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源実朝の嘆き

 この将軍は何かと気になる。
 文学への思慕、立場の煩わしさ、身内の裏切り、家族の不幸、そして暗殺、と決して恵まれなかった28年の生涯は儚い。
 それでも僕は幾つかの挿話にこの若い将軍の少年のような感性と、同時に何やらアヤしげな運命を強く感じる。
 こういう逸話がある。
 子供の頃から夢でお告げ受けたと寺社に参詣したり、夜に怪しげな女性や光を目たと招魂祭を催している。
 ある夜、不思議な夢を見る。夢中に高僧が現れ、汝は宋の霊山医王山の長老であった、と。時を経て将軍となった実朝に、来日した宋人・陳和卿が面会すると涙を流しながら三度拝みこう言った。「あなたはかつて宋朝医王山の長老。時に我その門弟に列す」。
 自分の見た誰も知らない夢の内容を言われ、コロリと信じ込む。それだけではない。医王山を訪ねようと本気になり、陳和卿に船を造れと言い出した。
 実際に建造された船は浮かばずそのまま朽ちた。陳和卿は焼損した東大寺大仏の鋳造と大仏殿の再建に来日した実在の人物だが、徳の高い僧でもなく造船技術も何もなかった食わせ者だったのではないだろうか。おだてられて目の前で泣いて見せる外人に、フトそう言えばとその気になるタイプだったかもしれない(サイコ・パス型の人に多いとされる)。
 しかし可愛げがあるではないか。

 あるいは旱魃に苦しむ中降雨を祈り法華経を唱え続けると、その二日後に雨が降る(これも事実)。
 また、長雨で洪水に見舞われればこう詠いあげる。
『時により 過ぐれば民の 嘆きなり 八大龍王 雨やめたまへ』
 この『八大龍王 雨やめたまへ』のリズム感とダイナミックさはどうだ。
 水神は龍の姿をして現れ様々な呼称があるが、実朝には「はちだいりゅうおう」の語感以外に使う言葉はなかったはずだ。
 そもそも都に比べ著しく文化程度の低い鎌倉で、和歌が味わえる者など周りにはいないのが気の毒である。
 藤原定家に自らが詠んだ和歌三十首の添削を頼むなど、いじらしくさえある。
この天才振りは賀茂真淵や正岡子規が評価していなければ少年将軍のお遊びとして誰にも顧みられなかったかもしれない。
 趣味が昂じて『金槐和歌集』を編纂するが、坂東武士の冷ややかな視線を感じたはずだ。

 次から次から起こる煩わしいナントカ合戦だのカントカの乱、おびただしい政務に疲れたときは鎌倉の海をながめてはさぞ嘆いたことだろう。

 辞世とされる歌は
 出でいなば 主なき宿と 成ぬとも 軒端の梅よ 春をわするな
 但し、辞世として詠んだのではなく、先に作ったものの結果として辞世だとされた、という説に後世の偽作説もある。

沖の小島に波のよる見ゆ 

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