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日本の良き時代 

2022 SEP 24 22:22:29 pm by 西 牟呂雄

 多少の反乱・一揆の類を除けば人々が平和に暮らし文化の華が咲く。一見お花畑的な理想郷といえなくもない時代が日本史には二度あった。平安時代と江戸時代だ(異論はあろうが)。身分制度だのイチャモンのツッコミ所は満載とはいえ、当時の庶民はお気楽な暮らしを立てていたことだろう。士農工商と言うが、工と商は主に都市部にしかいないのだから身分云々はお武家様に対して形だけヘーコラしていれば良く、よほどの豪商以外は全く税金など払わずに済んでいた。この気質は明治以後の下町に残り、戦後でもしばらくはサラリーマンのことを『月給取り』と言っていた。あれは『月々決まった額を貰って税金を払っている人』という意味だったと記憶する。実際に聞いたことはないが『税金なんざ払ってたまるかよ』といった気質が蔓延していたのである。
 お江戸の時代まで、もっぱら税金を納めていたのは農民ということになるのだが、お花畑時代以外に政治的に混乱していた、例えば戦国時代(室町時代)の民・百姓は大変な目にあっていたかというと、それはそうでもないらしい。平安時代末期700万人が鎌倉時代を経て室町幕府成立時には800万を超え順調に増えていっている(国土交通省資料)。
 やんごとなく平安貴族がセッセと式典を暗唱したり占いに凝ったり文学の花を咲かせていた傍らで、傭兵として犬のように使われていた源平の輩が地方で(平家は都で)バカバカしいから勝手にやらせてもらうぜ、とばかりに幕府なる行政機関を立ち上げる。
 鎌倉幕府は陰湿な内部粛清を繰り返しながら、承久の乱でブン取った後鳥羽上皇の広大な荘園を分けたあたりがピークで元寇によって求心力を失う。
 その混乱の中、農民は生活が向上し人口を増やしているのだ。ついでに言えばこの時代に、それまで貴族のものだった仏教が民衆に開放され。これが日本社会の横糸となっていく。もう一つ。大量の宋銭が流入し、それなりの経済活動が活発になる。
 時代は鎌倉から室町と幕府が変わり、その成り立ちについて『権門体制論』や『東国立国論』といった論争が成されているが、農民を中心とした一般日本人の生活水準は上がった。税金としての年貢を納める以外にも、支配者の元に様々な『役』といった形で職業での奉公が提供されるようになっていく。領主の方でもそういったものを確保するために領内を『守る』即ち領国経営のために『クニ』を防衛するようになっていくのである。
 民衆に蓄えられたエネルギーは海外に向けて(元寇のお返しではないだろうが)倭寇として押し出し、国内では鎌倉仏教の浸透による一向一揆といった体裁をとったと思われる。倭寇は武装貿易船団であり、一向一揆は内部エネルギーの自浄的発散と筆者は考えている。弾圧され沈静化したのだが、これは江戸期に至って統治が洗練されたからだ。天災・冷害等でコメの値上がりに対して江戸期に発生した一揆は基本は武装したものではなく。直訴や逃散といった作法があり、その後全藩一揆・惣百姓一揆・強訴といった大規模な蜂起が起きるが、打ちこわしと言っても家屋を壊すなどはあったが放火・略奪・殺傷といった武力衝突にはなっていない(例外はあるが)。
 中世研究の網野善彦は、税金を納める定住民(ほとんどが百姓)に対し、非定住のを漂泊の民を研究し実態に迫った。筆者はこれらの人々が『自由』であるといった記述には違和感がある。それらの漂泊の民が束縛を受けない独立した集団として捉えるのではなく、実は極貧スレスレの生活だがそういった輩も『食える』豊かな社会になった際の内部エネルギーの自浄的発散(上記、一向一揆の際に記述した)だと見ている。
 更に話を進める。江戸期に至って人口・生産がさらに上がると、統治する側の武士は完全にサラリーマンとなり、百姓は多量に入った銭が国産化されると益々資本主義的になり、言ってみれば中小企業者的に躍動する。年貢は個人にかかるのではなく村落にかかるので共同体が形成され、域内ではその百姓が造り酒屋や鍛冶屋、機織りを手掛け自足するのだが、驚くことにその付加価値は(裏作も含め)無税なのだ。小作・貧農が増加するのは明治になってカネによる納税を施行したために小百姓が土地を手放して転落したことによる。更に江戸期の百姓は移動の自由もあったのだ。
 外圧がきっかけとはいえ、ある種のブルジョワ革命とも言いうる明治維新に際して活躍した人材は官軍・爆軍とも百姓上りが大活躍している。これも歴史の流れから言って先程来使っている内部エネルギーの自浄的発散とこじつけることも可能だろう。
 お上の税金を逃れた付加価値が民衆にエネルギーを蓄積させ、その自浄的発散により構造改革が起こるという仮説は、この『失われた〇十年』という、主に平成全般に渡る停滞期に、消費税が段階的に10%に増税された時期とほぼ一致することに触発されて思いついた。
 結果的に正しかったかどうかを別にして、安保闘争といった大衆運動が起こり得たのが高度経済成長期であったことも妙に平仄が合う。
 それでは今日の停滞しているとされる我が国の社会には、筆者の言う内部エネルギーの自浄的発散の芽はないのか。なぜ発露されないのか。或いはエネルギーそのものが蓄積されていないのか。
 それは我々高齢者がふやけているからに他ならない。このゾーンが既得権益にしがみついて社会全体のエネルギーを雲散霧消させているのだ。思い当たるだろう、ジジイの自慢話ほど退屈なものはない。おまけにやたら神学論争が好きで自説に拘る。試しに国会議事堂前に行ってみれば『防衛費増額反対』『自衛隊違憲』『○○退陣』といったシュプレヒコールをする老人たちがいつもいる。老人達がヒマにまかせてやる社会活動もまた、大きなマイナスの社会コストだ。
 さっさと引っ込んで若い人たちに好き勝手やってもらい、遊んで暮らしていればいい。
 そしてジャンジャンくたばればコストは下がる。
 その時点で減税をやれば、瞬く間に日本は復活する。移民なんか必要ない。

 さて、筆者のような保守派は急激な改革は好まない。昔は良かった、などと言うのが嫌いなのである。それよりももっと嫌うのが外圧だ。大陸・半島からの外圧など断固跳ね返さねばならない。するとなぜか冒頭述べたお花畑時代、遣唐使をやめていた平安期と鎖国していた江戸期の下層階級に生まれたかった、などと夢想するのである。さぞ気楽な人生を必死に生きたことろう。

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Categories:失われた20年とは何だったのか

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