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怪僧列伝戦国・江戸編(今月のテーマ 列伝)

2016 FEB 23 22:22:10 pm by 西室 建

 仏教伝来の後、ありがたき教えを広めたり新たな教義を打ち立てた名僧は数々おわす。お陰で我々の生活の隅々までに染み込むように御仏の御威光が満ちている事は喜ばしい。私事だが僕は下町の仏教系の幼稚園に通っていて、四月八日のお釈迦様の誕生日には花祭りと称して小さい仏像に甘茶をかけていた(神田明神下のその幼稚園は驚いた事に今日もまだ存続している)。
 しかも日本史の節目節目に重大な役割を果たした坊さんは多い。
 ずらりと並べると大変なことになってしまうので、戦国時代~江戸時代の有名所を何人か挙げてみたい。その頃は戦国大名の側近に怪しいのも含めて結構多士済々なのだ。
 
太原雪斎(たいげんせっさい)
 今川義元の懐刀。甲斐の武田晴信、相模の北条氏康に働きかけ、甲相駿三国同盟の締結に尽力した。元々大変な秀才の学僧だったが、請われて今川の参謀役となる。
 時に一軍を率いて戦闘を指揮し、信長の父信秀の三河侵攻作戦を撃退もしている。織田の人質だった少年の徳川家康を取り返したことでも有名。
 この縁で逆に今川に人質となった家康の、学問・軍学の師でもあったそうだ。
 この人が死んで5年後が桶狭間だ。もう少し長生きされたら桶狭間がどうなったか分からないと考える人は多い。

顕如上人

顕如上人 コワッ

顕如光佐(けんにょこうさ)
 信長の宿敵。石山本願寺第十一世。何しろ戦国時代の重大な補助線である一向一揆の卸元だから、日本中で戦乱を起こした張本人。信長とは十年に渡って対峙した。
 越前では1万2千人以上が討ち取られ、伊勢長島では2万人が焼殺されるなど、膨大な犠牲者を出したが屈せず石山合戦となる。
 石山本願寺はテラではなく、濠・土塁で防御を固めた一大城砦都市である。50以上の支城を配し守りは固い。信長に制海権を握られた後も約1年半無補給で耐えられた。負けた後に出火するが二昼夜燃え続けたというから戦闘規模は大阪冬・夏の陣よりもデカかった。顕如の強烈なカリスマ性が偲ばれるが、その分さぞドロドロの戦いだったろう。
 その後和睦し生き残り、秀吉の下摂津中島に天満本願寺を、後に京都の七条堀川に現在の西本願寺に教団をささやかに再興する。

安国寺恵瓊(あんこくじえけい)
 毛利家の外交を取り仕切った臨済宗の僧。渉外能力も高いが自ら一軍を率いて戦闘もやる。
 ラッキーなことに羽柴秀吉と備中高松城で対陣していた時に本能寺の変が起きた。秀吉が中国大返しのために和睦案を出し、恵瓊が対応した。その能力を買われて秀吉側近の豊臣大名にチャッカリなってみせた。これは恐らく毛利の反感をかなり掻き立てたのではないかと筆者は仮説を持っている。
 関が原の際には毛利本隊は全然やる気が無く、毛利の両川(りょうせん)と言われた吉川・小早川は寝返りまでしたのに恵瓊には全く知らされていない。捕らえられ六条河原にて斬首されてしまった。

金地院崇伝(こんちいんすうでん)
 室町幕府の名門一色(いっしき)家出身で、南禅寺の住職になった大秀才。その後請われて徳川家康に仕え、当初は朱印船貿易を行う外交を一手に捌いていた。それが鎖国に振れると伴天連追放之文を起草する。この辺節操がないとも言えるが事務能力の図抜けた高さが感じられる。寺院諸法度・武家諸法度・禁中並公家諸法度も全てこの人の手によるものだ。
 例の方広寺の「国家安康」「君臣豊楽」にイチャモンを付けたのもこの人らしい、何か陰湿だ。
 「黒衣の宰相」と称されたが、対立側からは「天魔外道」と嫌われた。要するにイヤなやつだったと思われる。

南光坊天海(なんこうぼうてんかい)
 推定100才以上生きた怪人。太閤北条攻めの頃から突如家康の側近として姿を現したことから、光秀成りすまし説がある。比叡山延暦寺で信長の焼き討ちにあった。そのせいか家康政権の下で比叡山探題執行にもなっていた。
 天海は古代中国の陰陽五行説を駆して江戸の町を設計した。鬼門鎮護に寛永寺を築き、裏鬼門にあたる増上寺を徳川家の菩提寺にする。天守閣は寛永寺・増上寺を結ぶ線と浅草寺と日枝神社を結ぶ線が交差する位置に決めた。何だか風水師か詐欺師の趣がある。
 ハイライトは家康の神号について、突如あまり馴染みのない山王一実神道の「権現」とすると言い出して、「明神」と祭るつもりだった前出の崇伝と激しく対立する。『怪しげな風水師』VS『イヤな奴秀才』の対決になるが、結果はご承知の通り権現様になった。
 驚くべき長寿で三代家光にまで仕えて百八才で死んだことになっているが煩悩の数の年で死んだとは益々アヤシい。

建僧都室西(たけるそうずしっさい)
 正体不明の怪僧。研究者の間で最近にわかに名前が挙がった謎の人物。一説には妖術使いとも言われている。『小山田文書』『西願寺文書』等で名前が確認されたが、鎖国時代に呂宋・越南・暹羅(シャム)・満刺加(マラッカ)・咬吧(ジャガタラ)と東南アジアをウロウロしたと考えられている。近年現地での文書に「シー・スー・チェン」という名でたびたび登場する倭寇崩れと、西願寺文書の建僧都士室西が同一人物だということが分かり、時代考証的に注目された。
 ただこの人物は記録上では二百歳くらい生きた事になってしまい、学者間では『複数説』や『単なる嘘吐き説』の論争がある。或いはなにかの秘密結社で受け継がれた名前なのかもしれない。どこで没したかもわかっていない。
 実際現代でも”建室西(たける・しっさい)”をさかさまにした名前でブログに嘘っ八を書き散らしている人物がいるらしい。

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