心優しい主夫 スタン・ハンセン
2015 JUL 14 17:17:42 pm by 西 牟呂雄
ブル・ロープを振り回しながらテーマ曲に乗ってリングに突進。高々と腕をさし上げた先には人差し指と小指を立てたテキサス・ロングホーン。「ウィー!」の声で吼えれば観客は大喜びだ。
プロレスの名門の感があるウエスト・テキサス大学卒業で、フットボールのボルティモア・コルツやサンディエゴ・チャージャーズに入団する。フットボールでは芽が出なかったが、その後は中学の先生となっていたところテリー・ファンクに誘われてプロレス入りする。
僕が彼の名を知ったのは、ニューヨークで『マジソン・スクェア・ガーデンの帝王』と言われたブルーノ・サンマルチノの首をウェスタンラリアットで折ったというニュースだった。当時はラリアットのことを『投げ縄式首折固め』等と東京スポーツは書いていたが、どんな技かは分からなかった。
その年アメリカをウロついていたのだが、ニューヨークでは日本のスポーツ新聞のようなものに首を固定されたサンマルチノの写真が出ていたので思わず買った。入院して2ケ月の長期欠場となっていた。
事の真相は急角度のボディスラムで首をおかしくさせその後にラリアットを連発するというプロレス界の掟破りだったようだ。あんまり器用じゃないグリーン・ボーイのチョンボだったらしく、直ぐにニューヨークからは離れることになった。
その後、新日本に現れて日本でブレイクした後はご存じの大活躍、『不沈艦』と呼ばれた。このニックネームもイマイチなので、僕は密かに『モビィ・デイック』と言っていた、これいいでしょ。
ヒールだが凶器など使わないハンセンはブレイクし人気者になる。アンドレ・ザ・ジャイアントとの試合も組まれた。そして当時盛んに行われていた引き抜き合戦で、全日本の最強タッグ選手権に姿を現す。ブルーザー・ブロディ(キング・コング)ジミー・スヌーカ(褐色のアポロ)組のセコンドとして出てきた試合をテレビで見ているが、解説の故山田隆氏が『あれはハンセンですね。スタン・ハンセンですよ。』と言ったのでビックリした。相手はファンクス。
極度の遠視で、あのムチャな暴れぶりは目の前が良く見えないからだ、という説がある。
それにしても全盛時代のウエスタン・ラリアットは長州力や阿修羅・原がリング上で一回転してしまう破壊力があった。僕はビデオで何回も分析して、ロープから返ってくる相手の選手が何歩足を運ぶ時にヒットするかを数えたが、平均2歩未満だ。あれではやられる方はハンセンの腕がほとんど見えなかったと思う。
ジャイアント馬場とも非常にいい試合をしている。
そのハンセン、実は二度目の奥さんは日本人のユミ夫人だ。きっかけは友達に誘われたハンセンのサイン会へ行った時にハンセンが見初めたのだとか。まだ10代と子持ちバツイチの悪役。毎日の移動やアメリカとの往復の最中にどうやって口説いたか知らないが結婚にこぎつけ、お子さんも生まれた。前妻との間に長男長女、お二人にも次男次女。次男のシェーバー・ハンセンが野球選手でシアトル・マリナーズにドラフト6位指名されたが今でも活躍しているのだろうか。
そのハンセン家は現在ユミ夫人が心臓外科専門の看護師として働きスタンは主夫をやっているのだとか。あまりの激しいファイトで体はボロボロ、両肩、両膝は人工関節で満足に働けないのだ。そこで40歳を過ぎてから看護学校に通い資格を取ったユミ夫人は偉い。
ハンセンは炊事・洗濯に掃除までをこなし、料理の腕前はかなりのモノらしい(ただ、アメリカ人だから味はどうだか)。元来不器用だったハンセンがセッセと包丁を使っている所なんか微笑ましい。
夫人の影響もあるだろうが、大変な親日家。故ジャンボ鶴田とはデヴュー前のファンク道場でトレーニングした仲で、親友だった。
ジャイアント馬場の3回忌に来日しリングに上がって引退のテンカウントを聞いた。
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Categories:プロレス