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変節・寝返り列伝 日本史編

2015 JUN 16 23:23:32 pm by 西 牟呂雄

 この世は欺瞞に満ちている。世間は嘘つきばかりでオレオレ詐欺が減った話は聞いたことがない。そのくせ裏切り者には世論は厳しい。そこからして既に怪しいと思わなければならない。我々はなんという難しい時代を生きているのだろう。
 と思ったが、歴史を振り返ると昔から『それはないだろう。』という寝返りには事欠かない。本当ですよ。

 まずは源頼朝。この人は偉大な行政官だったが戦争はあまり強くなくスタートからコケてばかり。平家をコテンコテンにやったのは従兄弟の木曽義仲や弟の義経だった。その義経が京の怪物、後白河法皇にチヤホヤされているのが気に入らない。義経の方も『これは兄貴が怒るだろうな。』くらい配慮すりゃいいものを、頭が悪いというか考えないというか。
 結局頼朝は武功のあった弟を追放し、ついでに対抗勢力の奥州藤原も攻め滅ぼしてしまった。判官びいきという言葉の元になったくらいだから当時からも恨みは買ったことだろう。まさかの裏切りである。

 時代が下って太平記の登場人物達。魔人後醍醐天皇を中心に足利尊氏・直義兄弟や高師直(これにも師泰というタチの悪い弟がいる)バサラ大名佐々木道誉といった奇人・怪人の濃いキャラが目白押し。彼らが自分の都合だけで嘘を塗り固め離合集散する様子は凄まじい。佐々木道誉に至っては、一体何がやりたかったのかさっぱりわからない。大河ドラマが何度か作品化したが、あまりのメチャクチャぶりにストーリー立てが難しくて、あまり数字が取れなかったらしい。評価は何とも言えないが、後醍醐天皇からすれば足利尊氏は大変な裏切り者だろう。要するに全員自分のことしか考えない人々の織り成すタケシの極道映画みたいなもん。楠正成だけマジメ。

 そして戦国時代ともなれば下剋上。日本中で親子兄弟が争い主君殺しも横行する。寝返り・裏切り当たり前。武田信玄は父親追放、織田信長は弟や叔父達を皆殺し、上杉謙信は兄をやり、徳川家康は(信長に言われて)長男殺し。どいつもこいつも似たようなところ。
 北条早雲・陶晴賢・斉藤道三みんなそう。司馬遼太郎氏の作品で皆ヒーローになったのだが。
 しかし際立って見事な裏切り者を一人挙げるとすれば松永久秀ではないか。親分筋の三好一族に取り入り、その後離反してその合戦の際に東大寺を焼き、しまいには将軍足利義輝を殺し(ただ直接手を下したのは息子の久道)織田信長にヘイコラしてからも仇敵三好党と組んで反乱して負ける。なぜか死罪にもされず石山本願寺攻めに加わっていたが、これも離脱して信長に叛旗を翻えして最後爆死。それも茶器『平ぐも』を道連れにするために、だ。
 寝返りもこうしょっちゅうでは目まぐるしくて良く分からない。何かに導かれるように裏切り続けるとは悪魔に魅入られたか。最後に死ぬときに西の空にほうき星が怪しく現れたというが、ハレー彗星でも来たのだろうか。
 ところで、三好一統は剣豪将軍足利義輝を葬り去る前にも京都から追放したりして、エリアとしては畿内だけだろうがそれなりの政権を樹立していたのではなかろうか。時の正親町天皇にも接近したりして擬似幕府体制だったかもしれない、と仮説を立てている(僕が)。

 外せないのは明智光秀。寝返り業界のスーパースターだが、あまりにも有名なので論評しない。

 同じく関が原をぶち壊しにした小早川秀秋。一体何を吹き込まれていたのだろうか。一人だけじゃない。この時は他にも脇坂安治、朽木元綱、小川祐忠、赤座直保。これらも小早川とともに一斉に寝返っている。

