皇軍未ダ屈セズ
2024 SEP 8 15:15:23 pm by 西 牟呂雄
玉音放送は、竹中中佐の妨害を払いのけて流された。
『衷情モ朕善ク之ヲ知ル。然レトモ朕ハ時運ノ趨(オモム)ク所、堪ヘ難キヲ堪ヘ、忍ヒ難キヲ忍ヒ、以テ万世ノ為ニ太平ヲ開カムト欲ス』
衝撃は甚だしかった。ソ連の南下備える千島の部隊、素通りされたシンガポール・ラバウル、潔しとせずに抵抗を続ける南洋諸島の部隊、個別戦闘ではほぼ負けていない大陸の部隊等、簡単に武装解除できるはずもない。
現に北方占守島では8月18日にソ連軍が攻撃を開始、果敢にこれを撃退した。フィリピンのルバング島では中野学校の教育を受けた小野田少尉はその後30年に渡ってゲリラ活動を続けた。
本土においても混乱は生じる。厚木にあった第三〇二海軍航空隊は小園安名大佐の元、一致団結して継戦完遂の意思を固めていた。中央の武装解除命令を無視し、しきりに周囲にビラを撒く。
一方、一度はフィリピンから追い払われたマッカーサーは、さすがにいきなり日本に上陸することは避け、連合国最高司令官が作成する降伏文書を受理することに関し、十分な権限を有する使者を連合国最高司令官の許へ派遣することを命じて来た。
『十分な権限』とはすなわち天皇の勅使である。この場合、国体を護持できるか否か、それ次第では決裂し再び戦闘が始まるかも知れない。誰もが引き受けたくない役目として腰が引ける中、恥辱を受けたらその場で切腹する覚悟をもって事に臨んだのは、陸軍参謀本部次長河辺虎四郎、随員として、外務省から岡崎勝男(調査局長)外1名、陸軍から天野正一少将(参謀本部作戦課長)外6名、海軍から横山一郎少将(軍令部出仕)外6名だった。輸送指揮官は寺井義守海軍中佐が指名された。
この人数を運べる大型機のほとんどを失っていたため、一行を1番機一式大型陸上輸送機と2番機一式陸上攻撃機の緑十字機で沖縄の伊江島まで送り迎えすることとなった。
緑十字機とは、事実上空を飛べなくなった日本で米軍が飛行を許可した航空機で、その機体は白く塗られて緑の十字をペイントされた。調子に乗ったマッカーサーは『平和の白い鳩』と呼んだ。
一番機機長の須藤大尉と駒井上飛曹は指揮官寺井中佐に呼び出された。海軍省の一室に通され、待っていると寺井少佐は一人のスーツ姿の紳士を伴って入って来た。思わず立ち上がり敬礼をすると寺井はそれを制した。
『本日は事情により挙手の礼は必要ない。掛けたまえ』
『ハッ』
『これからの話は一切他言しないでくれ。書面による命令も残せない』
こう告げると一層声を潜めて何事かを告げた。
羽田から飛ぶと厚木の反乱部隊のゼロ戦に撃墜されるかもしれないので、木更津から要人を乗せて離陸すること。事実、米軍機に対する攻撃は散見されていた。旧式の機体のため沖縄の伊江島経由まで飛び、そこからは米軍機で一行はマニラに向かうこと。そして・・・・、整備兵を二人指名された。
勅使団は木更津に集合する。
寺井中佐が、今回同行する整備兵だ、と西兵曹長と室田兵曹長の二人を一行に紹介した。二人とも精悍な印象ではあるが実に暗い眼つきをしていて、ほとんど喋らない。
須藤大尉は気になったことを寺井中佐に尋ねた。
『中佐。ところで海軍省にいたあの商人服の紳士は何者なんですか』
『聞かない方がいい』
『本作戦は生きて帰れるかどうかわかりません。勅使は恥辱を受けた場合の自決用の拳銃を用意しました。我々もその際には帰れないでしょう。どういう者が関係したかは知っておきたいのです』
『む、一切他言無用。某宮様とだけ言っておこう』
『ハッ』
それだけ聞くと出発していった。
厚木の反乱部隊はいまだに健在。その目をかすめるように太平洋上に出てひたすら西に飛んだ。
命がけの決死行は、その後次々と困難に見舞われる。
まず、伊江島に着陸の際に1番機のフラップが下りず、危うく滑走路から飛び出してしまうところだった。その先は崖である。結局そのまま正義のため伊江島の留まらざるを得なくなった。
勅使はマニラニ行ってしまった。周りは米兵ばかりである。
ところが、4年にわたった激しい戦闘が終わった解放感からかやたらと明るく、昨日までの敵兵である一行に親切なのだ。それは勝者の余裕かもしれないが、明日死ぬかもしれないという恐怖感が亡くなった方が大きいのであろう。扱いも丁寧だったため、寺井中佐以下の面々も多少は打ち解け始めた。
しかし例の整備兵二人は米兵どころか日本人一行とも世間話一つしないのだ。
そうこうしているうちに勅使団はマニラから帰ってきてしまう。自決するほどの恥辱こそ受けなかったものの、日本側の要望である国体の護持については言質は与えられず、一方的にマッカーサーの進駐計画を告げられ降伏要求文書を受領したのみ、会談自体は1時間にも満たなかったのだった。
そしていよいよ帰国の途に就こうとすると、またもトラブル見舞われる。今度は2番機が滑走路へ動き出したところ突如ブレーキの油圧がゼロとなり、制御不能に陥ってそのまま滑走路脇に止まっていたトラクターにぶつかった。結局勅使たちは文書を携えて1番整備の終えた1番機単独で日本に向かうことになってしまった。
機が遠州灘の南方を飛行している時点でメインタンクが空になるので予備の増設タンクに切り替えた途端、エンジンは空転しだした。操縦桿を握る須藤大尉の悲痛な声が響いた。
『何だこれは、燃料がないぞ!』
『そんなバカな』
副操縦士だった駒井上飛曹も目を疑った。これは・・・。
