ごくろうさま、おつかれさま
2015 APR 15 21:21:55 pm by 西 牟呂雄
電車に乗るじゃないですか。人が座っています。JRでも私鉄・地下鉄でも6~7人位は座れますが、昼間なんか老若男女と色々な方々です。すると大体3人から4人はスマホ(ガラケーでもいいですが)の画面を除きこみ、忙しそうにメール、ライン、ゲーム、又は音楽をイヤホンで聴く。最近はタブレットで新聞・漫画も読んでいます。この前なんか全部のオジさんがズラーッと携帯の画面を見入っていて、怖いものがありましたね。
通勤時間帯には多少新聞を読む人はいるでしょうが、昼時、帰宅時には本を読む人も稀。
これでは出版不況も頷けます。何もしないでボーッと景色を眺めたり文庫本を読むのはほとんど私だけ、残りは居眠りの人です。
識者の中には、通信手段がいくら発達しても読書文化は無くならない、といった意見を発表されている方もいらっしゃいます。どうでしょう。出版不況なる見方、基準点が違うだけで元々読書層の厚みは大して変わらないのではないか、というのが私の意見です。
というのも声高に出版不況を唱える人は、バブル期の夢を未だに忘れられない団塊組と推察しています。あのころはファッションやら音楽やらしょうもないマンガ雑誌がワンサカあったでしょう?その後1990年代末までにはバブル雑誌の類は淘汰され、今の若い人達は最初からケータイ文化に染まっていますから、その類の本は読まなくてすみます。我が家も新聞を取らなくなって随分経ちますからね。独身時代に月曜から金曜まで毎日マンガを買って某折り返しの始発に座って通勤していたのですが、ある業界紙のコラムに『サラリーマンらしいが、毎朝毎朝娯楽漫画に読み耽っている若者がいる』という文章が載ってギョッとしました。勿論ロクなモンじゃないという叱責の内容でした。確かに夢中になっていたのは『美味しんぼ』の原作者、雁屋哲の書いた『野望の王国』というアナーキーなバイオレンス劇画、梶原一騎の『人間凶器』といったもので、まさかとは思いますが偶然隣に座って覗き込んであまりの内容にあきれ返ったのかと心配になったのです(私の乗る駅の実名があった故)。それに比べればケータイ画面を見ている人の方がまだマシのような・・・。
一般にケータイの普及と実際に起こる様々な事象・事件を結びつける言説はあまりアテにならないと思っています。出版物に関しても『永遠のゼロ』とか難解な『21世紀の資本』が売れているそうじゃないですか。村上春樹の作品が評価が落ちたという話も聞いたことありません。好きな人は繰り返し読んでいるはずです。東兄は好きな名作を聞く回数は軽く1000回を越えているでしょう。本なんか読まない奴は最初から読んでいませんから読書人口のコアなゾーンはそんなに変わらないと考えていいと思います。
一方で様々な犯罪とケータイ・LINEの普及も何の関係もないでしょう。それらを自在に使いこなして犯罪を犯さない人の方が圧倒的に多いのです。
更に極論ですが、通信機器の発達と人的生産性はもっと関係無いと考えています。人間が100年間でそんなにバカになったり利口になるはずがありません。もっとも二度と戦争はしない程度に少なくとも日本人はなったのですが(アメリカの核と一国平和主義のお陰で、は付け加えます)。
サラリーマン生活を通じて、色々な耳障りのいい言葉が私を通り過ぎて行きました。グローバル展開とかリストラクチャリングとかですね。社内カンパニーなんかもありました。最近では選択と集中でしょうか。
そういった経営工学は流行るのですが、様々な業界地図がひっくり返りました。護送船団方式とか株式持合いなんか死語ですよね。アレなんかアメリカの意向でパァになったような気がしないでもありません。
そんな中、通信革命が果たして本当に経営効率向上や組織の意思決定スピード・アップに貢献したかどうか、私は疑わざるを得ませんね。
それであのズーッと電車でメール・ラインをいじっている人、一体誰とあんなにしょっちゅう連絡しなければならないのでしょう。若い人であれば友達・恋人と繋がっていたいのは分からんでもありませんが、冒頭に記した『おじさんがズラーッ』と並んでやっているのはやっぱり仕事をしているのでしょうか。私はたまーに家族にメールするくらいですので、アレはやっぱり相当忙しい人達としか思えません。本当に心からお疲れ様と申し上げたい。私はこのまま怠け者道を極めますのでお許しください。
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雑感 話さない会話 突然思い出した事など
2014 DEC 7 15:15:36 pm by 西 牟呂雄
電車の中で大声で話す日本人の大人は少ない。大声は外国人、中国・韓国・白人・黒人・アジア系・アラブ系つまり全部、と子供(女子高生含む)だ。大人同士は大声は出さないのがマナーとして定着している。一時携帯で喋ることが横行したが今は、ない。無論親子でもだ。先日ツレと電車に乗ることがあり、別々に正面に向かい合うように座った。すると僕の右隣の若い女性がこっくりこっくり始めたのだ。彼女は長い髪をしていて僕の方にサラッサラッとかかってくる。大声を出す訳にもいくまい、大人だから。仕方なく向いのツレにラインで聞いてみた。
