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怪人 辻正信の正体

2019 OCT 21 1:01:41 am by 西室 建

 歴史探偵の異名を取る半藤一利氏は、現役時代に国会議員である辻を取材し、そのアクの強さと懸河の弁舌に気圧され「絶対悪というものが出現存在する気配にとらわれた」と感想を述べている。その後幾つかの新書等で、その取材の際に『オレの体には五カ国の弾が入っている』と上半身を脱ぎ、『これがノモンハンの時のソ連、これが・・』とやった、とも記している。

現役時代

 この五カ国とは察するに、ノモンハンのソ連、ガダルカナルの米、ビルマの英と、どこで喰ったか知らないが共産党の八路軍に国民党軍ということなのか。半藤氏は次に会った時は七カ国に増えていた、とも語っている。まあ、アジアでは日本が一人で戦っていたことは事実だ(現地ゲリラはともかく)。
 辻はノモンハンに於いては、作戦参謀としてこう言ったことも活字になっている。
「傍若無人なソ蒙軍の行動に対しては、初動の時期に痛撃を加える以外に良作はない。またかくすることは関東軍の伝統たる不言実行の決意を如実に示すもので云々・・・」
 物凄い気迫である。『不言実行』とは中央を無視した独断専行のことであり、石原莞爾以来の関東軍いつもの手だが、それを『伝統』とは恐れ入る。
 ところでそのノモンハンは最近発掘された旧ソ連の文書により、言われているようなコテンパンの負けではなく、引き分けに近い終わり方だった。
 彼我の戦力は比べようがないが、夜襲は相当な効果を上げており、第二次世界大戦のロシアの名将ジューコフ大将を散々悩ませている。夜襲で有名な第二師団(仙台)は、後にインパールで善戦した宮崎繁三郎大佐指揮の元、ドロト湖周辺からソ連軍を追い払った。翌日に大戦車部隊の反撃も食い止めている。
 日本ではあまり人口に膾炙しないが、ロシアでは『ノモンハンジーキン』の言い方で有名な戦闘である。筆者(ワタシ)はCIS貿易関係者のロシア人と話している時に、”ジーキン”が”事件”のことであることが分からず往生したことがある(知らないフリをしたと思われたかもしれないが、友好的な物言いだった)。
 陸士・陸大を通じて抜群の秀才であり、筋骨隆々たる強靭な体、不屈の闘志、といった部分は優れた軍人だったことを示している。
 任官後に上海事変に投入され、帰国して参謀本部で東条英樹の下、一課(編成)や三課(輜重・兵站)をやり、かの満洲関東軍の作戦参謀でノモンハン事件に邁進する。上司であろうと怒鳴り上げ、自説をゴリ押しする危険な過激派であったろう。
 ノモンハンでの中央指令無視等、独断指揮が問題になり左遷されるも、ゾンビのように大本営作戦課に舞い戻る。
 参謀なのに前線に出たがり、そこで自分の目で見た状況から即断する為、司令部の方針・裁可を仰がずに指揮してしまうらしい。事実被弾もする。
 赴任先の上官の伝票を調べ上げ、飲み食い・車の使用を掴んでは睨みを利かせるので、兵隊達からは慕われたようだ。実際本人は至って清廉潔癖だ。吝嗇もない。酒・女もない。
 かのノモンハンも、爆撃編隊には同乗した。更に前線で弾雨の中に飛び込み負傷者を背負って帰る。
 戦後に復活してから国政に立候補すると地元石川県で連続4回当選するが、彼の原隊でもある歩兵第七連隊(金沢)の票が磐石だったからだろう。戦犯も何もない。その後、岸信介と対立し辞職したが、参議院の全国区で簡単に返り咲いている。既に『潜行三千里』がベストセラーだったこともある。
 その『潜行三千里』によればバンコックで敗戦を迎えた。潜行してベトナムに渡り、更に中国本土の当時の国民党首都である重慶までたどり着いた後に帰国する、という内容を実に緻密な筆致で綴ってある。描写、分析、抑揚、日常の細かい部分等、作文能力は高く、参謀として作戦計画を資料に纏め上げるのはさぞ上手かったろう。
 蒋介石の有名な『以徳報怨』は大陸に居る百万人の日本軍をおとなしく武装解除させるための詭弁だと見抜いている。或いはその国民党の上から下までの悪習である汚職・腐敗に対しても嫌悪感を抱いていた。
 しかし日記でも持ち歩ける状況でもないのに実に正確に日付、人の名前等が記される。この内容は全て記憶に基づいて書かれたのだろうか。実際には南京に辿り付いた時点から緻密な日記を書いているので概ね正確だと言われているが、驚くべき記憶力である。
 潜行の理由については、英米の手に落ちるより国民党に協力しアジアのための闘争を継続する為、と読み取れる。対蒋介石政権への窓口として藍衣社(国民党情報機関)の華僑工作人脈に頼ったことにしているが、藍衣社と言えば工作・暗殺なんでもありの秘密警察だ。
 確かに、すぐに国共内戦が始まったため、押され気味の国民党軍は旧日本軍の協力を仰いだ例はある。山西省で「山西王」と呼ばれた閻錫山の配下に支那派遣軍北支那方面軍第1軍の一部が協力して残留した。共産党側にも万単位でいたことも確認されている。しかし直前までやり合っていた有名な参謀に気脈を通じることに疑いを待たないはずは無かろうに。
 そして中国語(北京語・広東語も含め)も喋れずに華僑相手にそんなことが通じるだろうか。無論タイ語もベトナム語もダメ。幼年学校は独語・仏語・露語だから多分英語にもうといはずである。中華圏では筆談をした、とあるがその場合は椅子に座って時間を掛けて漢文を書いて相手に推量してもらったのだろう。しかしいかに華僑が跋扈していたインドシナ半島とはいえ、あの終戦ドサクサで良く命永らえたものだ。
 更に坊主に化けた時点で資金を失っていたはずだが、延々重慶までたどり着く間にどう賄ったのか。いっそのこと最初から国民党のスパイだったと考えた方が合理的にさえ思える(まさか、だが)。
 潜行過程は後に公開されたCIA機密文書と国民党の報告の突合せで概ね事実とされているが、個別の記述には多少の疑問が残る。
 帰国してからはさすがに転々として身を隠した。小城炭鉱で鉱夫をしていたのは50近い年齢のはずだから、やはり超人的な体力の持ち主だ。

