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敗れざるを以って徳となす 庄内の鬼と夜叉

2019 JUL 1 5:05:23 am by 西室 建

 庄内藩は徳川四天王の酒井忠次を藩祖と仰ぐ名門で、江戸中期の藩主酒井忠寄が老中として幕閣に参じている。
 北越出征軍は既に仙台を出立し山形盆地の天童に達した。藩論は沸騰する。将軍は恭順しているが、このまま軍門に下って果たして筋は通るのか。幕命だったとはいえ、江戸の薩摩藩邸を焼き討ちしたのは庄内藩預かりの新徴組であり、残党は藩内の鶴岡にきている。
 新政府軍(出兵させられた天童・山形・その他の各藩と薩摩・長州の連合軍。この時点で奥羽列藩同盟はまだない)に対し庄内藩兵は最上川を挟んで対峙した。もはや戦闘は避けられそうになかった。
 驚くべきことに庄内藩には長州における奇兵隊のように、民兵とも言うべき部隊まで編成されるほど士気が高い。更にはかの本間家の財政支援を受け、最新のスペンサー銃まで装備していた。
 精鋭二番大隊を指揮する酒井玄蕃(本名、了恒のりつね)は、はやる幹部を前に落ち着いた声で告げた。家老職である。
「上様は大政を奉還され恭順された。新政府とやら、何故大軍勢を仕向けるや。道理が通らねば正すのみ。世に知らしめよ、北斗の姿如何に映るや」
 傍らの小姓が満身の力を込めて高々と旗を掲げた。

破軍星旗

 一同から「おぉ~」と低いかすかな声が広がった。
「これなるは道理を正す『破軍星旗』なるぞ。この旗の下、庄内健児の意気地あり」
 北国の兵は歓声などは上げない。むしろ押し黙って頷くのみである。
 ところが、この儀はチト効き過ぎた。玄蕃が制したにもかかわらず、一部が川を渡り一斉射撃と猛烈な切り込みにより新政府軍の前衛を蹴散らしてしまった。
 新政府軍といっても実際の戦闘を経験しているのは京都や鳥羽・伏見での実績がある薩摩・長州くらいで新政府に無理矢理出兵させられた東北諸藩の軍勢は突撃を受けると一目散に敗走を始める始末。天童藩主はかの織田信長の末裔だが、城を捨てざるを得なかった
 慌てた玄蕃は部隊に撤収を命じ即座に領内に引き揚げたが、あまりにあっけない勝利に意気が上がるばかりである。
 新政府軍は後に首相となる長州の桂太郎、薩摩の猛将黒田清隆等がいきり立ち、本腰を入れて庄内攻撃を開始する。しかし巧みに地形を利用した玄蕃の用兵とスペンサー銃の一斉射撃に出ては負け、敗走を繰り返す。
 いつしか新政府軍は敵将を『鬼玄蕃』と呼びならわし、戦場に破軍星旗が揚がると恐れた。
 酒井玄蕃、二十歳を幾つか過ぎた若者は、漢詩を詠み、書を嗜む教養人だが一旦戦場に立つと決して怯まない。ただ肺が悪かった。
 戦闘は続き、新庄・久保田・秋田・米沢と各藩が次々に脱落していく中、床内だけは全く敵を寄せ付けない。新政府側は20回挑んで全て跳ね返された。
 現有戦力では敵わないと見た新政府軍は、首都の守りを固める佐賀藩を秋田にまで呼び寄せた。指揮を執るは鍋島茂昌。佐賀鍋島支流の武雄藩主で、彰義隊を殲滅させたアームストロング砲を引っ下げて乗り込んできた。幕末最強の火力部隊である。
 雄物川付近の刈和野・椿台を戦場に死闘が始まった。双方全く引かない。鍋島茂昌は砲兵隊を指揮しつつ『鬼玄蕃とやら、いかほどの者。目に物みせてやれ』と激を飛ばした。
 折り悪く玄蕃は風邪による高熱に伏していたが、止める家臣を叱咤して『輿に乗せよ』と出陣し、劣性に立たされた体制をかろうじて持ち直した。
 宿営に戻る際も輿の上で端坐していたが、周りには最前線で負傷した兵達が引き揚げて行く。その中に飛び抜けて背の高い(五尺六寸約170cm)総髪の若侍が左足を引き摺っていた
「そこもと。ケガは大丈夫か」
 との声にその者が振り向いた表情を見て玄蕃はその美貌に少し驚いた。若侍は声の主が二番大隊を率いる玄蕃であることに気付きサッと伏した。話などできるはずもないが、高名な司令官の顔くらいはわかった。
「よい。面を上げよ」
「ハッ。拙者のこの足であらば心配御無用。先の江戸薩摩藩邸を焼き討ちした際の浅手ゆえ。何の支障もございませぬ」
 高く澄んだ声に色白で顎の線も柔らかい。光る目、そして喉仏がない。
「名は何と申す」
「新徴組。中沢琴と申します」
「おっおなごか・・・・」
「恐れ入りまする。それよりお熱があると伺っております。早う」
「なんの、もうひと合戦じゃ」
 その凛とした佇まいに琴は思わずひれ伏した。