『隣のネエチャン寝ちまったか』
するとしばらくIphoneをいじっていたツレが何食わぬ顔で、
『爆睡ですな。』
と返信して来た。そして二人で目も合わせずに
『どんな顔か?』
『下向いててわかんない』
『推定体重はデブか』
『太目ではあります。計測は不能』
といった会話が声も無く交わされた。終いには『いい加減にしてくれ』と相手にされなくなったが。
最近は電車の座席に座っている人のほとんどが携帯画面に釘付けになっているから、こういった不自然な無言会話が可能だ。スパイ・マニアの僕としてはチームで尾行なんかする時にいかにも便利かと思ったが、データ取得技術の発達により相手がプロだったら簡単に見破られるので役に立たないな。
これも先日、電車に座っていた時の話。お母さんと学童前の子供さんが乗って来てドアの所に立った。坊やの方が大きな声で話し出した。
『ねぇママ。おとなになってもママと会える?』
突飛な質問にお母さんは、エッ、という感じで応じなかった。すると退屈なのだろう、続けて、
『小学校に行っても毎日ママと会える?』
と聞くではないか。あまりのかわいらしさに思わず吹きそうになって笑ったところ、お母さんと目が合ってしまった。お母さんの目は笑ってなかった。
『ねぇねぇ、ずーっとママと会えるの?』
坊やはますます声が大きくなる。お母さんは今度は僕に聞こえるように(こっちに向かって)
『何言ってんの!会えるに決まってるじゃない!』
わかったぞ。お母さんは僕の笑いを誤解したんだ。何かの事情でお子さんと毎日会えない境遇だと僕が勘違いしていると思ったらしい。坊やはお構いなしに更に聞く。
『毎日おウチで会えるの?』
ますますマズい。もうお母さんの表情は見られなかった。
『いつもおウチに一緒に居るじゃないの!』
『だって今電車じゃない。』
この辺で耐え切れなくなった僕は笑いが止まらず、悪いと思ってハンカチで顔を押さえながら俯いたが小刻みに震えた。そしてやっと次の駅に停まった。
『さあ、おウチに帰るわよ。』
と母子は降りていった。お母さん、別に誤解してないから怒らないであげて。
さて、話は突然変わるが。昔サラリーマンだった時のことだ。ある人が『おーい、モチダ製薬ってのは持ちに田か。』と突然聞いた。僕は『当たり前でしょう。』と答えたのだが、それを聞いた先輩が『それはおかしい!』と言葉をはさんだ。続けて『「も」に「ちだ」かも知れないじゃないか。』と言い出すのだ。この人はなかなかの理論家で留学経験もある立派な人だったが、「も」に「ちだ」はないだろう。そもそも「ちだ」なんていう読み方をする字そのものがない。優秀な人なんだが僕とは実に下らない論争を続けていた。
この人の部下だったのは短い期間だったが、僕としては居心地は良かった。なぜならこの人は優秀過ぎてオベンチャラに弱いという致命的なところがあり、僕の口から出まかせで言うお世辞にいい気持になって益々熱心に仕事に打ち込み、僕はいくらでもサボッていられたのだ。最後にはバレて大変なことにはなったが。この頃のことは又改めて書いてみたい。
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異邦人のあれこれ
2014 NOV 1 14:14:34 pm by 西 牟呂雄
先日、昼メシを食べた後に事務所に帰るので歩いていた所、インド系と思われる二人組みに話しかけられた。
「Can you speak English?」
いきなり何で僕にと思いつつ答えてやるとused electric parts が欲しいという。ハハァー、アキハバラに行きたいのか。それはあそこに見える東京スターションから山手ラインでセカンド・ステーション、と教えてやった。やはりインドから観光に来たそうだ。そして
「Anything to see around here?」
と聞くので、あの角を左に真っ直ぐ行くとエンペラー・パレスだ、と言うと「ウヮーオ!サンキュー。」とか喜んで嬉しそうに行ってしまった。マッ行けば分かるだろう。
銀座で中国語が飛び交うのも珍しくなくなってきたし、この前は台湾人のオニーチャンを道案内した。英語も覚束なかったがあれで大丈夫だろうか。
ところがその直後、世にもケッタイな外人に遭遇した。
地下鉄の駅でキョロキョロしている小柄な眼鏡の白人が、突然
「タカラチョウ、ギンザ、イチデスカ?」
と大声で言っている。何だか危険な匂いがしたので無視していたら、僕の前に来て再度「タカラチョウ、ギンザ、イチデスカ?」
をやるのだ。宝町に行くには銀座線の1番線か、と聞いている様なので、
「Yes, Ginza line number 1 platform.」
と応えたら何と怒り出した。
「ワタシ ニホンゴデ キイテル。」
