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海軍名パイロットの系譜 (今月のテーマ 空)

2017 FEB 1 23:23:44 pm by 西 牟呂雄

 安倍総理が真珠湾で名前を出した飯田房太中佐(戦死後二階級特進。戦死時は大尉)のことを調べてみた。『The Brave respect the brave』がいたく心に残ったからだ。
 映画「トラトラトラ」で被弾した零戦が帰投を諦め米軍格納庫に自爆攻撃をするシーンはこの飯田大尉がモデルとも言われている。
 海軍兵学校62期で巡洋艦に任官した直後に飛行学生としてパイロットの道を進む。
 奇しくもゼロ戦のデビューとなった中国戦線で重慶・成都の空戦を経験した生粋のゼロ・ファイターである。そして真珠湾に行く。

飯田大尉を埋葬する米軍

飯田大尉を埋葬する米軍

 安倍総理のスピーチにあった通り、攻撃中に燃料タンクを撃たれ僚機に手信号で自爆の意思を伝えると引き返す。
 飯田大尉の突撃を目撃した米兵によれば実際には格納庫ではなかったが、最後までフル・スロットルのスピードで機銃を撃ち続けての激突だった。 
 ためらいのない戦意旺盛な突撃に米軍は戦死した米軍人とともに丁重に埋葬したのだ。
 飯田大尉が中国初戦の成果に浮かれる中、漏らした言葉が残っている。
『重慶に60キロ爆弾一発落とすには、爆弾の製造費、運搬費、飛行機の燃料、機体の消耗、搭乗員の給与、消耗など諸経費を計算すると約千円かかる。相手は飛行場の爆弾の穴を埋めるのに苦力(クーリー)の労賃は五十銭ですむ。実に二千対一の消耗戦なのだ。こんな戦争を続けていたら、日本は今に大変なことになる』
 こういう合理的な考えの人だったので、実は真珠湾攻撃の前日に敗戦を示唆し自爆を仄めかしたという説がある。燃料タンクに被弾したというのも全て伝聞であり、激突の際にも発煙はなかったので覚悟の自爆だというのだ。

 同じくゼロ戦のパイロットで、戦後は警察装備の開発を手掛ける会社を経営していた志賀淑雄という方がいた。安田講堂騒乱の際に屋上から投げられる投石の雨に機動隊が苦戦している時、徹夜で食パン型の安全坑道を作って寄付したことが佐々淳之の本に出ている。
 この人の言によれば、初期のゼロ戦の成果に報道が過熱し『エース』とか『撃墜王』と持て囃す事に対し、海軍では編隊共同空戦を旨とし「海軍戦闘機隊にエースはいない」という方針を決定していたそうだ。この辺はベスト・セラー『大空のサムライ』を発表しエースと言われた坂井三郎氏と微妙に肌合いが違う。
 その志賀氏(旧姓四元)は飯田大尉と同郷かつ兵学校同期で、開戦直前に一緒に帰郷した際の会話を覚えていた。この時志賀氏は長女が生まれたばかりだった。その会話は
『早く結婚して子供をつくれよ』
『うん、じゃ、この子をもらうよ。貴様の娘なら美人だろ』
『そうか、じゃあ20年待たなきゃいかんぞ』
 その時期になんと悲しくも明るい会話であることか。つくづくやるべき戦争ではなかった。
 余談であるがこの二人の海兵62期というクラスは実にワイルドだったことで有名だ。因みに伏見宮・朝香宮と二人の皇族がいたが、直接鍛えられた65期によれば『宮様が先頭に立ってオレ達を殴って鍛えた』らしい。海兵は最上級生の一号生徒が新入生である三号生徒を指導するため、獰猛な(即ち殴ってばかりの)クラスは3年ごとに現れると言われている。
 志賀氏は下級生から『青鬼』と呼ばれていた。『青鬼』がいるのなら『赤鬼』はどうかというと、これがいた。やはりゼロ戦乗りになった周防元成氏だ。
 志賀氏の言に習って『エース』を並べるつもりは毛頭ないが、この周防氏の操縦技術は図抜けており、戦中を戦い抜いて敗戦後は航空自衛隊に所属した際にその技能の高さに米人教官が舌を巻いた。

 このような名パイロット(エースではないとして)の系譜に連なるのが、初めはゼロ戦、敗戦時は紫電改、航空自衛隊でF86FからF104まで飛び続けた山田良一氏である。海兵71期だから先程の順番で行くとワイルド・クラスを卒業。源田実率いる第三四三海軍航空隊に所属していた。
 ブルー・インパルスの初代飛行長で、我々以上の年代なら忘れない東京オリンピックの開会式で鮮やかに五色のオリンピック・マークを大空に描いた際、地上指揮官だった人だ。あの田母神閣下の先輩にあたる航空幕僚長も務めた。
 もう一人戦後のパイロットを紹介したい。アクロバット飛行の名手、通称ロック岩崎。自衛隊入隊後F86F、F104,F15を乗りこなして民間のエア・ショー・パイロットとなったが、惜しくも2005年に事故死した。
 この人は日米合同の模擬空中戦で旧式F104に乗り最新鋭F15を、後にF15で同じくその後継機F16を「撃墜」し、その業界ウォッチャーの間では有名だった。
 真珠湾から国土防衛まで戦い抜くと生存率2割を切るという極限状況を、卓抜したテクニックと強靭な精神プラス・アルファで生き抜いた人々の後輩が平和な時代に事故死する。
 戦場での悲劇は、特攻は言うに及ばず全ての英霊に等しく無惨なものだ。

 しかしいつの時代でも空に生きるものは命がけなのだと思う。

 トムさんより富永さんの写真が送られましたので載せました。(2月7日)

前列が富永少尉

前列が富永少尉

隼は征く 雲の果て 

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Categories:列伝

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