議員時代

 1950年に戦犯解除された時点で上記『潜行三千里』で復活し、二年後には衆議院議員となりおおせるのだ。何らかの軍人グループ、右翼団体の支援を受けたのであろう。この時点で反省とか後悔のカケラもないことを大っぴらにしている。
 当選すると自民党鳩山派に属し、なぜか外遊してエジプトのナセル、ユーゴのチトー、インドのネルー等大物と会っており、甚だしきは周恩来にまで面会した。何を話したのか寡聞にして知らないが、欧米の悪口を言いつのったに違いない。
 思想的なバック・ボーンは反米・反共程度だろう。
 人間には稀に自分の痛みに鈍感で、自分が負ける(色んな意味で)ということが分からないという人がいて、武闘派に多い。こういうのはやたらと戦闘能力が高く、闘っているうちに益々強くなってしまい、終いに止まらなくなる。ふやけたチンピラがヤキを入れられると途端に強くなるのもそれだ。
 辻は自分も何度も被弾したがどうってことなかったのだろう。嬉々として次の戦場に行く。躊躇なく戦場を求めたのだ。
 計見一雄の『戦争する脳』を読んでみるとよく分かる。ヤタラと優秀な頭脳の持ち主が戦争がしたかった、という一種の病に罹ってい続けたとも考えられる。
 最新刊の文庫に、秘かに親族に宛てて送られた6冊のノートの一部が『我等は何故敗けたか』としては収録されている。重慶~南京時代に秘かに書いたものだろう。息子に向けて『父は』という文体で構成されている。
 敗戦の要因を八項目挙げていて至極真っ当な批判をしている部分も多い。
 第三項で外交の失敗を挙げていて、ドイツと組んだことを批判している。ところが批判しているのは、当の本人がノモンハンの拡大の最中だったにも関わらず、同時期にソ連と不可侵条約を結んだヒトラーを批判しているのだ。
 それが第八項では、その後日本も不可侵条約を結んでいるにも拘らず、その条約をヒトラーと同じように無視し、共にソ連を攻めるべきだった、とも書く。ドイツと組んでインドに進出しスエズを目指せ、と。第八項は軍上層部の戦略の無さを嘆いているのだが、自分は大本営作戦課にいたではないか。陸軍大学の模範解答がそれだとは到底思えない。
『一個の軍人として戦い抜いた過去に悔いを残していない』
『日本を再建し、その上に中国と一体となり東亜連盟を結成することが後半生の父に与えられた使命と信じ』
 一読、純真で壮健な青年の熱意にも思える話だが、50を超える年季の入った元参謀が主張して良い見識ではないだろう。
 この人が参議院議員の身分のままビルマで消息を絶つのが、我々の年代が小学生になった頃であることを思うと、辻の遍歴は近現代における歴史であり、今日に於いては若くて優秀な議員先生が『戦争によって取り返す』などと軽々しくツィートしたら十分に警戒すべきなのである。
 実は辻が消えたこの時期、ベトナム戦争の導火線になる個別のドンパチは始まっており、一丁アメリカに一泡吹かせてやるか、と思わなかったか。
 もし、かの頭脳が今の平和ボケ時代だったら一体どうしただろうか。ユニコーン企業の創業者にでもなって一世を風靡したか、官僚から政治家に転身したか。防衛大学を出て、北の国と対峙したりしたらチョットこわい。

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Categories:陰謀

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