「Great!」
「アッ マタエイゴツカッタ。」
こいつ酔っ払ってるのか、目を剝いて怒っているのだ。まくしたてる内容は、日本語で話しかけられたら日本語で返事をするのがグローバルのルールだ、と主張した。あ~はいはい、と放っぽりだそうとしたら、止めの一言が妙に気になった。
「ソウシナイト、ソフトサベツニナルヨ。」
ほうっ、ソフト差別ねぇ。少し考えさせられた。
仮に僕がロシアで道を聞いて日本語で説明されたら、それはまずホッとして嬉しくなるのじゃなかろうか。最近多い中国人・韓国人観光客が日本語で訪ねて母国語で答えられたらそれを差別だ何だとイチャモンをつけるか。ソフト差別とは何か・・。
もしかするとその白人、自分の日本語に強烈な自信を持っていたのに僕にバカにされたと思ったのか、いやそれ程の日本語じゃないよな。或いは日本人に合わせてやってるのに英語で喋るのはそいつが僕を差別することになるからヤメロと言ってるのか。
ヨーロッパ経験の長いSMCの皆様、これどうなんですか。フランス人がスペイン語で質問してきたらフランス語が喋れてもスペイン語で返事しなけりゃならないのでしょうか。
ひょっとしてあの外人、イタリア人かなんかで英語全然喋れなかったりして。
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春夏秋冬不思議譚 (これはグローバルか)
2014 SEP 18 14:14:32 pm by 西 牟呂雄
今日(9月17日)ロシア人の知り合いとお昼を一緒に食べた。『ズドラーストヴィーチェ。』と右手を差し出すと、分厚い掌でガッチリ握手してくれる。食事はおいしく、話は弾んだ。何しろ彼は日本に20年以上住んでペラペラだからだ。東京における共通のロシア人の名前も出たが、最近の祖国のややもすると強権的な姿勢は好みではないらしく人間関係は複雑なようだった。これは嘗て(かなり昔)のアメリカ・チャイナ・ソサイエティでも国民党派と共産党派の間で対立が見られたし、戦後日本の半島出身者間で北と南の仲が悪かったとされるのと同じ構造だ。『空手バカ一代』のゴッド・ハンド大山倍達が南派の行動隊長だったのは有名。
EUと事を構えるとロシアは中国になびく、渡りに船とばかり中国は蜜月を演出する。だが、5年以上かかる大プロジェクトの金の算段を誰ができると言うのだろうか。片側で対立が深まると遠心力が働き反対側に求心力が生ずる、地政学のイロハである。何よりもウクライナ・ロシア・中国と国境が接しているのだから、今日の事態は色々な意味で緊張を呼ぶのは解るが。
どんなカリスマでも常に15~20%位の反対勢力というのが存在するのはある意味健全で、100%の支持などは余程の弾圧および操作が無ければ有り得ない。大国ロシアであるならば、色々な思惑あって然るべきだろう。
『ダスビダーニャ。』
と言って別れたのだが、僕は少し考え込んでしまった。大国であるが故に国家がどちらの方向を目指すのか、ベラルーシ・カザフスタンとは経済統合に進む動きがある。さてはEU型を目指すのか。
一方でスコットランドは独立の是非を投票で決める。こういうニュースは結果が出ないうちに論評してしまうのがミソだが、イングランドとの間に国境線を引いていいことは無いように思われる。半数近くが反対しても独立をするものだろうか。現に国境だらけのEUでいい思いをしているのはドイツだけ。
フランスの人口学者エマニュエル・トッドが警鐘を鳴らしているが、強引なブロック化は競争優位差が追いつかなくなり強弱がはっきりしてしまう。即ち格差が広がる。『近隣を食い尽くす。』という表現で分析していたが、僕はこの意見に賛成だ。300年ぶりに分離独立して、財政は成り立つか。
EU内部でもスペインのヤバい地方の独立運動等も激しくなると思われる。
クリミアも一応『投票』の結果だった。
それでもやはり『自主独立』の響きは抗し難いのだ(話が進まないので我が国についてはチョッと脇に置く)。
片やTPPは最早何が何でもやる方向に違いない。世界の文脈からすると少し危ない様にも見えるが(農業への影響・食料植民地化・地銀乗っ取られ等)民主党だろうが自民党だろうが、はたまた公明党だろうが賛成してしまうのはアメリカの圧力が相当なものとしたら、ちょっと穿ち過ぎか。
そんなことを思いながら吉祥寺の駅を降りて歩いていると、地元のおいしいカレー料理「ナマステ カトマンズ」の御主人が人を案内しようとして英語を喋っていた。この人は地元の名物男で僕も良く知っているネパール人だ。困っているようなので『ナマステー。どうしたの?』と声をかけると、傍らの東洋人が道に迷ったらしい。台湾人だと言う。
『ニィ・チュ・ナーリ?』
この「チュ(チィ)」はQとchの間のような発音で、蘇州や無錫で散々道に迷ったからこの発音には自信がある。彼は困り果てた顔で
『ウォ・チィ・〇〇〇・ツァー。』
何のことかさっぱり分からない。するとネットから打ち出した地図を出して
『ウォ・シャン・チィ(ここへ行く)。』
