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ジェスフィールド76号

2018 APR 1 15:15:23 pm by 西 牟呂雄

 日中戦争さなかの上海共同租界に設置された特務機関で、あやしげな名前はジェスフィールド通り76号という住所をさしている。この時代の風を浴びることはできないので、裏側から見てみようと各種テロ集団、秘密結社といった側面に光を当てるつもりで調べて知った名前だ。
 辛亥革命後の大陸の複雑怪奇さは到底ブログなどで追い切れるものではない。言ってみれば無法地帯のような戦乱国家だった。各地の軍閥(直隷派・奉天派・山西派・安徽派)と国民党・共産党が群雄割拠し合従連合と分裂を繰り返していた上に日本軍もいた。
 試しにこの時期の勢力図を年表にしてみたがさっぱり分からない。そこで年ごとに中国の白地図を色分けをしてみることに挑戦したが、グチャグチャ過ぎて失敗した。1925年から35年までやろうと3年分やったところで無駄なのでやめた。あの満州事変が1931年だがその前も奇怪過ぎる。共産党勢力なんかは消滅寸前に見えた。
 子供だった頃に大陸で兵隊をやっていた人の話で強烈に覚えている事がある。その人は語学の才があって多少の中国語を理解していたが、師団ごと移動すると川一つ越えただけで同じ中国語とは思えないくらい通じなかったとか。それは現地の非戦闘員(多くが農民)にとっても同じで、新しい武装集団が来れば言葉が通じないのは当たり前。食料調達等で交渉していると(決してブン取ったりしていない、と言っていた)彼らは『今度は日本という軍閥が来た』というふうに思っていたと。どうやら日本という国があることもわからない連中だったのだろう。

汪兆銘

 蒋介石と袂を分かった国民党左派の汪兆銘が南京政府を樹立したが、提題のジェスフィールド76は汪兆銘派のダークサイド組織なのだ。
 汪兆銘自身は日本と戦わず和平の道をさぐる、と本気で考え真面目にアプローチするのだが足元のメチャクチャぶりは如何ともしがたい。
 そもそも蒋介石は当時のドイツの援助を受けていたし、傘下のCC団(セントラル・チャイナの略とか)は共産党の弾圧に反日工作、もちろんヤバい仕事もする。CC団は陳果夫・陳立夫兄弟で組織されたが、他に蒋介石直系の藍衣社という秘密警察もありこちらも露骨に暗殺・処刑する。
 蒋介石自身、犯罪秘密結社『青幇(チンパン)』の親分、杜月笙(とげっしょう)の兄弟分で青幇はアヘンも殺しも何でもござれ。政治軍事のトップとマフィアの親玉が義兄弟というシャレにもならない事態だったのだ。
 汪兆銘側だってきれいごとばかり言ってられない、ジェスフィールド76で対抗する。中国人組織であるが、頭は晴気少佐という陸軍軍人で影佐大佐が率いる工作機関の手足として怖れられた。
 日本は近衛文麿の『国民政府を対手にせず』以後、陸軍の「梅機関」外務省の「岩井公館」を設置して南京政府を樹立すべく動いたのだ。
 前者のトップ影佐大佐だったが、軍人の割には和平工作に熱心で、軍中央から「支那に手ぬるい」と評価を下げられ南京政府発足後は飛ばされた。終戦はラバウルで迎えた。因みに怪我で引退した谷垣元自民党総裁のお爺さんである(母方)。
 後者は外務官僚の岩井英一が純粋に和平のため情報を収集するため機関が必要と奔走した上海公使館情報部を発展させた。
 ところがこちらの組織は瞬く間に共産党系の密偵の巣窟のようになってしまい、しかも蒋介石軍を挟んでの二重三重スパイも多かった。結局岩井公館は蒋介石の情報を共産党スパイに多額の外交機密費を払って得ていたことになると、遠藤誉が発表している(新潮新書・毛沢東)。更に共産党は日本軍と停戦交渉までした、と綿密に考証している。
 ジェスフィールド76は中国人トップの李士群が南京政府樹立の翌年に、あろうことか上海憲兵隊の岡村特高課長との会食中に突然倒れて死ぬ。毒殺されたようだ。それもそのはずで上記考証によれば、李士群は対共産党の交渉窓口もやっていたためただでさえ恨みを買っていただけでなく二重スパイも十分有り得る。或いは口封じかもしれず、殺害理由は枚挙にいとまがない。

 それにしても汪兆銘は忙しい生涯を送った。日本の法政大学に留学中に孫文に傾倒しハノイ・シンガポールと行動を共にした後、北京で清朝王族の醇親王の暗殺を企てて捕まるが革命が起きて釈放される。蒋介石と対立してなぜかフランスにも亡命する。
 その後紆余曲折を経て南京国民政府の首席になるのだが、日本の関与で出来上がった政権でもあり、正規軍百万人を擁していたが蒋介石軍とは戦闘をしない。苦労して立ち上げた政府だが、志とは違って苦しむ。 
 ところで元総理大臣の福田赳夫が政権の財政顧問で厚く信頼されたらしい。何かと自民党と縁のある人だ。
 国民党中央委員会で狙撃されて弾丸を摘出できず、それが元で最後は終戦直前の名古屋で亡くなった。政府樹立前にもハノイで暗殺されかけている。

 ところで現代ではソ連崩壊による文書公開もあって当時の研究も進み、コミンテルンのスパイがアメリカ中枢にワンサカいた事実や、はなはだしきは盧溝橋の一発もコミンテルンの仕業だったという仮説があるそうだ。前出の遠藤誉の著作は、日本軍との協力も辞さない毛沢東の大戦略があった、との立場だ。

陳 立夫

 戦後台湾で存命だったCC団の弟、陳立夫に日本人ジャーナリストがしたインタヴューが活字になっている。その中で『当時の陸軍中枢にコミンテルンのスパイがいたはずだ。こんな簡単なことがわからないのか』と笑ったとある。
 また、海軍軍令部で流れた噂に『陸軍の連中は共産主義と我が国の国体は調和すると言っている』というのが阿川弘之のエッセイにあったはずだが、どの文章だったか思い出せない。
 僕がこの時代に陰謀渦巻く大陸の伏魔殿にいたら、いったい何を考えただろう。平和な今日だから「環日本海経済構想」等を夢想していられるが、渦中にいたら一体何のために中国にいるのか冷静でいられただろうか。この話、取り合えず万里の長城の内側に限っての事にして欲しい。満州エリアは関東軍がからむのでまた別の機会に。とある東京の名門高校の日本史の先生は関東軍の研究家で、授業は一年中関東軍についてだった(くらい複雑だ、というオハナシ)。

 それが、だ。半島においてややこしい会談がこれから行われる。   今頃足元のトウキョウでも何かが蠢いているに違いない!戦争反対!自主防衛!

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Categories:言葉

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