河辺中将は一瞬にして事態を飲み込んだようだった。この降伏文書がもし届かなければ。停戦はなし崩しになり再び戦闘が始まるかもしれない。何がなんでも届けなければならない。
須藤大尉には誰が発したかはわからないが切羽詰まった声が聞こえた。
『海岸線に沿って不時着しろ!』
無論言われなくてもそれが唯一生き残る道だ。須藤大尉と駒井上飛曹は目配せして機体を北に向け、同時に降下し始めた。
未明、うっすらと遠州灘の海岸線が見えてくる。岩礁のない砂浜の近く、それもあまり海岸に近ければ胴体着陸になり危険が増す、という難しい局面になった。
全員待機姿勢をとりつつ、機体は水煙を上げながら絶妙な角度で着水した。海は荒れておらず、海岸から20mほどの沖にしばし漂った。
勅使一行は強い衝撃にもかかわらず全員脱出し、何とか浜に泳ぎ着いた。とにもかくにも降伏文書を持って帰京しなければと必死の脱出だった。
結局文書は多くの関係者の協力と強い意志で届けられ、マッカーサーは無事に進駐を果たし、ミズーリ艦上での降伏文書に署名ができた。
だが、この緑十字飛行には多くの謎が残った。度重なるトラブル、極め付けが燃料切れ、あまりにも不審な点がある。整備兵を同行させてまでこうも連続して起こるものであろうか。特に燃料切れについて、関係者は口裏を合わせたように『こちらはリッターでやっているが米軍はガロンで測るので積み込む燃料の量に行き違いがあった』という。そんな程度の意思疎通のミスで増設槽が空で飛ぶとも思えない。
しかも、その整備兵の名前は正規の軍籍には無く、その後の消息が全く不明なのだ。名乗りは偽名だったのである。そこから推論するに、降伏文書を日本に持ち帰らせたくないさる筋が妨害工作を仕掛けたのではないだろうか。緑十字飛行に関わった海軍の一部が工作し、命を賭しての飛行だった可能性はある。
冒頭の話に戻る。樋口中将率いる北部軍は樺太・千島を南下するソ連軍と対峙し、大陸には殺気立った部隊が健在。無論邦人の帰還は未だであり、南方での戦闘も燻っていた。
厚木航空隊の小園大佐は、マラリアの発作を発症した際にモルヒネを打たれそのまま海軍病院に幽閉され部隊は鎮圧された。尚、小園大佐は斜銃搭載夜間迎撃機「月光」の発案者である。
海軍軍令部の富岡少将は密かに土肥中佐を平泉澄の元に遣わし、国体の護持を三種の神器と皇統の継承であると確認すると、343空の源田司令に九州某所に宮様を動座する工作を始めた。富岡少将はミズーリ艦上での調印に海軍代表として参加している。土肥少佐はその後台湾海軍の創設に深く関わった。
以上は史実である。
その後の政治的推移は読者ご案内の通りだが、水面下ではコミンテルンの介入並びに大陸・半島のスパイ活動は激しく、片やアメリカの治安機関の陰謀とそれにスリ寄る日本人、あるいは中野学校関係者による長期に渡る地下工作といった裏の戦いは続き、今も継続されているとしか思えない。
そのうち抗戦派の流れは民間に継承され、今日なお健在である。皇軍は未だに地下にあり、しばしば姿を現す。SECRET・MACHINATIONS・CONSPIRACYとして。SMCのことである。
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レイモンド君の夏休み
2024 SEP 1 0:00:05 am by 西 牟呂雄
ヒョッコリ先生のご葬儀で帰国していたレイモンド君一家はそのまま夏休みを取っているようで、喜寿庵の周りを掃いていたらまた会った。お父さんとお母さんと一緒だった。
『先日はご愁傷様でした』
『痛み入ります。お陰様で大往生でした。最後は一週間くらい食を断ちましてね』
『ほお、お覚悟を決められたのですね。大したもんですな』
『それがのどは乾くらしいんですよ。で、水をもって言って飲まそうとすると「バカヤロウ。ビール持ってこい」ですからね。医者も仰天してました』
『ああ、喪主さんも仰ってましたね』
『人間ビールだけで一週間は生きられるもんなんですなぁ』
『・・・・』
レイモンド君は何のことかわからない、といった表情で見上げていると急にうちの庭に駆けだした。お父さんもおかあさんも慌てた。
『あっ、コラコラ。かってに入っちゃダメ』
いや、いいですよ、と言いかけてやめた。この手で何度も子守させられた。
『トゥダーイウィスヒム』
またコクニーを喋った。この子どういう環境に育っているんだろう。
それにしても、しばらくは一緒にいなかったとは言え、ひいおじいちゃんが亡くなったのがこの子にはどう伝わっているのか。物心がついたといえ4才そこそこだ。レイモンド君は悲しければ泣く、楽しければ笑う。
青い相模湾は多少のうねりはあるものの、小網代湾に少し入ってアンカーを打てば静かなものだ。ラットを任せて僕はレイモンド君を抱えながら舳で波の音を聞いていた。レイモンド君は死の恐怖も何もない。溺れるという実感もないから平気で歩き回るし海を覗き込んだりする。心配になった僕は子供のライフジャケットを着せて浮き輪も持たせる。すると艫の方からいきなり飛び込んで慌てた、後からすぐに飛び込んで捕まえるとケラケラ笑っている。湾の入り口は潮が早いからこんな軽い子供はアッという間に流されてしまう。
喜寿庵のあたりは旧盆だ。暑い夜に盆踊りの音色を聞きながら木戸門の前で小さな送り火を焚いた。この頃は送り火セットのようなものが売られていて苦労して薪を積み上げることはしない。一人でぼんやりとヒョッコリ先生のことを思い出していた。
そこに偶然レイモンド君一家が盆踊りを楽しんだ帰りに通りがかった。
