1985年のロード・ウォリアーズ
2020 OCT 10 0:00:57 am by 西 牟呂雄
厚い胸板、強烈な顔面ペイント、モヒカン刈りと頭頂部をそり上げた逆モヒカン、女性のウェスト程もある腕回り。技も何もない。ぶちかまし、殴りつけ、蹴り上げて、叩きつけるだけ。強い。無敵のタッグ、アニマル&ホークのロード・ウォリアーズの入場だ。そもそも花束贈呈も選手紹介も成り立たないのだ。リングに駆けあがってくるといきなり襲い掛かって試合が始まる。メインエヴェント以外の試合、すなわち来日して直ぐにセミ・ファイナルで若手レスラーとやった時はほとんど秒殺だった。
タイトルマッチでも大体ノーコンテストか両者リングアウト。誰が何をやってもフォール負けということがない。そして凶器攻撃のような反則など一切やらず、次々と相手をぶちのめしていく。
1985年、全日本のリングを襲ったロード・ウォリアーズはひたすら強くかっこよかった。インターナショナル・タッグ選手権に挑戦された鶴田・天竜戦では、あの天竜がアニマルに2回もリフトアップされて投げ落とされた。長州・谷津は長州がサソリ固めをかけると楽々と腕立て伏せをしてみせる。
ウォリアーズ攻略を研究した僕は弱点は二人の足首だと見抜き、アンクル・ロックかドラゴン・スクリューで攻めろと声援を送ったが、そこまでに至らないうちに粉砕されてしまう。馬場・輪島組も歯が立たなかった。
話は変わるが1990年代に一時流行ったCMで、アマゾネスみたいな巨漢の女性が「(水の中から姿を現し)ダッダーン!ボヨヨンボヨヨン」と身をくねらせるわけの分からないのがあったが覚えている人はいるかな。これはピップのダダンという栄養ドリンクのCMで、出てくるのはレジー・ベネットという女子プロレスラーだ。この人はウォリアーズのホークの彼女だった。さらにどうでもよいがこの振付を考えたのは投身自殺したコメデイアンの故ポール牧である。
数々の合体フォーメーションはマネジャーのポールエラリングが振り付けをし、リング下からも細かく指示を出していた。このあたり従来型のタッグマッチより洗練されており、ツウをうならせる新しいスタイルと言えたが、なぜかこの流れは消滅する。現在のWWEではマネジャーがいるケースもあるが、それよりもレスラー本人が色々と発信するスタイルに変わってしまった。
90年代に新日に参加した際に、脊椎損傷によるアニマルの欠場を受けて日本人パワー・ウォリアーとなって組んだのはあの北斗晶のご主人となった佐々木健介で、このチームも強かった。
逆モヒカンのホークは薬物問題でWWFから追放されたりしていたが、2003年に心臓発作で急死する。46歳の若さだった。ドーピングしていたのはミエミエで240kgのベンチプレスをガチャガチャいわせながら挙げていた。やはり使い過ぎたのだろう。
残されたアニマルはその後もリングに上がり、2000年代初頭には来日して武藤啓司と組んだり佐々木健介と再びヘル・ウォリアーズを結成したりして活躍した。そのアニマル、先月ツイッターにより訃報がもたらされた。こちらは60歳。合掌。
当時、研究者の間でウォリアーズはヒール(悪役)かベビー・フェイス(善玉)かの論争があり、僕はベビーフェイスだと主張した。すると、それではなぜ日本人にあの手のタッグ・チームがないのか、と反論され答えに窮した。そもそもタマがいないのだ。かろうじて僕が出した結論は、ジャンボがヒールに転向してペイントし、新日本の武藤啓司のグレート・ムタと合体すれば成り立つ、というものだった(当時アメリカではグレート・ムタはカブキの息子というギミック)。見たかったなあ、翻っていまではこのタイプのレスラーがほとんどいないことが寂しい。
ところでアニマルの二人の弟はジョニー・エース、ザ・ターミネーターとして知られるレスラーであり、息子のジェームズ・ロウリネイティスは5年4220万ドルという契約をしたNFLセントルイス・ラムズのラインバッカーというスポーツ一家だった。
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