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喜寿庵紳士録 ヒョッコリ先生Ⅱ

2017 FEB 18 12:12:58 pm by 西室 建

 喜寿庵で庭を掃いていたら『やあやあやあやあ』と声が掛かったので振り向くと、例のヒョッコリ先生がニコニコしながら入ってきた。
「いや寒いね。落ち葉、これどうするの」
「せっかくだから畑に埋めてます」
「ナニッここに畑なんかあるのかい」
「はい、こっちですよ」
 すると『あーそう』とか言って一人でスタスタと行ってしまった。面倒なので放っておいたら直ぐに戻ってきた。
「良く落ち葉を入れてあるね。だけどあのままじゃダメだ。土壌の酸度が上がっちゃうんだよ。春先に石灰でも混ぜてやらないと野菜は大きくならんよ」
 へえ、そういうもんか。
「良く分かるんですね」
「土の色が黒すぎるからね。舌先でもピリピリしてる」
「えっ舐めるんですか」
「いや違う。舐めちゃダメ。舌先にちょっと付けて吐き出すんだよ。下手に噛むと破傷風になるよ」
 この人は農業従事者なのかな。それにしちゃ学者みたいな口ぶりだ。
「肥料は入れてるのかい」
「面倒なんで何もやってません。正真正銘の無農薬野菜ですよ」
「ハハハ。それじゃロクなもんはできないな」
「物凄く低い生産性ですよ。別においしくもないし」
 ちょっとムッとしたが毎日やれる訳じゃないから仕方ない。先生は崖下の渓流を覗き込むようにして一人で喋りだした。
「戦争中タカシさんがこの崖の下に防空壕を造るって言い出した時には僕やめろって言ったんだよね」
 等と訳の分からないことを言い出した。
「ところがここは岩盤の上だからとても手で掘れるような場所じゃない。そうしたら削岩機を買ってきてワシが掘るって言いだして、みんなあきれ返ってほったらかしたんだ」
 そりゃこの崖に防空壕なんてバカなことを考えるやつは少しアブないんじゃないかな。
「防空壕ってこんな何も無いところに空襲なんかあったんですか」
「あのね、あの時分いくらアメリカだって飛行機全部にレーダーなんか載せられないよ。B-29は有視界飛行でくるから高高度で目印になるのは富士山だけなんだ。そこから旋回して東京を爆撃した。帰りも同じコースで帰るからこの上あたりは良く飛んでたね。ある時帰りの際に落とし残した爆弾を捨ててったらしいんだがそれが隣の町に落ちて何人か亡くなったんだよ」
「えぇ!こんな所で戦災者がでたんですか」
「そうなんだよ。それでタカシさんがやたら張り切っちゃって・・。あの人は何でも自分でやってみて懲りないとやめないから」
 タカシさんって誰の話をしてるんだろう。
「山登りだってそうだよ。正月にご来光を見るって言い出して暮れの忙しい時に行っちゃったら八合目あたりで50Mくらい滑落したことがあってね。裏立山の時も一週間くらい連絡が無くて遭難したって大騒ぎになった。山仲間が捜索隊を作って探しに出発する時に電報が入ったんだ」
「裏立山ってなんですか」
「立山を富山県側から登るルートのことだよ。ザイルだピッケルだって外国製の高いモン揃えて自慢してたな」
 どうでもいいけどタカシさんて誰だ。先生ももうあっちの方を見ながら喋っているし、僕も勝手に箒を使い始めたがそれでもズーッと喋り続けていた。この人は少なくとも僕より年上だが、もしかすると20才以上年をとっているんじゃないか。そうなると80を軽く超えているはずだ。
「それでこの街にも進駐軍が来たよ。そうしたら中学(旧制らしい)の英語の先生が通訳しようとしたけれど聞き取れないし喋っても通じないんだ」
 僕は背中を向けていたが、声が震えているのを感じた。何故かは知らないが先生は泣いているのだ。相槌も打たずに手許を動かした。
「タカシさんも張り切っちゃって通訳を買って出たけどダメで、その時に曲がりなりにも会話できたのはこの町じゃタカシさんの奥さんだけだったんだよな」
 何の話しをしているのか、何に感極まったのかさっぱりわからないが、余計なことを尋ねるのも憚られて黙っていた。おそらく自分の若かった頃を思い出し、そのタカシさんだかその奥さんの話にかぶせて色々な思いがこみ上げてきているのだろう。オレ、こういうの弱いなぁ、と参った。
 箒を掃く音だけがシャッシャッと聞こえていた。
 そういえば名前も聞いていない。だけど何回もあっているから今更何て訪ねればいいのか、ド忘れした振りでもしようか。
「あのー、そういえば最近は何をなさってるんですか」
 振り返ったら姿を消していて、カラカラと枯れ葉が転がった。又名前を聞きそこなってしまった。
 

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Categories:藤の人

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