『こんばんわ』
『オヤ、こんばんわ』
挨拶を交わしているとレイモンド君が走ってきてギューッとしがみついてきた。僕達は友達なのだ。
『コラコラ、だめでしょう』
とお母さんがたしなめる。
『はっはっは、いいんですよ。よし、一緒に花火をやろうか』
僕は花火が好きで一人でもよくやるのでたくさん買い込んである。実は夜に芝生の上にいるときに点けると蚊よけに絶大な効果がある。更に僕の天敵であるモグラの駆除にも大変に役に立つ。モグラの穴に点火して突っ込むと思わぬ処から煙が上がってその一帯の巣は駆除できる。
ご両親も一緒に芝生の上で花火で遊んだ。色が変わるところが面白いらしく手に持って走っていく。とりわけ箱型で置くタイプで、火花が吹き上がるタイプが好きらしく、しゃがんで見上げていた。そして呟いた。
『オージーチャンパストアウェ』
また謎のオージーがどうした、が口をついている。お父さんに聞いてみた。
『オージーってオーストラリア人の友達ができたんですか。コクニィみたいな喋り方ですし』
『アハハ、そうじゃありません。大お爺ちゃんって言ってるんですよ。ひいおじいさんのことを言ってます。盆踊りを見に行ってお盆というのは死んだご先祖様が帰ってくる、と話したので。近所のナーサリスクールに行かせているんですけど、そこはロークラスのエリアなんでキングスイングリッシュではないですしね。そのうち日本人学校に行かせますから放ってあります』
レイモンド君もヒョッコリ先生を思い出していたのか・・・。
そのうち先生の話をしようか、大お爺ちゃんの思い出を。
『イギリスにはいつ』
『あした東京に行ってあさってのフライトです』
そうか。またしばらく会えないんだね。
うっ、目が覚めた。以上は夢でした。
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勝負所だぞ 日本ハムファイターズ
2024 AUG 23 13:13:40 pm by 西 牟呂雄
夏場になってから快進撃が続く。もっと言えば一度ドン底に落ちたチームが7月9日から変調をきたしてオールスターまで9勝2敗。オールスター以後になると6連勝を挟んでお盆休み明けの18日まで12勝7敗2分けの快進撃だった。
何といっても金村・福島といったピッチャーの台頭と抑えの柳川が育ったのが大きい。
そして言いたくもないが清宮がたまにH・Rをかっ飛ばすのはご愛敬ではある。しかし私は騙されないぞ。走塁ミスやらアウト・カウントの間違いといったセンスの無さは直りっこないし、チャンスにダメなのは相変わらず。来年はトレード確実なんだからせいぜい高く売れるようにがんばればよいか。
バカ・ボスは相変わらず毎試合打線をいじるし、見るべき采配は14日ロッテ戦での2者連続スクイズだけ。あれは珍しく(影の)オーナーの私のテレパシーに従った。
9連戦となった最期のオリックス戦で3タテを食ったのは余計だったが、これだけ勝てばと順位表を見ると・・・。
2位に浮上したのは結構だが、なんとマジックを7月中に点灯させた首位ホークスとは13ゲームも差がついているではないか。ホークスは負けないのか!今更優勝を目指せもクソもマジックは残り35試合で23!
おまけに2位といってもロッテとは1厘差でゲーム差はない。そのロッテとホークスに当たる今週が勝負どころだ。いつも通りズルズル行くのか、2位を盤石にしてC・Sに駒を進めるか。特にロッテは前クールで負け越したから気合を入れて来る。
初戦は金村が試合を作り水谷・水野のH・R2発でしのいで1ゲーム差をつける。
次の試合も打線がメルセデスをボコボコにして、投げては山崎が軽く捻って楽勝。
きのうは佐々木が投げてヤバかった。だが清宮の思わぬ活躍と柳川の勝負強さで勝った。角中・ソトのものすごい表情は怖かったが何とかしてくれた、いいぞいいぞ。
そして宿敵ホークス戦を迎える。ここで(影の)オーナーである私の心は千々に乱れた。どうせかないっこないのに全力で挑むか、この際戦力を温存して相手を油断させるか。作戦を立てるに当たり
迷いに迷う。
要するに3つ負けなければいいとして1試合目はボロ負けにし、先発が打たれても代えずにダラダラ試合をする。次は投手を使い尽くして勝ちに行く。3試合目は流れに任せる。その際には先発を誰にするか。
まずは福島、ホークスは有原で決戦の火蓋が切られる。
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民自党総裁選顛末
2024 AUG 14 14:14:32 pm by 西 牟呂雄
『不破ぁ!考えてもみろ。何度もオレの顔に泥を塗ったあいつが総理になって国際会議であのモッサリした喋りをしたらG7の連中が何と思う。トランプと対談が成り立つと思うか?』
朝生副総理はまくし立てた。相手は立候補に意欲満々の甲野である。
甲野は立候補に当たって派閥オーナーである朝生の腹を探ろうと面談に及んだが、いきなりまくしたてられて鼻白んだ。実は不破・甲野・大泉のトリオで連合しようと秘かに考えていたのだった。
『お前らの後ろから糸を引いているのは須賀だろう。あいつの口車に乗ってロクなことになった奴はいねえ』
図星を突かれてさすがに怯んだ。
『金の勘定もできねえ、横断歩道の渡り方も知らねえ、お前に総理が務まるか』
その頃、大泉新次郎は旧阿部派の大物である元総理、大森喜朗と相対していた。
『君を総裁候補と考えている。今の民自党は若返りが必要だ。私と同志は全面的に協力するからウンと言ってくれ。君の親父さんの了解も得ている』
