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忘れ得ぬことども

2021 MAR 16 0:00:52 am by 西 牟呂雄

 大変人気のあるアメリカの作家、スチュアート・ダイベックに翻訳家の柴田元幸がインタヴューしているが、その中でダイベックが『日本の作家で興味のある人はいますか』という問いに対し、迷わず川端と谷崎を上げたので驚いた。曰く『僕が谷崎の英訳をすべて読んでいるのも、一つにはこのエロティシズムというテーマと取り組む、その取り組み方のせいだと思うんだ。彼は間違いなく、何か大事なものを捉えていると思う。多分僕はその点、彼を師と仰いでいるようなところがある気がする』
 明治生まれの日本の作家を師と仰ぐとは恐れ入った.細雪のような繊細というか微妙な色気がアメリカ人にわかるのだろうか。
 谷崎は日本橋蛎殻町の裕福な家に生まれた。ところが小学生の時に家運が傾き、高等小学校に進んで苦学することになり、一中に進学した際には同級生より3才ほど年を食っていた。その後あまりの秀才ぶりに1年から3年に飛び級して、そこでもトップを取った。
 実は谷崎は戦後早い時期に英訳が出されていて、1958年から1964年までノーベル文学賞の候補に上がるほど評価も高かった。1942年生まれのダイベックがマセた少年だったら、むしろ新しい文学として読者となったこともあるだろう。シカゴの下町で少年時代を過ごし、大都市の風をたっぷり浴びている。江戸っ子の谷崎が紡ぎだす文章が(英訳にもよるだろうが)琴線に触れたこともあるのかもしれない。
 谷崎が飛び級してトップを取った頃、常に殿(しんがり)を守って落第におびえていたのがフランス文学の泰斗で小林秀雄の師匠筋にあたる辰野隆(ゆたか)である。その後一高・東大と共に進み生涯交流が続いた。ともすればスキャンダラスに取られ兼ねない谷崎作品の良き理解者であり、また軽妙なエッセイの名手としても知られる。
 二人の交流は洗練されたものだったようで、谷崎は辰野を引き合いに出した文章を残している。辰野が「歯並びは悪いがニキビ並びは見事だ」と毒舌を言った、一高の入試に石鹸の作り方という問題が出たが辰野はうどん粉を固めると回答した、幸田露伴を囲んだ際に酔った露伴先生が色紙を書いてくれたが、頼まれもしない辰野が出しゃばって差配をふるい自分にはどうでもよい色紙を割り当て、欲しかった物は辰野が持って行った、等々。辰野はこれに谷崎の記憶違い(或いは面白くするためにわざと辰野の名前を出した)であるといちいち文章で反論している。誠に都会っ子の面目躍如のやり取りである。

 その二人が対談している。喜寿庵の本棚でボロボロに黄ばんだ本を捨てようとしたところ、辰野隆の対談集でタイトルが提題の「忘れえぬことども」に収録されていた。
 戦後2~3年の頃に朝日新聞から出版された本で、当時の週刊朝日の対談を一冊にまとめたらしいが、奥付きもない。一体誰が買ったのだろう。蔵書は爺様が集めたものだがそっちはドイツ語屋だからおよそ守備範囲とは言えない。
 亡母はフランス語に凝り実際に喋れたが、その修練の過程で辰野と面識があったそうだ。それだけではなく同じく仏文の権威である鈴木信太郎の授業も聴講していた。鈴木は辰野と共訳したシラノ・ド・ベルジュラックで名高いが、名調子のところになると互いに「ここは僕の訳だ」と言い合っていたのを聞いている。辰野の随筆に亡母と思しき女学生が出て来る下りがあったのだが出典は忘れてしまった。小生意気な女学生が気の利いたことをいうので「不良少女」とあだ名をつけた、といった内容だと記憶している。「『文芸評論家って人が書いたものにあれこれ言うのが職業ですから寄生虫みたいなものでしょう』と言ったら先生はボソッと『小林(秀雄のこと)に言っておこう』と仰った」と筆者は聞かされたことがある。
 従って母が持っていた本がまぎれこんだものと思われる。

二人の対談のページ

 話がだいぶズレたが、その対談の内容が秀逸だ。といっても固い話は全然出てこない。のっけから猥談スレスレの話になり、同級生の悪口を懐かしがる、細雪のモデルをおちょくる、辰野が酒を飲んで酔っぱらってしまうと谷崎は泊っていけと勧める。しまいには歌舞伎役者の講釈と続く。しかし全く品が落ちないところが両者の教養の高さと江戸っ子の嗜みなのだろう。
 僕はこれを読んで真っ先に今は亡き親友との会話を思い出した。

 ところで他の対談もめっぽう面白い。
 全て引用するのは不可能なので拾ってみると。
里見弴(辰野と1学期だけ小学校で一緒。白樺派の逸話)、野村胡堂(銭形平次の作者だが、東大同期なるも野村が学費滞納で退学する話)、今井登志喜(全編人の悪口。美濃部達吉は褒めている)、荒畑寒村(桂太郎暗殺未遂の秘話)、長谷川如是閑(英語の発音が下手だという雑談)、武林無想庵(パリの話)、大佛次郎(二人で京都を練り歩くだけ)、その他杉村春子、仁科芳雄、サトウ・ハチロー、いずれも殆どの場合辰野は飲んでいて抱腹絶倒の対談である。
 どこかに復刻版があるかもしれないが見たことはない。興味のある方にはお見せすることはできるが、貸すのは憚られる。ボロボロの本は帰ってきたためしがないから。
 本書と同時期に出た「忘れえぬ人々と谷崎潤一郎」は中公文庫で復刻しているが、谷崎に関しては凡そ似たような話が披露されているのでそちらを参照されたい。
 しかしたまにこういう本を見つけるので、あまり一心不乱に断捨離するのもいかがなものか。

 上記谷崎のコメントの中にある幸田露伴を囲んだ座談会での出来事について、その座談会がいかなるものだったか気になっていたが、最近分かった。1935年の経済往来という雑誌の企画で谷崎・辰野・露伴の他には和辻哲郎・末弘巌太郎(民法学者・東大教授)・徳田秋声といった一流所が集まっている。ところが露伴先生は途中から明らかに酔っ払い、文芸談義もあるにはあるがほとんどが釣りだの歌舞伎だのの江戸趣味の話ばかり。偶然手に取った中公文庫『和辻哲郎座談』の中で見つけた。興味のある方はどうぞ。

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Categories:遠い光景

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