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秋の関西に足を伸ばした 上

2016 NOV 8 0:00:38 am by 西 牟呂雄

 気分転換にブラリと旅に出かけて、秋の関西に行って来た。新幹線で京都で降りると七条通りで、その一画に旅館街がある。観光シーズンだからネットでやっと見つけたシケた旅館(それでも明治時代からやってるそうだ)にチェックインして旅装を解いた。テレビ無し四畳半というシャビーな感じ、これで2万円もするとはさすがに京都は凄い。
 例によってメジャーな観光はするつもりはない、紅葉の名所とかね。
京都には何年も前に、その昔爺様が出していた黒紋付の染物屋を訊ねて以来。その時は新撰組にカブれていたので壬生を歩いた。今回は夕闇迫る七条通りでも歩いてみたかった。
 ここのところロクでもないことばかり起きてしまい、東京にいるのがいやになったので新幹線に飛び乗って来たから目的もあてもない。それで鴨川の方にトコトコ歩き出したのだが、外国人の多さに仰天した。白人・黒人・アジア系とゾロゾロ連なるツアー団体からバック・パッカーのようなのまで、果ては長期滞在なのか手ぶらで散策している人など外人だらけだ。通りそのものは地方の大通り風情なのだが、行き交う人々の会話が柔らかい京都弁ではなく外国語なのに辟易して鴨川を渡ったところで路地に入った。まあしかし、あの人数では京都経済に貢献すること大だろうからケチをつける訳にもいくまい。

町屋の中の不気味な料理屋

町屋の中の不気味な料理屋

 暗がりの小路を通ると古い家並みが続く。
 時折玄関の横から裏庭まで覗ける『うなぎの寝床』ぶりの、京町屋という造りの家屋がある。その昔、間口の広さで徴税されたからこのように細長くなったという説を聞いたことがある。裏庭までの通しを『走り庭』と言うそうだ。新撰組に追い回された志士が逃げ込んだのはこういう所なのかな。また、地上げにでも合ったのか相続に失敗したのか細長い長方形の入れにくい駐車場もある。もう疲れたので鴨川の方に戻った。
するとですな、鴨川を渡った大通りに面してラブ・ホテルがあったり、その向かい側は何かの庭園なのか長塀が続いていたり。旅人は珍しければ『これがこの地の風景か』と納得してしまうが、それなりにケッタイな眺めだった。
 その長塀の横を通って行くとどうやら東本願寺の別院、渉成園(しょうせいえん)だとか、フゥーン。
 そして更に行くと古い古い町並みの中にこれまた古い工場のような建物。東京の下町にある工場(こうば)の佇まいに正面に回ると、厳めしいロゴに『かるた 山内任天堂 プンラト』とあった。プンラトはトランプの扁額書き、即ち戦前の新聞の見出しで使われていた一行一文字の右縦書きだ。えっするとこれは今を時めくポケモンのオリジナル製造元である任天堂のことか?もしかして花札とか手本引きはここで造られていた?そういえば社長は山内という人ではあった。

クラシックなロビー

 関西の旅は続く。近鉄奈良線の特急喫煙席で奈良に向かう。こっちはシャビーな京都の旅館とは違って名門奈良ホテルに泊まる。名門ホテルというものはそこに泊まること自体が観光目的化できるようにそれなりに居心地はいい。クラシック・ホテルと呼ばれるカテゴリーがあって、箱根富士屋ホテル・日光金谷ホテル・軽井沢万平ホテル・上高地帝国ホテルを指す。

 天平時代に造られた人工池である名勝猿沢池(大したことないが鳥がいた)を通ってブラブラ行くと、街中に当たり前のように宮内庁の看板が。何事かと怯むと何と開化天皇陵であった。

レプリカかと思ったら動いた怪鳥

レプリカかと思ったら動いた怪鳥

 開化天皇は系譜のみ存在して事績は記されていない欠史八代の最後の天皇で、次の崇神天皇からは陵墓も特定されて実在が有力視されるが、実在については諸説ある。どうやらここも江戸時代には隣のお寺の敷地内だった古墳(ただの小山に見えなくもない)を特定したらしい。日本書紀に「春日率川坂本陵(坂上陵)」古事記では「伊邪河之坂上」と記されているだけである。
 おそらくここに大きな勢力はあったのだろう。そして次の崇神天皇となると例の邪馬台国の時代と文献上被ることになる。
 観光案内の地図を眺めていると明日香は遥かに南だ。これは一筋縄ではいかないな、ともう一泊する事にした(もっと安い宿に変わろう)。

つづく

秋の関西に足を延ばした 下


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