『いや、しかしまだ要職もこなしていない私では短命に終わるでしょう。私もまだ若輩者ですし、以前は不破さんの推薦人になっていますから』
『君、こういう話は一度乗り損なうと次のチャンスは掴めなくなるよ』
『親父は3回挑戦して総理の座を掴みました』
『ふふふ。まさか須賀にそう言えと言われてるんじゃないだろうね。あの男はゴリ押し一本鎗であんまり中身はないんだよ』
『いや、そうではないですが、須賀さんにはお世話になってますから』
その須賀元総理は不破に向って訴えていた。
『いつものセリフ。そう「国民がどう考えるか」なんて甘っちょろいことを言っていては天下は取れない。自分から取りに行かなければなれないのが総理というものだ。分かっているのか』
不破は視線を宙に泳がせた。須賀は続けて言う。
『推薦人は何とかしてやる。甲野も大泉も決選投票になったら君を立てる。全て私が根回しした。これが最後のチャンスだ』
絞りだすように言うのがやっとだった。
『この身を須賀先生にお任せします』
不破が須賀の軍門に下った瞬間だった。
一方、したたかな朝生は低支持率に悩む現木志田総理にはこう言った。
『まあ、派閥の解散だの上限5万円のスタンド・プレーは頂けねえが、政策全般に関しては良くやっていると評価できる。防衛費増額なんか阿部のときでもなかなかできなかったしな。賃金アップも何とかしのいだところで裏金問題に足をすくわれた感があるが、この支持率では普通に考えれば再選は難しい』
『何とかご協力願えないでしょうか』
『オレは基本的にはアンタでいいんだが、仲間を説得するには条件がある』
『何でも言ってください』
『アンタが勝手に解散した宏池会の若手には選挙が不安な奴が多い。助けてくれって話がオレんところに引っ切り無しに聞こえてくる。元々オレんところは宏池会の流れなんだからそいつらがウチに来ることを押してくれ。大宏池会の復活を認めろ』
『そんなことは・・・・』
翌日、木志田は総裁選不出馬を表明した。
そのニュースを笑いを噛み殺しながら聞いていたのは幹事長の持木である。これで『裏切者』とも『令和の明智光秀』とも言われず思いっきり総理を目指せる、と。
しかしながらエラソーな物言いと木志田総理に対する露骨なサボタージュで全く人望がない。有力議員が次々に派閥から出て行ったことがそれを物語る。一人では立候補すらできないのだ。平成研の栄耀栄華は見る影もない。そこで持木は暗躍する長老、すなわち既出の朝生・大森・須賀に会食を持ち掛けるが相手にされない。惨敗覚悟で出馬するのか、眠れない夜が続く。
数日後、正体不明の令和のフィクサーとも日本のディープ・スロートとも呼ばれた集団は密かに一人の政治家を呼び出した。
『目下の民自党の混乱は国益を損ない続けている。木志田に諦めさせたのは我々だが、次は決めていない。目下の総裁候補が小物過ぎて話にならないからだ。あれでは複数候補が立ったとしても戦国時代にはならない。せいぜいチンピラの縄張り争いだろう。そこで我々は次は以下の3条件から絞り込んだ。まず総理経験者の再登板。次に自衛隊容認の憲法改正に積極的である。最後に財務省の言う事を絶対に聞かない。するとあなたの名前が挙がった』
『光栄です』
『官房長官には加藤勝信を起用すること。幹事長は福田達夫にする。これが飲めれば我々が木志田・朝生・大森・須賀を説得してあなたを支持させる』
『しかし・・・』
『絶対に小沢一郎を近づけるな。公明党の連立をやめて国民民主党と手を結べ。維新の会は我々が潰しておく』
『なるほど・・・・』
『では離党届をすぐに出して二階派のあとを継いでくれ。スペシャル・ミニスター・クラブ、我々SMCが全て手はずを整える』
男たちが席を立った後に顔面を紅潮させた男こそ、阿部元総理の国葬において格調高い弔辞を読み、また故人から捲土重来を即された元総理野田佳彦であった。
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僕は保守派
2024 AUG 11 21:21:01 pm by 西 牟呂雄
「世界は、絶えざる運動の中にあるのではない。むしろ、それが耐久性を持ち、相対的な永続性をもっているからこそ、人間はそこに現れ、そこから消えることができるのである。言い換えれば、世界は、そこに個人が現れる以前に存在し、彼がそこを去ったのちにも生き残る。人間の生と死はこのような世界を前提としているのである」
思想家ハンナ・アーレントの言葉である。『全体主義の起源』で名高いアーレントの評価は一旦置くとして、このところの筆者にとってこの言葉はズッシリと腑に落ちた。
ここで『運動』と表現されているのは、例えば世界史の潮流として現れる社会運動や思想的流行、更に技術開発に伴う構造変化といったものまで大きく網羅していると考えられる。
例えばグローバル化が進行した、世界は右傾化したといった流れはその時々で観察されるものの、溶液の中の酸化・還元が繰り返されていながら一定の均衡状態を保つようにバランズするごとし、と読み解ける。その中で個人は繰り返し現れては消えていくが、集団としての動的平衡は保たれる。
無論個人の内在する葛藤やら感情はそれぞれだが、ピースの一つとしてアーレントのいう『耐久性を持ち、永続性をもっている』ところに光をあてればいかなる凡人の人生でも光輝く。
即ち、相矛盾する事象といえども現実に共存することはごく自然なことで、人間も社会もそうあることこそ自然体だとも言える。
