おやっ ヒョッコリ先生だ!
2024 MAY 11 11:11:58 am by 西 牟呂雄
朝、喜寿庵からコーヒーを飲みにコンビニまで歩いていると、先の方にヨチヨチと歩いている人を見つけた。杖をついて下を見ながら一歩づつ歩くのだが、左の方を引きずるような歩き方で、前に進むのはもっぱら右足。左は進んだ分を必死に追いついていく感じ、だから一歩づつと言ったが正確に言えば半歩づつなのだ。
途中に真言宗のお寺があるが、そこで止まると本堂の方に向かって被っているベレー帽をとるとゆっくりと一礼した。そのハゲた頭と横顔が見えた、ヒョッコリ先生だ!しばらく見ないうちにめっきり老け込んだ印象。待てよ、僕はこの人の年齢を知らない。戦争前のことを語っていたから昭和の始めの生まれだと思うが・・・。そうすると今年は昭和99年だから九十翁を超えているのは間違いあるまい。話が弾むと面倒だが挨拶くらいは、と近づこうとしてただならぬ気配を感じた。本堂に向かって何かを話しているのだ。
僕は先生の家族について、息子さんがいて孫がいることしか知らない。その孫は僕の親友のレイモンド君だが、息子さんの海外勤務で今は一緒にはいない。それだけだ。奥さんの話は聞いたことはないし、一人で暮らしているのではないだろうか。
ほんの1分程でまた歩き出した。思えばこの人は面白い話をしてくれたけれど、どれもこれも本当かどうか疑わしいものばかりだった。変な発明家のような話はおそらく出まかせだろう。コロナの最中に県境を越えてはならないとなっら時、それではと県境沿いに移動して海に出ようとしていたが、それもできなかったに決まっている。訳のわからないニュー・ビジネスのウンチクを傾けていたがうまくいったという話は聞こえてこなかった。戦前の日本のパフォーマンスを論じ、マルクスを語ったこともあったので、オールド・リベラルの系譜かとも思える。
話しかけようとして止めたのは。そのたたずまいに一生懸命振りが滲み出ているからだ。話せばどうせ奇天烈なことを言うだろうが、無理にやっている気がしてしまって遠慮せざるを得ない。僕はコーヒーは諦めて帰り道をたどった。
ヒョッコリ先生の孫とおぼしき推定4歳のレイモンド君もおそらくその血を引いていて実にバランスの悪い子供だが、彼の場合の一生懸命は微笑ましい。多分それは、その努力が叶わぬにしても彼の未来につながっているから。ところが推定90歳超えの先生の場合には未来はない。残酷な言い方になるが、すべての ”一生懸命” は来るべきⅩデーに向かっており、それは避けられない。先生は今一生懸命に死のうとしている。
フト思うのだが、子供のころはどうだったのか、青春時代は何を考えていたのか、壮年期に何をしていたのか、もっと真面目に聞いておけばとも思う。いや、思わないか。
それなりに噂が耳に入るのだが、先生は東京で仕事を終えた後に請われて北富士総合大学の理事になっていたようで、地元ではチョットした有名人なのだった(最近分かった)。
考えてみれば僕だって老人の範疇に十分入る年齢だ。スノボだろうがヨットだろうが数えるほどしかやれないし、そう考えると桜を見るのも落ち葉を掃くのも20回が限度だ。最後の方は先生のような一生懸命感を身に纏うことになるだろう。
どうあがいてもその『一生懸命』さが自然と備わってしまうとすれば逆らっても仕方がない。それなら今から多少の準備はしなければいかん。なぜなら今まで『一生懸命』に、などということを考えた事もやったこともないのだから。そんな時に、例えばスノボで足でも折ればその姿は哀愁を帯びるどころか、みっともない、いやむしろ滑稽といった笑いの対象になってしまう。うーむ。
レイモンド君、イギリスでどうしてるかなぁ、英語を喋ってイギリス人になってたりして。
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Categories:和の心 喜寿庵