そこは『〇〇〇』というお茶屋さんだ。ツァ=茶のことだった。場所まではアヤフヤだったので番地を頼りに連れて行ってあげた。英語は喋れない。そして着いた〇〇〇は何と休みだった。これは仕方が無いので、彼も諦めて『シェイ・シェイ』と言い残してイケブクロ(らしい)に帰っていった。又来るのだろうか、今度は迷うなよ。
そういえば台湾は『独立』をあんまり表立って声高に言う環境に無い。
しかし僕は今日、三カ国語で挨拶をしたが、これはグローバルとは言わないな。
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春夏秋冬不思議譚(名前考)
2014 JUN 3 11:11:30 am by 西 牟呂雄
僕の名前は建(ケン)という。普通ニンベンを付けた健の人が多いので、ヒトデナシ等という怪しからん輩もいるが。諸説あって、最も有力なのは届けを出すときにニンベンを”忘れた”という説だ。家は男は大体一文字の名前で、次男三男が生まれると下に数字をつける。だからオヤジの兄弟はヨーイチ・コージ・タイゾーといって1・2・3の順番が付いている。僕に弟がいればケンジくらいになっていたはずだ。
ケンの名前は海外で通りがよく、テキサスの田舎でケン・ザ・ジェットと呼ばれたりもしていた。味をしめたので、息子にもその手の名前を付けて、更にもう一人息子ができれば2をつけてジョージ(丈二)にすればいい、その後は、イーサン(飯三)ジェシー(慈四)ヒューゴ(飛五)ロック(六)後が続かないが、九番目の息子はジャック、漢字は何を当てようか、『弱九』や『寂九』ではかわいそうだな、などと思ったものだった。
しかし最近のキラキラ・ネームは面白いといえば面白いが、20年後に流行が変わっていたらどうするのか、人事ながら心配になるようなのも多い。赤ちゃんの時は何でもいいのだ。
織田信長は今で言えばキラキラ・ネームを子供に付けていて、上から奇妙・茶筅・三七・次・大洞(おおほら)・小洞(こほら)・酌・人・良好・緑とくる。まあこの頃は元服時にちゃんとした名前を貰うからいいのだが、どんな顔をして「キミョー」とか「ツギー」「ヒトー」と呼んでいたのだろうか。大洞・小洞なんて、別々の女性が同じ頃に産んだんじゃないか。
西郷隆盛は本当は隆永だったそうだ。本人は生涯自分のことは「吉之助」と言い習わしていたそうだが、明治の太政官布告によって名前を諱に統一する際、本人がいなかったので良く知る人が「隆盛だったはずだ。」としてしまったらしい。弟も諱を聞かれて「リューコー、デゴワス。」とやったら、薩摩弁が聞き取りにくかったので「ジュードー」と間違えられ『従道』にされてしまったそうだ。隆興だったんですな、本当は。してみると、名前なんかどう付けようが人として識別されていれば本人にとってはどうでもいいものだろうか。僕が明日から全く別の名前になるとしたら、変身願望が満たされるような錯覚がある。一方知らないところでミョーなニック・ネームで呼ばれているとすると、コード・ネームの付けられた大物スパイのような気がするかもしれない。
過去様々な渾名で呼ばれたが、いくつか紹介したい。
「中央道の青い翼」僕がホーム・ロードにしていた中央高速で飛ばしてた頃についたあだ名、というのは嘘で二十歳の頃自称していた。
「ゲレンデの赤い流れ星」210cmもある型の古いスキーで直滑降だけを滑っていた頃の自称である。事情があって30前に取り消した。
「マレーの猫」東南アジアをウロウロしていた頃に部下がそう呼んでいたらしい。しばしば所在不明になったからだ。40代で卒業。
「大佐」これは無理筋だったが、フィリピンの現地工場の奴らにそう呼ばせていた。あいつらもふざけた連中だったからノリが良くて『サー、カーネル、サー。』等と返事をして遊んでいた。
「相模湾の白いイルカ」昔は色白でヨット仲間からバカにされてそう言われた。50代で日焼けが抜けなくなってお終い。
「提督」ある組織から足抜けした後、呼称を何と言うか尋ねられてとっさに口をついて出たのだが、ある筋から猛烈なクレームがついて立ち消えになった。
ウーム、名前ねぇ。ペン・ネームでも考えようか・・・。
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春夏秋冬不思議譚 (月曜日の夜)
2014 FEB 10 11:11:05 am by 西 牟呂雄