筆者はかつてそのような考え方について『川の流れの方が流れることによって学習し、流れに潤っている生きとし生けるものは施しを受けているに過ぎないと。流れの水が大地の形から自然の造形を記憶しているのではないか』と表現してみた。
このブログはそれを言語化しようとした失敗作だが、6年前はといえばすでに還暦を過ぎていたにもかかわらず、この程度の考察しかできていない。
それがアーレントの言葉をもって安寧を得た。
障害物に当たった個人は自分と世界の関係を理論化しようとして現実否定のイデオロギーを作り出そうとするが、それは理性の傲慢であり、理性は必ず過去の習慣や先入観に育まれているから、それらを完全に否定すれば方向性をも見失う。それゆえ社会というものは(この場合筆者の好みで言えば保守主義というものは)手入れを怠らずに鍛えに鍛えても漸進的にしか変わらないのだ。
翻って、バブルの崩壊以後、少子高齢化、就職氷河期、財政健全化、非正規拡大、不法外国人労働者、郵政民営化と30年を失っている間に様々な『運動』があったのだが、その間『改革』と称して俎上に上ったもので効果があったのは『異次元の緩和』くらいだろうか。民主党政権や小泉改革とは何だったのか。
議論は色々あろうが、そうであれば故安部元総理を除けばほとんどがアーレントの視点を欠いた小手先の『改革』でしかなかったと言えるのではないか。筆者でさえもその視点を6年前は持ち得なかったのだ。
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海に眠る魂
2024 AUG 4 0:00:17 am by 西 牟呂雄
以前ブログでも紹介したことがある。
海でしか生きられなかった人、通称『鮫さん』が亡くなった。先日は山荘で知り合った『ヒョッコリ先生』を弔ったばかりでいささか参った。
鮫さんは遠縁の親族が荼毘に付したが入るお墓が無かったようで、僕たち海の知り合いがホーム・ポートの沖合に散骨することになった。
某日、我が艇のスターンに献花台を置いて生前親しく付き合った数名がお別れをした。写真は今から15年ほど前に4人のクルーで大平洋を横断した時のものを飾った。三浦から33日でサンフランシスコに無事着いた記念写真である。
出艇すると相模湾は快晴の無風.
献花してもらった花をたくさん積んで沖に出た。
僕はそんなに深い付き合いではなかったが、あの独特の人柄がこの海から消えてしまったと思えばさびしい。
ポイントに来ると仲間の船が7~8艇集まって来て、散骨が始まった。
箱から遺骨を少しづつ海にながしていき、船団が周りを回航しながら花を添えた。広い海の一角に花の渦巻きが出現したようだった。
鮫さんは下戸だったのだが、ビールや焼酎をトスして、もう二日酔いもしないだろうからたくさん飲んでくれ、と海に落とす。
一斉に各艇がマリン・ホーンを長音で鳴らす。
ファーン、という大音量に送られて鮫さんは大好きな海に眠った。痛みも苦しみもない水底に。
港に戻って思い出話をしたが、鮫さんのプライベートは謎に包まれている。船のオーナーではなく、仕事が何だったのかも誰も知らなかった。一種のプロのヨット乗りとも言えるだろうが、白石康次郎とか斎藤実ほどの職業的なポジションにあるとも思えない。
最後は自室で倒れているところを発見されて病院に担ぎ込まれ、一時回復したものの退院することなく亡くなった。即ち、自由と孤独の中で天寿を全うしたともいえる。
この『自由』と『孤独』は表裏一体のようなもので、自由に死ぬ場合には孤独が必要なのだ。
鮫さんの場合、極端に言ってしまえば病院に行くことは本意ではなく、そこで最先端の延命治療を拒否できなかったのは痛恨の極みではなかったのか。
散骨ポイントは、実は過去に何回も行われたところだった。古くは麻生元総理の弟さんも海難事故にあって亡くなったあたりである。
『あの辺で釣れる魚は人骨を食べたりもするだろうからカルシウムは豊富だったりして』
『あの人下戸だったけど、今頃は竜宮城で鯛や平目の舞い踊りを楽しんでるな』
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がんばれ!さくらジャパン パリ・オリンピック
2024 JUL 29 8:08:58 am by 西 牟呂雄
いよいよ始まった大好きなオリンピック。花の都のパリにこそふさわしい、その名もさくらジャパン、ご存じ女子ホッケーの日本代表である。僕は過去、リオ・TOKYOの全試合で彼女たちを応援してきた。果敢な闘志、全力を出し切る集中力、華麗なフォーメーションといった全てが面白く、ダイナミックな魅力にハマった(と言っても普段は見ないが)。
リオの時からファンになったホッケー一家の永井姉妹は3大会連続の出場で、今大会に期するものがあるはずだ。
このフィールド・ホッケーの醍醐味の一つに独特のペナルティー・コーナーがある。相手ゴールラインからのパスを受けた攻撃側が押し寄せるようにゴールに殺到する。守備はキーパーと4人のディフェンスが、ゴールの中に固まっていて一斉に飛び出す。
ホッケーのボールは固い硬球だから顔にでも当たれば大怪我だ。女子の場合はフェイス・マスクを着ける。このフォーメーションが実に迫力があってスリリングなのだ。
そしてここだけの話、女子ホッケーの選手は美人が多い。
ところが、である。始まって競技日程と放送予定を確認して驚いた。中継も録画も無い!