 面白いが、この日本での戦国時代に対応して西欧でルネッサンス運動が起こっている。西欧ではキリスト教の宗教的権威の低下、日本では足利幕府の世俗的権威の喪失が、時期的にもそう違わずに起きたことを比較研究したのが故会田雄次氏の考察だったと記憶する。
 その後の平和な江戸期になって、朱子学も採用され葉隠れ的な武士道というものが醸成されたのだが、それ以前の武士だろうが公家だろうが果たして寝返りがそんな悪徳だとはゼーンゼン思わなかったかもしれない。その代わり祟りや怨霊におびえただろうが。

 ファンが多いので取り上げると怒られてしまうかもしれないが、維新の原動力となった薩摩藩も変節はしている。八月十八日の政変では会津藩と同盟し長州を追っ払った。孝明天皇の信任厚い会津中将松平容保と島津斉彬公の公武合体体制だった時点では、尊王攘夷一辺倒の長州とは一線を引いてむしろ対立。しかし、藩主が替わり藩論はグチャグチャに迷走してしまい西郷は遠島だ。尊皇攘夷自体は当の幕府だって口走る当時の常識だが、勝海舟の怪しげな動きや連動する坂本龍馬の斡旋により、遂に会津藩に一言の申し入れもなく薩長同盟が結ばれる。気の毒に対薩摩藩のリエゾン・オフィサーだった会津藩士秋月悌次郎は表舞台から消える。
 この人は後年第五高等学校で漢文の教官をやっていた。
 鹿児島で驚いたのだが、地元では薩英戦争はイギリス艦隊を追っ払った薩摩の勝ちなのだそうだ。いっそこうでなければ革命なんかできないということだろうか。
 そしてその革命もしまいに気に入らなくなってちゃぶ台返しの西南戦争である。

 その流れでいくと名前を挙げざるを得ないのが徳川慶喜。幕府歩兵隊を中心に会津藩・桑名藩・新撰組と1万5千人の兵力を持ちながら、しょっぱなにコケると1/3でしかない官軍にビビッて夜中に船で江戸に逃げだす。寝返りとは言えないかもしれないが、おかげで二本松・会津・長岡・米沢と散々な目に会ったのだからタチが悪い。大参謀西郷隆盛が勝海舟に丸め込まれて振り上げた拳の持って行き先が無くなったものだから、恭順しようが降伏しようがとにかく戦争に持ってかざるを得なかった。

 話は変わって例の大戦の引き金になった3国同盟をやるのやらないのと議論がなされた時。海軍内部で検討された歴史的事例研究で国際条約を一方的に破った事例をカウントしてみると、1位がドイツで2位はロシア(旧ソ連含む)だったそうである、どうやって数えたか知らないが。もっともドイツに統一される前は神聖ローマ帝国内にナントカ公国が乱立していたから数字的に多くなったのかも知れない。そのドイツがソ連に雪崩れ込み、ソ連は原爆が落とされてから日本に・・・。
 こうなってはスケールが大き過ぎて裏切りというか寝返りというか。北方領土は返して欲しい。

 もう少し現代では小沢一郎かな。懐刀と言われた側近が、ある日突然連絡できなくなり携帯にも出なくなる。しばらくすると『もうアレはダメ。』とか言っているという噂が聞こえてきてパァ。すると突然思いも寄らない所と手を組んで現れ、そっちで初めだけ『一兵卒になって云々。』と言う。
 創生会・新進党・自由党・合同した民主党・未来の党・生活の党、もう順番が分からない、今じゃ『山本太郎となかまたち』寝返りにもならなくなった。

 S氏!古い友人である。
 今から半世紀前のこと。都内某所でかわいらしい小学生がモノポリーに興じていた。何れにせよ基本サイコロの目が大きく左右するのだが、某小学校のルールは違った。談合が始まるのだ。
 得点の高いボードウォークを制したものが圧倒的に有利。そこでボードウォークを握った者にスリ寄るかそれ以外の者でスクラムを組むか、ガキは必死に戦略を練った。しかも恐怖のカード『ボードウォークへ行け』があるので読みが難しい。次々と脱落する中で不死身のS氏はしぶとくも生き残る。そして詰めの段階で恐怖の『寝返り』が出るのだ。普通の小学生なら大ゲンカなのだがS氏は平然と『公文書がない。』と言い放った。不思議なものでその場にいたバカ小学生達は、その後『公文書』なるものを作ることに熱中した。

 やはり寝返られるのは楽しくはない!

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Categories:伝奇ショートショート

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