読者はご記憶だろうか。ブラジルにいて、僕にそっくりな(本当に似ていて,また同じ年。)ケネス・ニシームが久しぶりにメールを寄越した。何と日本語を勉強しだしたそうである。全く同じタイプの人間だと思っていたが、少しは真面目な面を見て感心した。僕はポルトガル語を今更やる気なんかは全然ない。しかし、しきりに”Monday night”と書いてくるのは一体何なのか分らなかった。月曜日の夜にでも日本語スクールに通っているのかとも考えたが、それにしては関係無いタイミングで”Monday night”をいくつも入れたメールは支離滅裂で、意味不明の内容なのだ。少しおかしいんじゃないかと不安になり、月曜の夜は何なのか恐る恐る聞いてみた。”What do you mean 「Monday Night」?” すると”It’s Japanese isn’t it?” との返事。それは月曜の夜、という日本語はあるに決まっているが・・・・。面白いことに、必ずそこにはいちいち” ”をつけてくる。『This ia “Monday night”』という使い方だ。そう言えば、覚え立ての日本語がローマ字表記でちりばめてあり、全て” ”が振ってあることに気が付いた。”Konnichiwa”とか”Samui”といった感じで、これはよく分る。するとケネス・ニシームは”マンデイナイト”を日本語だと思っているのか。
この謎は突然氷解した。要するに”モンダイナイ”と言いたくて、彼にとってはほぼ同じ発音のつもりで”Monday night「モンダ(デ)イナイ(ト)」”と書いてよこしたのだ。問題無い!あいつは一体どんな勉強の仕方をしているんだ。我がブログ『ロシア残照Ⅱ』に書いたように、遠いロシアでたった一人日本語を勉強していたアリョーナちゃんの方が、よっぽど合理的な学習をしている。
しかし、我が身を振り返ると身につまされる。中国で仕事をした時に、何かとメイ・ウェン・ティーとかモウ・マン・タイとかを英語に混ぜて喋っていたが、向こうの中国人が怪訝な顔をしていた。前者は没問題と書き、後者は無問題で大方の意味は同じだが、北京語と上海語の違いだった。多くの識者が当たり前のように知っていることを全く知らずにツウぶって口に出していた自分がバカだった。しかも没問題を”メイ”ではなく”ウェイ”に近い発音をしていたのに、誰も(あきれかえって)直してくれなかった。
韓国に行った時も、チェックインの際に大威張りで『ナー・ヌン・ニシムロ・スミダ。』と言った途端、真面目くさったフロント・マンに『にしむろさまですね。』と日本語でやられて恥をさらし、空港に行くタクシーの運転手に『インチョン・エア・ポート・イムニダ。』と言うと、その運転手に『カムニダ。』と直されてせせら笑われた。もっとヤバかったのは、ある日取引先から電話をもらい、ある用件を(日本語で)話している最中に、『スゴハァ・ショッソヨー(ごくろうさまでした、のつもり)。チュンビタ・テッソヨー(準備できました、のつもり)』とやったら、そうしたら『オー、シャベレマスカ。』と言われたものの、その後ダーッと韓国語で話しだされた。何にも分からないくせに調子に乗って『イェー(はい、のつもり)イェー。』と相槌を打っていたら向こうが電話を切ってしまった。この件、バツが悪いので放ったらかしていると、一週間くらい後に『西室さんに仕様書を送ってくださいと言ったら分かった、と仰っていたのですが。』という丁寧な電話があったという。
してみると、ケネス・ニシームの『Monday night』と同じようなことを、こっちもしょっちゅうやっている訳で、やっぱり同じタイプの人間なのか。そして恐ろしいことに、今度インドに行くらしい。実は僕もインド出張の計画があり、この調子でバッタリ会ったりしたら、何やら大変なことになるかも知れない。
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春夏秋冬不思議譚 (もう一人いた)
2014 JAN 24 22:22:26 pm by 西 牟呂雄
これから世にも不思議な偶然の一致を話します。
ちょっと前に、このブログを読んだらしい地球の反対側の人がメールをくれました。どうやってアドレスを突き止めたのかは謎ですが、ケネス・ニシームと名乗る人物で、どうやらブラジルにいるようです。生まれはどこだかまだ聞いていませんが日系人ではない。ところが1954年の同じ日に生まれたようで、名前も何だか似ていますし偶然の一致にビックリしました。会ったことも無いのですが、写メを見ると実に良く似ている。ひょっとしたら遥か昔にシベリアあたりにいたモンゴロイドの同一先祖が、ベーリング海峡を渡る一派と南下して日本に来た一波に分かれたのでは、と想像を逞しくしたくなります。身長体重もほぼ同じ。そしてこれからチョッと変な話になりますが、同じ年に同じ年齢の女性と結婚し、同じ年の息子がいます。その女性とウチのカミさん、また息子同志の誕生日は違いますが、星座は一緒です。この辺から私自身少し怖くなってきました。親の誕生日を確認すると、こちらは誕生月は違いましたが年は一緒!そして同い年の妹がいます。
そう簡単に会うわけにもいかない距離ですから、少しずつ相手を探り出しました。向こうもどうやらネットを使ってやっているようなのです。そしてお互い同じ業界でニアミスをしていたことが分ってきました。そもそも西洋ホロスコープで考えれば、彼と私は性格からその日の運勢まで同じになるでしょうし、ひょっとしたら同じ運命を辿るのでしょうか。私の性格の歪みは、もとよりDNAの配列に加え、様々な偶然の結果、様々な経験をすることによってできていると思っていましたが、彼と私が全く同じ経験をしたとは考えにくい。第一食べてる物は違うでしょう。