遠く日本から応援しようというファンの気持ちを踏みにじるつもりか。それでなくとも予選Aグループ6チームでワールド・ランキングが日本より下なのは開催国枠で参加するフランスのみ。ランキング1位のオランダが入っている厳しいグループなのだ。
競泳・スケボー・フェンシング・体操・サッカーバドミントン・柔道・バレーボール・卓球と日本選手の活躍が報じられる中(ウタちゃんは負けてかわいそうだったが)さくらジャパンはひっそりとドイツ戦を戦い2-0で負けてしまった。そりゃ相撲もあるし大谷は活躍するし日本ハムファイターズも調子を上げてはいるが、ホッケー協会はもっと営業するとかコネを使うとかやりようは無いのか!リオでさえ観客は少ないのに放送されていたというのに。
と思ったら本日のBS/NHKが17時半から中国戦を中継する!読者諸兄諸姉、少ない機会に彼女達に声援を送ってくれ!
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怪奇 水生ヘドロ人間
2024 JUL 28 12:12:30 pm by 西 牟呂雄
日本橋から上流に向かって常盤橋と言う名前の橋が二本架っている、日銀の直ぐ横だ。近い方は車も通れる道路橋だが更に上流には石造りで歩行者専用の旧常盤橋があって、あまり知られていないが渋沢栄一の銅像がたもとに立っている。
この日は雨模様で上を高速道路が通っているため雨宿りのホームレスが映ったのは御愛嬌。
お江戸御府内から奥州街道へ抜ける木戸門があったため、ご覧の石垣が残された。
美しいアーチの姿は江戸情緒と言うより帝都感満載で、元の職場が近かったこともあり昔からここが好きで今でも時々散歩する。
子供の頃、即ち高速道路ができる前などは悪臭を放つドブ川だったが今では水質も改善され、濁ってはいるが小魚がいて実際に魚が釣れるドキュメンタリーを見たことがある。

それが、この日何気なく川面を見ていると不思議なモノが漂っていた。
川底から細かい泡がブクブクと湧き上がって来てそれとともに黒いシミのような塊が浮かび上がってゆっくりと流れて行く。因みに日本橋あたりの川面は東京湾と同じ高さなので満潮の時はジワジワと上流に流れる。すると、泡の発生源が何なのか分からないが、水中で何かが息を吐きながら移動しているように見えて不気味なのだ。
昔、宇宙から飛来した物質がヘドロの中で生命体となり、て巨大化した怪獣ヘドラとなってゴジラと闘うという映画があった。さながら水中からヘドラが歩いて上がって来るような光景を想像して気持ち悪くなった。
尤もこの河川は浅いところでは水深1.2m程度しかないため、大怪獣が水中移動などできるはずもない。
問題はこのブクブクは何かということなんだが、川底に溜まったヘドロの中の有機物が分解した際に出る気体ではないだろうか。だがそうであればヤバい。想像できる範囲で思いつくのはまずメタンガス (CH₄)、次に硫化水素 (H₂S)、それから二酸化炭素 (CO₂)とアンモニア (NH₃)といったところで、地球や体に悪いものばかりである。
だが、地球で最初に出現した生物は硫化水素をを利用して炭水化物を合成するバクテリアで、このバクテリアが生み出した有機物が起点となった生態系が進化してきた。
おそらくそのバクテリアのエネルギー効率は恐ろしく低いためその後の進化はなかったのだろうが、現在のバイオ技術で高能率の合成が可能になる生態系は生み出せるのではないだろうか。硫化水素を吸収する水中人間とか。
ところが、面白いもので色々夢中になって検索するとアクア説という仮説があった。500万年以上前にヒトが類人猿と別れた頃、人類は水生だったというトンデモな話だ。すると悪い発想が湧いてきて、強烈な硫化水素を合成することによってエネルギーを蓄えられるアクア・サピエンスなる亜人類に進化したらそれはどんな姿なのか想像したくなった。
水生だから足は必要ない。硫化水素を吸い込むだけだから口もいらない。知的作業をするなら手は必要だろう。脳もそれなりの大きさになる。
想像するに、形状はエビ型かオオサンショウウオ型になるのではないか。
そう思って色々検索してもどうもしっくりくる画像がなかったので自分で書いてみた。
こういう生物が日本橋の川底を、硫化水素を吸いながら泳いでいるとしたら、なかなか面白いのではないか。
しかしこの姿、どっかで見たような。そう思って検索したらあった。
これ、享和元年(1801年)に水戸藩東浜で捕獲されたとされる河童の絵としてWikiに載っていた。なんだ、お江戸の時代にも僕と同じようなことを考えた輩がいたのか。人間の想像力と発想は変わらんものだな。
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ヒョッコリ先生 さようなら
2024 JUL 20 1:01:36 am by 西 牟呂雄
あっ、レイモンド君だ。久しぶりに見ると(1年振りかな)さすがに大きくなって一人で歩いていた。この子英国帰りだよな。よし、試してやるか。
『グッド・アフタヌーン』
『ヨーライ』
ん?なにそれ、英語?