 一旦休んで一息入れている際に玄蕃は思い出したように側近に尋ねた。
「新徴組に中沢というおなごの隊士がおるのか」
「ハッ。物凄く腕が立つそうで、先の合戦では逃げ遅れて数十人に取り囲まれた中を血路を開いて突破してきたようです」
「まことか。おなごの身でなにゆえに剣を使う」
「あれの兄が隊士で、その縁のようです。天狗剣法と言われる上野(こうづけ)法神流の達人と聞きました。それにあの背丈では嫁入り先も・・・。むしろ色男と勘違いした娘共が勝手に熱を上げる始末とか」
「ハハハハ、それは愉快じゃ」
 久しぶりに笑顔を見せた。側近たちは風邪をこじらせている玄蕃の気を少しでも和らげたかったのでホッとした気持ちになり、つい言った。
「お側に呼びましょうか」
「合戦の最中に痴れたことを!大馬鹿者!」
 一方の琴はしばらく動くことも出来なかった。
 同僚の隊士達は、さすがに疲れたのだろうとそっとしていたが、兄である貞祇 (さだまさ)は肩を貸そうとしてギョッとした。琴の顔から血の気が引いていた。
「お琴、何事か」
「兄上・・・・」
「何とした」
「あのお方のために、琴は夜叉になりまする」
  貞祇は尋常でない目の色に怯んだ。
 それ以降、琴は鬼神の働きをする。徴組隊士であるため、いわゆる正規軍ではない。従ってもっぱらゲリラ戦に投入された。
 膠着状態の前線を迂回し側面から突く、撤退と見せかける際には草に埋もれ泥に臥せってやりすごし背面を襲う。切り込むこと三度にもかかわらず、かすり傷一つ負わなかった。

