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狂言の鳴き(佐渡狐) 能の所作(安達ケ原)

2022 OCT 16 0:00:43 am by 西 牟呂雄

 野村万作・萬斎・裕基と三代が揃って演じる佐渡狐。裕基はまだ23歳の若さで、どのような味が出るのか楽しみに見たが、いやなかなか。脂の乗り切った萬斎さんと人間国宝万作さんに挟まれてアッパレ。なかなかの声の通りだった。

 それにしても座っている姿勢からスッと立ち上がれる万作さんの精進にも目を見張った。九十翁ですぞ。
 話は佐渡の百姓と越後の百姓が 佐渡に狐がいるにないのと言い合いになる話(実際にいないらしい))で、いないくせに『居る』と言い張る佐渡の百姓に越後の百姓がいいががりをつける。
 まず初めの台詞がいい。『今年も年貢が都に納められる。めでたいことだめでたいことだ』つとに述べているが、当時の納税感覚はこんなものだろう。今日の史観でとらえられるようなものではないはずだ、余談だが。
 それはさておき、越後の百姓は次々と質問を浴びせる。「狐のなり格好を知っているか」「目はどのようじゃ」「口は何とじゃ」「耳は」「尾は」「毛色は」このあたりの面白味は実際に見ていただかなくては。
 そして最後の『鳴き声は』に対して『ツキホシヒー』と言ってバレてしまう。
 さて 『ツキホシヒー』とは面妖な、いったい何の鳴き声か、というと狂言ではウグイス!当時の人達にはホーホケキョではなくそう聞こえていたそうな。さらに凝ったことに漢字で『月星日』となっている。
 因みに、犬は『びょうびょう』カラスは『こかあこかあ』と鳴く。日本語の豊かさに恐れ入る。

 お次の能は提題の『安達ケ原』。黒塚と言われる鬼婆の話。舞うのは観世淳夫、若干30歳で九世観世銕之丞さんの長男である。

 筆者の鑑賞法は『狂言は笑う』『能は観る』だ。
 鬼婆が本性を現す前に糸車を回しながら、わが身の不幸を嘆く仕草を演ずるのだが、謡が流れてもセリフはない。観世淳夫は所作だけで見事に演じた。自分の解釈はこうである、という主張が全身からオーラのように発せられていた。
 西村さんのブログに『自分の考えを持つことありき。人前で自分の意見も言えない奴に音楽なんかできるか』という下りがあったが蓋し名言で、観世淳夫の考えが能舞台で陽炎のように沸き上がっていた。アートに至る道は同じと言わざるを得ない。

 その後鬼婆と山伏の法力が闘うわけだが、この一進一退も間合いだけで同時に動きピタリと止まる。演者の修練がものを言うところだ。どれほどの気迫が燃焼していることだろう。
 能は演者が緑・黄・赤・白・紫の揚幕をくぐればそれで終わり。謡方、楽器奏者が一人づつ立ち上がって袖に消えて行き誰もいなくなると拍手が起きる、アンコールもカーテン・コールもなし。これもまた幽玄なるかな。

 野村裕基にせよ観世淳夫にしてもこの業界、若い世代の台頭著しく、頼もしい限りである。

 ところで来月は『魔笛』を見に行く、

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Categories:古典

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