『レイモンド君だよね』
『アーイ』
わかった。この子コクニィを喋ってるんだ。ヨーライとは you alight だな。
『ハウ・オールド・アー・ユー』
『ヨンサイデス』
ふうむ。何とかコミュニケートできる。日本語も前より喋れる立派なバイ・リンガルになりつつあるようだ。
『トゥダーイ・グランパ?(まてよ、ひいおじいちゃんか)』
『オッ、オージー・サマップ・・・ネンネ』
ん?オーストラリア人がどうした?するとお母さんが走ってきて大声を上げて呼んだ。
『勝手に走って行っちゃダメって言ったでしょ!』
お母さんは喪服をお召しだった。
『すみません、いう事聞かなくて』
『いえいえ、大きくなりましたね。帰国されたんですか』
『ええ。急な話で。この子のひいおじいさんが先日亡くなりまして取り急ぎ帰ってきました』
『えっ、先生が?』
『はい。お陰様で大往生でした』
『それはそれは御愁傷様です』
『これから〇〇寺で葬儀なんです』
呆然とした。あのヒョッコリ先生が逝ったとは。そうか、ご葬儀が〇〇寺なら近所だな。曇って小雨が気持ちよい。
昼メシを食べてブラブラと散歩がてら〇〇寺まで、先生との会話を思い出しながら行ってみた。するとずいぶん大勢の人が見送りに来たようで、本堂に収まりきらなくて境内にたくさんの黒い人だかりができていた。ふうん、人気のあった人だったのだな。
そしてちょうど焼香が終わったところで、喪主さんの挨拶が始まるところだった。初めて見かける顔た。レイモンド君のお爺さんで僕と同じくらいの年だろう、普段は東京にいてこちらに来ることは滅多にないらしい。
本日はお足元の悪い中、またお忙しいところ近しい皆様にご焼香していただいて父も満足したことと思います。故人になり替わりまして御礼申し上げます。
本日お見えの皆様には改めて父の事蹟たどる必要は無いものと思います。
晩年の父が大変に好んだ肩書が三つございました。
一つは『海軍兵学校76期会代表幹事』。この76期という年次は、入校時点にはすでに戦局が悪化し、サイパンは落ちておりました。そのため苛烈な教育を受け、2号生徒で敗戦を迎えました。兵学校は江田島です。従って直前の広島のキノコ雲を同期全員が目撃した年次です。そこでの体験はその後の父の人生に多大な影響を与えたのは想像に難くありません。思想的には海軍ふうの中道リベラル、息子の私が右ッパネですので「お前は少し危ない」と窘めることがしばしばありました。また、最期が近くなると悟って「ワシは海軍葬で送られたい」と言い出しました。まさか民間の我々が軍葬をやるわけにもいかず、本日皆様が若干の違和感を感じられる棺の軍艦旗や流された音楽は、せめて故人の意向に添ってやりたいという私達の思いとご承知ください。
二つ目は、長年奉職しました東京●●株式会社が功績のあったOBに与える『社友』です。戦後、荒廃した祖国の復興の一助にと入社したと聞いております。時期は高度経済成長の真っただ中で、需要家はどんどん増加し、インフラが次々と立ち上がる中、大変忙しくしていたことを覚えております。そんな中、先代を早く失くして若干30歳にして当主となったため、未亡人となった祖母並びに兄弟、そして我々家族を支えました。
三つめは、中央での仕事をあらかた片づけて活動の拠点をこちらに移した際、丁度地元の公立北富士総合大学の法人化を進めるため理事長を引き受け、その功績に対し与えられた『名誉市民』です。兄弟の中で最も地元に貢献したのはワシだ、と自慢しておりました。面白いもので、地方出身の学生さんを月に一度自宅に招き、夏はバーベキュー、冬はお鍋を囲んで話を楽しんでおりました。
さて、様々な御厚情を賜った中で父の人生に彩を添えたのは、こよなく愛した『酒』でありましょう。皆様お一人お一人にも故人と酌み交わした思い出をお持ちと思います。ひたすら楽しい酒との付き合いでした。今頃は先に送った弟達と車座になってニコニコしながら飲んでいるのではないかと慰めております。
最後に体力が衰えてベッドから降りられなくなり食事も喉を通らなくなったのですが、目が覚めると「喉が渇いた。ビール持ってこい」と言い、2缶位を「うまい」と飲み干しました。お医者様もさばけていて、もはや投薬の必要もないから飲みたいものを飲んでよい、とのことでしたが、まさかそれから10日余りも生きるとは思ってもいなかったようで驚いていました。最期は苦しみも痛みもなく、次第に息が細くなって天寿を全うした次第です。
概して明るく豪快に見えた父でしたが、ことに当たっては緻密に考えをめぐらし、丁寧に物事を運ぶ人でありました。
父は30台で当主となりましたが、跡継ぎの私は古希であります。この歳にして大きな柱を失ってオロオロするのは誠に情けない限りですが、まさに路頭に迷うような思いです。本日ご列席の皆様には、残された我々に故人の生前と変わらぬご厚情賜りますようひたすらお願い申し上げてワタクシの挨拶と致します。本日はありがとうございました。
そうか、もうヒョッコリ先生には会えないのか。ずいぶん立派な人だったんだ、知らなかった。
レイモンド君は本堂の奥でお母さんの膝の上にチョコンと座っているのが見えた。
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続・街道をゆく 旧甲州街道犬目宿
2024 JUL 13 15:15:35 pm by 西 牟呂雄
旧甲州街道は上野原あたりで現在の国道20号線よりやや北側の山間を通っていた。犬目峠を越える前後の休息のため、一村を以て宿場町をしつらえ犬目宿とした。江戸開府後に日本橋を起点とした五街道が整備され、参勤交代も定着した6代将軍徳川家宣の頃の話だ。