 領内には一兵も入れなかった庄内藩も、会津までもが降伏・開城したことを知り、ただ一藩で抵抗はしかねる。藩主酒井忠篤の元、評定は一瞬にして決まった。
「玄蕃。この難局を如何にせん」
「殿の御下命あらばこそ。われら弱卒雑兵ことごとく城を枕に総討ち死にが最もたやすき道。しかるに庄内健児未だ怯まず。ここは殿、敗けざるをもって徳となされませ」
 庄内武士は議論などしない。
 忠篤は頷いた。
 組織力とはトップの判断が末端までどれくらお早く伝わるかで分かる。新徴組にその話が伝わったのは直ぐだった。
 城明け渡しに際して、新政府軍は作法に則り粛々とやってきた。その隊列を城下の辻にて燃える瞳で見つめる目があった。琴である。
 勝ちを収めてもいないくせに鶴岡に乗り込んで来るとは、一体どんな者が率いているのか。その姿を見ておきたいと目を凝らすが、一向にそれらしき者は現れない。
 北越出征軍の総指揮官として庄内入りした西郷隆盛は、黒田清隆に「政府軍に勝ちに乗じた醜行があってはなりもはん」とのみ告げただけで、鶴岡城受領には姿を現さなかったのだ。
 琴は納得がいかず、そう広くもない城下の街道筋へ歩いて行った。
 涙が頬を伝っている、何故だ、何故私はこんなに泣けるのか。
 すると数名の新政府軍と思われる兵士と坊主頭で着流しの大男がいた。琴は帯刀している。時節柄、兵士は警戒して刀に手をかけたのだが、琴の美貌と滂沱の涙の跡に気が付き声をかけた。
「おやっとさーでごわいもした、よかにせどん。わいどんなまごちつよか」
 薩摩の兵だった。薩摩人は敗者に憐憫の情をかけるのが常である。庄内藩士の激闘を称えたつもりの一言なのだが、琴はその薩摩訛りが分からず、危険を感じた。すると着流しの巨漢が
「おはんら、よさんな。こいはおごじょでごわそ」
 と笑顔で言った。これも分かりかねたが、全く敵意のないことは分かった。
「おごじょ、とは」
「こいはあいすまんこつ。かごまんことばで『おなご』のこつでごわ」
 一同は一様に驚き興味深げに琴を見た。
 琴は琴で坊主頭の大入道の巨眼を見つめた。するとその男ゆっくりと言う。
「おはん、うではたつじゃろ。じゃっどん、もう人は切れもはん。また切るこつもなか。そういう世ん中にないもした」
 実は思いつめていた。女の身ゆえ切腹能わず。喉かき切るくらいなら敵将に一太刀浴びせての後に果てよう、と刺し違える覚悟だったのだが、男の一言で風を浴びたように体が軽くなる気がした。
「おいたちもこいで帰りもす。気をひろうもちやんせ。ごめん」
 そう言うと、小隊は徒歩で隊列を組んで去って行った。 
 薩摩の小隊はずいぶんと進んで小休止を取った。
「いや、せご先生。めずらしかおなごで」
「ふむ。鍋島どんの前衛を切り崩したんがおごじょじゃったと聞いちょった」
「あんおごじょでごわすか」
「間違いなか。あいは人でも切ろうとしちょったろ」
「誰をな」
「おそらく総大将をば討ち取ろうち。じゃっどんあの目では人は切れん」
「なして」
「わいどんらもうとか。あいは恋ばしちょる目ぞ」
「恋!」
「わっはっはっは」

 中沢琴は実在の人物で、記録で確認できる新徴組の女性隊士である。新徴組にはあの沖田総司の兄である林太郎も在籍した。
 以下は世に知られた話。維新後庄内は西郷の徳を称えること甚だしく、かの「南洲翁遺訓」は下野した西郷を訪ねた庄内藩士達によって残された。玄蕃自身も鹿児島に行っている。その後、私学校に在籍した二人の庄内藩士、伴兼之と榊原政治は西南戦争で戦死している。
 また、薩摩藩士大山格之助(西南戦争時の鹿児島県令)は玄蕃に東京で会い『あの鬼玄蕃の勇名をほしいままにした足下が、容貌のかくも温和で婦人にも見まほしい美少年(よかちご)であろうとは」と慨嘆したそうである。
 琴は、兄とともに群馬県沼田に帰郷した。大柄なうえに年も20代後半。当時で言えば大年増ではあったが、その美貌ゆえに縁談もあった。しかしながら終生独身を貫いた。
 玄蕃に惚れ、戦に負け(敗北ではないが勝てなかった)、鬱屈した心を薩摩の肥大漢にふきとばされたためである。しかしその薩摩人の大男が、敵将西郷隆盛だったとは生涯知る由もなかった。

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