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覇王殺戮の儀

2026 SEP 13 19:19:19 pm by 西 牟呂雄

 ひとたび合戦の場に立ちたるや、命亡きものは覚悟の上にてことさら思うに能わず。義を守り主君を守り、敵を欺いて誅殺することこそ武士の本懐にあれ。大将首取って主君の御前に供えてこそ天晴なる振る舞いと心得る。方や将たる者は知恵を絞り策を練り味方の消耗を少なく敵に大損害を与えて勝利目指すべし。
 さりながら、将においては唯、人の死にたるをのみ喜ぶ風ありて、しばしば目を背けたくなるような振る舞いに至る者あり。かようなる者、覇王に多し。
 織田信長公に於かれては、天下布武を始めてより京に公方様を据えてより。叡山延暦寺に激怒し一山を焼き討ちにする振る舞いに至る。彼の霊山が燃え盛り逃げ惑う僧侶をなで斬りにし隠れていた郷の者までを磨り潰すように誅殺してから、些かお狂いのタガが外れたかの様子。
 一向宗門徒を憎むこと甚だしく、伊勢長島にて願正寺に立て籠もりたる二万にも及ぶ宗徒を焼き殺すに及ぶ。
 矛先は加賀にも向けられ、女子供に至るまで山狩りまでしてなで斬りに。降伏した者まで片っ端から磔・窯茹でにして死者は伊勢よりもはるかに多く五万人とか。加えて数万の男女を美濃・尾張に連行して加賀は人が尽きた如く有様となりし。
 これより先、謀反を起こした荒木村重の一族など36名を京の町を引き回した末に六条河原で斬首。有岡に残された女・子供を百人ほど磔に、残り数百名は家屋に閉じ込め火を放ち焼き殺す。
 また、安土より竹生島に参拝し帰ったところ、女房衆が桑実寺へお詣りに出かけたことに激怒し、いきなりこれを成敗したとは狂気の沙汰なり。
 あとを継し太閤殿下も又、戦の振る舞いはさておき晩年の行いはかくも似たり。まるで思い付きのようにかつての家臣を追放し切腹させる。
 文禄三年には見せしめなのか石川五右衛門とその家族を油で茹で殺し、一味20人程を三条河原にて磔。
 猜疑心の塊に成り果て老醜を晒すに似たり。大和大納言秀長亡き後は千利休に切腹を命じたるはさしたる理由も明らかならず。挙句の果てに甥の秀次を謀反の疑いで切腹させ、秀次の妻妾・子女ら39人が三条河原で処刑される。秀次の家臣たちも片っ端から斬首の憂き目に。利休・秀次の件については寝物語に淀君の讒言アリやナシや。
 ついに何のためか皆目分からない朝鮮への出兵で禍根を残した。人たらしは表面だけと見た。

 真打東照大権現神君家康公は上記二人より益しかと言えば、若い時分に正妻を粛正し長男を切腹させているものの、晩年に至っても『思い付き』や『突然の激怒』で人を殺しまくった印象は少なし。大阪冬・夏の陣への執拗な豊臣家への挑発はあるが、天下取りのための戦と見れば当時は当たり前すぎて異を唱えるほどの事は無し。むしろ関ケ原で敵対した毛利・島津への処置は寛大とも言うべし。それともいずれも遠すぎてもう億劫になったのか。
 その両藩が維新の原動力となったのならば目出度し目出度し。誠に本邦覇王はかの二人を置いてほかに無し。良き国と知れ。

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