八王子から小仏峠の関所を過ぎると街道は山間部を縫うように進むので、実はほとんど富士山は見えない。ただ一か所、富士が顔を覗かせるのがこの犬目峠である。そのせいで浮世絵師が題材にしている。
このうち広重のものは実際の景観ではなく(こんな景色は犬目にはない)後に尋ねた『猿橋』の構図の類似が指摘されている一種のコラボと言ってよい。
一方北斎のものは浮世絵特有の富士山をデフォルメしてはいるものの、街道の雰囲気を良く伝えている。
中央高速で山梨県に入ると最初に談合坂S・Aがあるが、この談合坂の山側が犬目宿にあたる。この談合坂という地名は別に中央道建設の際に土建屋が談合したからではなく、犬目が歴史上わずかにその名を知られる事件に由来する。
このエリアは元々米作には不適な山間部のため、コメは甲府の商人からの買い付けに頼っていたが、天保の大飢饉の際には買い占めによる米価高騰から大規模な一揆が発生した。その際にリーダー格として指導したのが犬目出身の水越兵助だった。その兵助と志を同じくする現在の大月市エリアの無頼の徒を束ねていた森武七と語らったので談合坂という地名になった。
一揆は当初、貧民救済のため米・金を五カ年賦で借り受けて貸し付けるという綱領を持って良く統率され、現在の笛吹市春日居の穀物商小河奥右衛門宅を打ち壊して帰村した。
ところがその後、甲府盆地ではこの騒ぎに乗じた無宿人・博徒といった連中が大暴れしてメチャクチャになってしまうオチが付いている。兵助自身は騒動後家族とともに木更津に身を隠した後に戻ってきてこの地で義民として敬われている。
さて、多少迷いながら犬目宿に着いた。本来の町並みは昭和期の火事により大半が失われたというが、縫うように曲がりくねった先にそこだけ真直ぐな一本道が通り、両側に民家が整然と並びいかにも宿場町だというたたずまいである。
印象としては、大藩の長い行列がいっぺんに泊まるのには少々狭かったように見える。毛槍をかざしての『したーにー、したに』と整然とやるのは宿場に入ってから出るまでなので、この距離では長い行列には足りないのではないか。
というのも、宿場町では殿様の安全を確保するため、本陣を中心に入りと出の道を捻じ曲げた構造になっており、特に甲州街道は江戸に向う軍勢の防衛上の理由から西から来るところには宝勝寺という防衛拠点を置いているため直線が短い。
参勤交代は宿に大きな現金収入をもたらしたが、そのための役務提供は常備している人馬では足りず、近隣の民衆から助郷役を課したため民衆への負担も大きかった。
また、各大名が宿場で鉢合わせると大混乱になるため、時期やコースを調整して宿泊が重ならないようにしたらしい。
例えば御三家筆頭の尾張徳川家は普通に考えれば東海道を通りそうだが、しばしば中山道経由で甲州街道を使った。尾張藩は大藩であるから犬目宿のキャパをこえてしまう。その際に殿様が泊まった地元の素封家が今でも残っていたが、その理由は庭先から見えた富士山の景色が気に入ったからだ、と伝わっていた。
葵の御紋の高張提灯が掲げられ門番が立ち、武士であろうとも下馬しなければならない格式だと言うが、こんなところに普段武士なんぞ居るはずがない。
ところで以前のブログでも指摘したが、このエリアには桃太郎伝説があり、百蔵山の桃太郎が犬目の『犬』鳥沢の『雉』猿橋の『猿』を連れて岩殿山の『鬼』を退治したことになっていて、それにちなんで宝勝寺は犬の寺を称していた。近隣に犬嶋神社も3つほどあり、犬とは何かの関係がありそうだが分からない。
歴史的には戦国時代においてこの地域は甲斐と相模の国境にあたるためしばしば戦闘が行われた。即ち関東の支配者である小田原北条と甲斐郡内の覇者小山田が干戈を交えている。
主たる戦場は山中湖から御殿場へ抜ける都留郡や相模川沿いの厚木に加え、八王子城と対峙するこの辺りであった。古戦場の跡がある。
街道はそういった戦乱や天災、および利便性の改善のためにルートが変わったようで、今通っている旧甲州街道の更に前、古甲州街道ともいうべき道も残されている。この右上に上がっていく険しい道がそうである。籠や馬なら行けそうだが、馬車ともなるととても上がれない。
明治13年、天皇陛下全国後巡幸で山梨県にお出での際には馬車を仕立て文武百官を従えての大行列である。一つには大名行列以上の華やかさを演出する必要もあったのだろう。
そこで慌ててこしらえたの現在の旧『甲州街道』なのだ。
一行は上野原での宿泊の後、ここを通って犬目宿で小休止。大月の星野家で昼食、初狩の小林家で小休止、笹子峠手前の黒野田宿で宿泊した。
星野家は今でも立派な屋敷が残っていて名産『桃太郎納豆』を売っている。
小林家は筆者の祖母の実家だが、特に口伝は残っていない。当主が幼かったため小休止に於いては御尊顔を拝することはなかったと思われる。
こういった記念碑は『御小休(ごこやすみ)』として各地に残る。何しろ馬車に乗っての全国御巡幸であるから名望家・素封家・本陣などさぞ気合が入ったことだろう。筆者は都下荻窪にいたことがあるが、そこにも存在していた。
街道は古戦場跡を縫いながら、参勤交代の大名行列のために整備され、明治天皇行幸のおかげで広げられ、眼下に鉄道が通り車時代に至って通行をしやすいように国道20号線となって遥か下に移り犬目宿は廃れた。更には大動脈としての中央道が見えている。
尾張の殿様が愛でた富士を写メに捉えようとしたが、梅雨時だったので雲の中に埋もれてしまった。
いずれ、秋口の晴れ渡った時に挑戦しようと思っている。
殿様が見た時は、こんな無粋な鉄塔は無かったんだろうな。
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