自然という奴は、ごくナチュラルに『不連続』を繰り返しながら、長い目で見れば一定の法則をもって動く(廻る?)のでしょう。但し、その繰り返される『不連続』の中に極めて少ない確率で同一な物・者・モノを生み出してしまわないか。私は無神論・無宗教に近い人間ですが、この彼の存在についていっそ誰かに何かの解釈を委ねたい衝動に駆られます。
と、何かエラソーなことを書いてしまってからハッとしました。もし性格まで同じなら、彼は地球の裏側でどういう人間だと思われているのでしょうか。もしかしたら努力とか我慢とか反省の類はロクにしないで全部人のせいにして、我儘で後先を考えずにムチャをしては周りを怒らせ、やたらとはしゃぎまわり酒をガブ呑みし、口から出任せを言っては他人を傷つけ恬として恥じない・・・・いやな奴じゃないか。今までバッティングしたエリアは北米が考えられるのですが、彼の地で私が例外なく評判が悪かったのは、先に彼が悪い印象を振りまいた直後に良く似た名前の私がニアミスしたからではないのか。
しかしながら怖くなる程の類似性から、彼の不幸を願うことはできないのです。同じことは私にも起こる可能性は高い。ひたすら彼の幸せを祈らざるを得ないのです。これはとても恐ろしいことではないのではないか。同じようにケネス・ニシームが私の幸せを願っているかは分かりません。もう少し音楽の傾向とか趣味とかを(恐る恐るですが)聞いた後、又ブログ・アップしてみます。それまで彼が無事でありますように。
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タイム・イズ・オン・マイ・サイド 歌詞取り
2013 DEC 22 23:23:40 pm by 西 牟呂雄
文芸春秋の新年号をパラパラ読んでいて心底驚いた。村上春樹が書き下ろしの小説を書いていて、そのモチーフに魂消たのだ。登場する人物がビートルズのイエスタデイを大阪弁の翻訳で歌うのである。その人は大阪弁が好きで、東京から大阪にわざわざホーム・ステイまでして覚え、イエスタデイを大阪の歌にした。小説の中身はひとまず読んでいただくとして僕がギョッとしたのは「何だ、オレのパクリじゃないか。」と思ったからだ。拙文『埼玉水滸伝(埼玉のHonky Tonk Women)』を読まれた読者はご存知だが、作中でローリング・ストーンズのホンキィトンク・ウイメンに出鱈目な歌詞をつけている。そのテをビートルズにしやがってアイデア料よこせ、となった次第。しかし考えて見れば天下のノーベル文学賞の候補に挙がる大作家が相手をしてくれるはずも無く、むしろ僕の方がそれを読んでビートルズをストーンズに変えて受けを狙ったと思われる心配をしなければならないのではないか、という恐怖感にかられた。読者諸兄諸姉にはそのところ宜しくご理解を頂きたい。僕が『本気のネェちゃん』をほぼアドリブで歌ったのは今から5年近く前のことだ。それにしても大作家とチンピラブロガーが似たようなタイミングで同じようなモチーフを書いたということは何たる偶然にしても事象の不可思議な同時進行には何か法則はないのか。
関係ない話だが、村上春樹は英語でも小説を書くが、そのときザッと目を通したりアドバイスする某大学文学部のS教授は高校時代にバンドを組んだり麻雀に狂ったりした遊び仲間だった。今でも時々会って飲んだりしているが、村上春樹とは『翻訳夜話』なる対談本なんかも出してる翻訳業界では大物で、万が一ブログにイチャモンがついたら何とか丸め込んでもらおう。もう一人、本年夏に東大準教授が業者にタカリ問題になった事件の際、記者会見でペコペコしていたコンプライアンス担当のY副学長もその一派だった。お盆の期間中連日検察に呼び出された彼は、実際のタカリの額があまりにチャチな金額だったことにしきりに気にしていて、励ます会の席上で『オレが取調べを受けるには、あまりに小額だ。』と怒っていたものだ。こいつにはあのテレビでも映されたペコペコする方法を教わろう。同級生もいろんなことをやらかしてくれて僕はうれしい。
パクリではない、とご理解が進んだのであれば、自信満々でもう一つ。初期のローリング・ストーンズの名曲に『Time is on my side』というのがあるがそれをひねり回してみた。曲はバラードで「た~~いむ イズ オン マイ サイド」と始まり、途中にミックのセリフが長く入る曲だ。これをですな、アンコール用・メンバー紹介用に使う。
と~き~は カネなり~ Yes it is
と~き~は カネなり~ Yes it is
過ぎし日々よ 恋し人よ
か~せ~げない か~せ~げない か~せ~げない ろーくーにー
(これを二回やって、ミックの長セリフのところは メンバー紹介でも)
と・き・は・かねなりー と・き・は・かねなりー
で盛り上げて終わり。僕の数少ない読者の皆様、この手の本歌取りは僕のオリジナルですぞ。ご記憶を!
