊んで~」は、♪いなせで涼やか♪な印象のお話。
ただ、「さあ殺せ」ってったって言う方はいいですが頼まれた方は、はてさてちょっと困るのでは、あるまいか?
西室 建
5/10/2015 | Permalink
花ごよみ様、鋭い視点ですね。中国をビジネスのフロンティアととらえる考え方はもう成り立たないでしょうね。これからはむしろカモとしてあの莫大な消費を取りこむように戦略を立てる必要があるでしょう。
「さあ殺せ。」はケンカの時には使いません。負けが込んで踏み倒す時とか、義理掛けができなくなって開き直る時の捨て台詞なんですよ。将に相手を困らせる時に切る啖呵なんで、御指摘の通りです(笑)。