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選挙事始め -大統領選に寄せてー

2020 NOV 16 9:09:27 am by 西 牟呂雄

 関東エリアの某地方は、今ではすっかりおとなしくなったが嘗ては猛烈な金権選挙で名高かった。当たり前のように買収工作が横行し、それを指す方言さえあった。「ブチに行く」という。夜毎ブチに行く者がウロウロし、ついにはそれを阻止するために辻に焚火をして見張りがいたこともあったという。
 戦前の二大政党である政友会と民政党に収斂していく過程で、様々な勢力が離合集散するのだが、この地方ではそれだけでなく地縁・血縁が横軸となって一層複雑な選挙戦が繰り広げられる。又、維新後の東京で財をなした財閥がバックにつくため、中央政界の大物まで巻き込むことがしばしばあった。財閥とは生糸成金から事業展開したグループで、電力・鉄道といった都市インフラに携わる者が多い。
 大正7年にこの地方の代議士が死亡したため補欠選挙があり、折しも二大勢力が激突する舞台が整ってしまった。
 時の政権与党である政友会側には地元名士の穴熊家から投資家で鳴らした七郎が立候補する。民生側(当時は憲政会)も負けじと対立候補を立て、こちらには財閥グループがバックについた。その人脈から中央より浜口雄幸・若槻礼次郎・加藤政之輔といった大物がやって来る。当時は選挙取り締まりも政権の意向がモロに出る状況下、壮絶な実弾飛び交う選挙の結果政友会側の七郎が勝利した。
 こういった選挙は双方に大きなしこりを残し、特に負けた方は資金的にも苦しくなって本当に井戸塀(金を使い果たして井戸と塀しか残らないの意)になってしまう。
 両勢力はその後大正九年の原内閣による解散、十三年の総選挙、県会議員選挙と戦い続け昭和を迎えた。その時点では若槻礼次郎内閣になっており、俄然民生側の巻き返しの機運が高まったところでまたもや逝去による補欠選挙が行われることとなった。政友側は落選中の穴熊七郎が名乗りを上げる。対して民生(憲政)側も造り酒屋で山林地主の小森家の当主、鶴丸を担ぎ出すことに成功。双方気合十分で火ぶたが切られた。
 ところがとんでもない椿事が起きた。御本尊の小森鶴丸が突如雲隠れして行方不明となったのだ。だが陣営幹部は今更もう後には引けない、の悲壮な決意を以て選挙戦を続行する。この信じ難い顛末の真相は大の選挙嫌いだった鶴丸の細君サトが激怒し、鶴丸を本家の土蔵に押し込めて施錠、一切の外界との通信・交流を断ってしまったからだった。
 前代未聞の選挙戦は2月の真冬である。双方ヒートアップしてしまい応援弁士の言論戦からいつもの実弾戦へ、そしてそれを阻止せんとする青年部隊の夜襲まで発生と戦国時代のような様相を呈した。
 結局、小森鶴丸はサトの鉄壁の守りを突き崩せず、一度も有権者の前に姿を現すことなく選挙を終え、穴熊陣営の軍門に下る。

 以上は約100年も前の我が国の一地方の話である。しかし、大金持ちと民主派が争い双方で貶し合い、プラウド・ボーイズが武装しBLMが暴れまくり、投票結果すら直ぐにはまとまらない、今日のどこぞの大国の大統領選挙と大して変わらないではないか。民主主義は理想的ではあるが、投票行動のヤバさは我が国の選挙でもしばしば妙な議員を選出し、不正は後を絶たない。国会の論戦も大したレヴェルとも思えない。そろそろ民主主義を鍛えなおすイノベーションが欲しい。いっそAIを使うとか。
 さて、上述の話はほぼ実話である。その結果により小森家ではよほど懲りたのか以後選挙に関わることはご法度と家訓に定めて今日でも申し送られている。穴熊家と小森家の確執は続くのであるが、後に鶴丸の次男である亀次が穴熊本家に婿養子として入り一応の手打ちが成立した。 
 最後に蛇足ながらエビデンスを。文中の小森鶴丸のモデルは筆者の曽祖父に当たる.但し筆者の祖母は小森家の八人兄弟の末っ子である六女のため、筆者はその資産の恩恵に預かったことはない。

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Categories:選挙

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