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春夏秋冬不思議譚 (どうしても思い出せない)
2013 DEC 5 9:09:56 am by 西 牟呂雄
この40年以上(計算しないで欲しい)直近を除いてほぼ毎日酒を飲み、毎朝二日酔いになる。直近を除くのは、ついに色々な数値が管理限界を越えてしまい、命の危険を感じたからだ。何を大げさなと言うなかれ。還暦近くなると医者の脅かし方も尋常でなくなるのだ。4年程前に医者がキレて「どうしても酒が止められないのならもうウチでみることはできません。勝手に死なれて医療の問題とか言われても責任持てませんから。」と宣言された。勿論上辺では「お願いですから薬を処方して下さい。」とペコペコした。大体そうでなくても命がけなんだから、こっちは。独身時代に六本木の路地裏で電柱に頭突きをしていたところも目撃されているし、荻窪駅の路上で転がっているのを家族が助けに来たこともある。カンが働いたのか、駅前の交番に恐る恐る「あのー、この界隈で・・・・。」と家族が聞きに行き、その最中に偶然警察無線が入り「現在北口に行き倒れがいる模様。」となったのだそうだ。結果はご想像の通りでお巡りさんとカミさんに連行された。見知らぬ駅で目覚めたことは数知れず、悪運強く生き延びたと思う。タクシーで「吉祥寺!」とだけ叫んで寝込み、吉祥寺らしいところで下ろされて(その前散々手こずらせた運転手さん、ごめんなさい)、全く分らなくなりこっそりと息子に携帯して車で迎えにこさせたこともあった。この時はガードレールに眉間を打ち付けて血まみれになり這っているところを確保されて病院送りされた。後日息子が言うには、「あー面白かった。『一度死んだことにしてカアさんには黙っててくれ。』とか言い出すし、医者に連れてったら先生に『裏口じゃないでしょうね。』とか聞くし。」だそうである。あの、酔っ払って足がもつれる時の感覚というのは、突然グルリと世の中が回転し地面がダーッと突進してくるという誠に恐ろしいものだ。しかし、ここまで書いてきたことはかすかに記憶があるだけまだマシと言える。全く覚えていない時間が存在する。「存在と時間」等と言えば哲学のように聞こえるがそれどころではない。
見たことも無い飲み屋で知らない人達がこっちを見ている。僕は何かを喋っているのだが、どうも江戸時代のことを講義していて、時々聞いている人達が一斉に笑うのだ。僕はこのことを悪い夢だと思っていた。それがですな、多額の請求書がある日送られて来て全く覚えが無い。放っておいたら怪しげなメールが来る。ということは名詞をバラまいたに違いない。仕方なく払ったのだが、一体どこなのか全然覚えていない。覚えていないから再訪して言い訳することもできない。
以前東南アジアをウロついていた頃、ある朝シンガポールのホテルの廊下に寝転がっていて目が覚めて、一瞬どこにいるのか分らなくて途方に暮れた。前日はマニラにいて・・・・、そうかフライト中に飲み過ぎたのだ。手に部屋の鍵があったのでチェックインしたことは確かなのだが運良く部屋があったもんだ。どうやって(どうせタクシーに乗ったのだろうが)たどり着いたのか全く記憶にない。それでも治安のいいシンガポールで良かった。これがマニラだったら危なかった。東京で言えば大手町のようなマカティでもホールド・アップが起こる所だ。
又、ある時は社内の飲み会で他部門の連中とガバガバ飲んで二軒目に行き、更にでまたしこたま泡盛をやり、機嫌良く電車に乗った。次に目覚めたのは何と山梨県の某駅、あまりの寒さに目が覚めた。どうやって行ったのか。改札に行けばそこは無人駅なので誰もいない。タクシーなんぞ影も形もない。あまりに寒いので駅員室に入ろうとしたらガッチリ鍵がかかっていてどうにもならない。震えながらジーッと電車を待って、来た電車に飛び乗った。暫くして気が付くとその電車は反対方向に進行しているではないか。翌日何とか出勤すれば、前の晩一緒に飲んだ奴等は顔に大怪我をしていたり手首に傷を負っていたり千葉で目覚めたりしていた。全員記憶を失っていた。会社に申し訳ない。
またあるときは・・・もうやめた。しかし二日酔いも年と共にひどくなる一方で、翌日一回もメシが喉を通らないこともある。不思議なことに酔い方はひどくなったような気もするが(正確に言えば昔から酒癖は悪かった)、飲む量は一向に減らない。それどころか最近は焼酎もウイスキィもオン・ザ・ロックで、益々強いものを好むようになってきている。時間さえかければボトル一本も軽い。実は若い頃に急性膵臓炎をやって、20代の臨床例が少なかったらしく、毎日偉い先生が回診に来て医者の卵達に解説していた。聞いていると「こんなに胃が持つものなんでしょうか。」とか「肝臓は人一倍丈夫ですか。」といった会話が飛び交っていた。そのころは丈夫でも今となっては冒頭書いた通りの体たらく。そろそろビール一杯くらいで十分酔えないものか。
しかし何となくフラフラ寄って行きたい店というのは誰でもあるだろう。僕のフランチャイズはギロッポン六本木のピアノ・バーに昔から通っている。静かで一人で行ってもカウンターでジャズ・ボーカルを聞いたりして過ごすことができるのがいい。が、しかしである。以前のブログで書いた、李鴻章の曾孫やら怪しい外人が出入りしていてこれがかなり危ない。経営者はミッキーという奴で六本木の寄生虫みたいな存在。これの兄貴分にマイクというのがいて、これも近くで店をやっているが二人で最強のナンパ・ブラザーズを気取っていた(但し四半世紀前)。こういう輩は情報通で、エビゾーさんの事件の話とか、『今どこそこの界隈はヤバイらしいですよ。』といった話を教えてくれてありがたい。マイクは少し年上で、元横浜界隈のチンピラだったらしい。今では貫禄十分のワルオヤジだが、話を聞いていると結構な修羅場をくぐっている。なにやら地元の暴力団に米軍放出品のインチキな武器を(無論使い物にならない)捌いて大変なことになり、長いことハワイに逃げていたそうだ。知り合った頃はもうそんなヤクザなことはしていなかったが、バブル真っ最中のバブルまみれの店でVIP席に屯して、全く金を払わなかったのを目撃した(一緒に居た)。こういう人はしぶといくもクタバラずに健在なのがあの街のしゃれたところなのだろうか。
でもってそろそろ酒も覚めてきたから今日も一杯行きますかね。
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春夏秋冬不思議譚 (終わらない電話)
2013 NOV 7 21:21:22 pm by 西 牟呂雄
ある平日の昼下がり。関東地区の某駅でJRに乗った。折り返しの電車なので座席はスカスカ、一両に一人位しか乗って居らず、出発までは15分ほどあっただろうか。乗った車両もオレともう一人のおばさんが離れて座っているだけだった。何やら声が聞こえてくるので人もいないのに、と思ったらおばさんが携帯で喋っているのだった。離れているし特に気にもならなかったので本を読んでいた。2~3分経った頃、突然おばさんは激高して『普通しないでしょう!』とまくしたてた。どうも何かに怒っているようなのだ。それでもまァ人もいなけりゃ電車も動いてもいないのでホッタラかしにしていた。しかし声の大きくなった分耳に届いてくる。『私の個人情報が漏れたかもしれないんですよ!』そりゃ大変だろうな、と深く同情したが只ならぬ声色に変りつつあるのが気にはなって来た。まだ誰も乗ってこない。『ですからね、私の家に留守電で残ってたんですよ!』オイオイ、うーむ、発車まであと10分くらいかな。自然と目が行った。おばさんは俯きながら喋っているのだが、『ですけどね。』等と言う時に激しく身をよじる。その度にだんだん椅子からズリ落ちるように体が横を向いていくのだ。マズイ!目が合ってしまった。
おばさんはその後電話を切られてしまったようで、暫く(30秒位)黙っていたが又すぐに話し出した。『失礼じゃ無いですか!』リダイアルしたようだ、これはヤバイかも。電車はまだ出ないし、隣の車両も誰もいない。うるさくなってきたので移動した。これは何かオレの方が損したようではあるが、怒鳴りつけたりケンカになったり(まさか)しては面倒なので隣の車両の端っこまで行って又ページを開いた。しかしこんなに空いていてはJRも元が取れないのでは、等と余計な心配をしているうちにやっとベルが鳴って動き出した。すると突如『何度も言ったじゃないですか!』の声が車両中に響き渡った。思わず見据えるとあのおばさんが憤怒の形相凄まじく携帯で話しながら車両を移動してこっちに向かって来るではないか、ウソだろう。しかも僕の前まで来て素通りするかと期待していたら、何故か斜め向かいくらいの所に座ってしまった。オレは心の底から引きつった。
どうも相手が変わっているらしい。『だって留守電にまで残されたらよっぽど大事な用事だと普通思うでしょう!』それはそうなんでしょうが。又車両を移るのはもうアホらしく思え、更に目的地まで(後40分くらい)前に座っているのも我慢できそうもない、と一人焦った。よく聞いていると(聞きたくもないが)どうやら電話勧誘が留守電にあったらしくそれにバカ正直に名前を名乗って電話を返したことがアタマにきているようで、同じことを繰り返し怒っているのだった。さっきまでの相手はその勧誘者で、今はどうやら市民相談室とかその類の苦情窓口のようだ。
以前にちょっと違うケースだが、女の子にやさしく『人が多いんだから携帯はやめなさい。』と注意して痴漢呼ばわりされたことがあった。危機一髪・一触即発だったのだが、その時は他にも人がいて『この人はズッとここから動いてなかったじゃないか。』と一喝してくれて助かった。今日はこの車両には僕とおばさんしかいないから、言わば絶体絶命のピンチだ。早く次ぎの駅についてくれ、と祈るような気持ちで本を読み続けた。いや読むフリをしていた。
窒息でもするのじゃないか、という緊張感の頂点で電車は駅に滑り込んでくれた。助かった。さぁ、誰でもいいから乗ってきてくれ。と、ドアが開いた瞬間、おばさんは『もういいです!』と言い捨てて携帯を切ると電車から降りていってしまった。何だ、このオチは。その駅から数名の乗客が乗って来たのだが、その人達は唖然としたオレのバカ面を見たことだろう。車両が動き出してホームを歩いているおばさん見えた。その姿に心の中でそっと呟いた。
「おばさんご苦労さん。あんなに時間をかけて電話して、タダじゃないんでしょ。」
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