Sonar Members Club No.36

Since July 2013

台湾旅情(国家なるもの)

2024 NOV 5 0:00:37 am by 西 牟呂雄

 故宮博物館には何度も行ったが、いつも全部見ることはしない。前回は国宝の青磁のみを見た。
 一日かけても全館周ることなどできないのである。展示の前を通り過ぎりだけならできなくはないが、一つ一つの物語につきあっていてはとてもじゃないが無理である。

 今回目を奪われたのはこの碧玉屏風。高さ180cmくらいのブルーサファイアに透かし彫りを施した屏風である。
 それだけでも気が遠くなる程の逸品だがそれでは済まされない。これはしばらくの間、日本の皇室にあったのだ。
 汪兆銘は様々な苦悩の末に蒋介石とたもとを分かち、南京政府を樹立した後に訪日した。その時にこの屏風を持参して昭和天皇に献上したのである。そして戦後に皇室が中華民国に返還したため、我々はここで見られることとなった。美しい屏風を通じて、汪兆銘・昭和天皇と歴史上の巨星の名前を通じ現代史を透かして見ることができる。勿論、その細やかな細部にも驚嘆すべき技が彫り込まれてもいる。
 それにしても、頂いた物を『返す』とは戦後賠償の一環だったのだろうか。大英博物館だろうがルーブルだろうが、政体が変わったところで貰ったにせよかっぱらった(この方が多いだろう)にせよ返還したなど聞いたことがない。本来、正倉院にでも保管しておくのが筋かとも思うのだが、この『返還』の経緯は気になる。陛下御自身の判断か、あるいは日本国の良心なのか。

 と、こういった具合に故事来歴まで辿っていてはとても1日では無理なのがお分かりいただけただろう。
 お次は清朝後期の「雕象牙透花人物套球」。これは細かい象牙細工がつながっているのだが、キモは真ん中の球だ。よく見てほしい。外側の球の中にマトリョーシカのように球があり、その数21個。そして加工後に張り合わせたのではなく1個の球にまず穴を空けそこからL字型のノミを入れて内側から彫り込み細工した物、従って21個は全て回転する仕組みになっている。最深部の球の時は耳かきの様なノミで長い時間をかけて作ったそうだ。
 こういう物は皇帝が命じて作ったのか名人が腕によりをかけて作って売りつけたのか、およそ常人の求めの及ぶとことではない。

 もう一つ。これは個人的に最も気に入った美しい壺だ。写真は光の関係で色合いが違ってしまったようだが実物はもっと黄色い。
 やはり清代の作品だが、この妖しげな光沢はどうであろう。前に立って見ていると引き込まれるなどといった表現では収まらない。
 ここまでくれば『贅沢』とか『浪費』というような下から目線の感情はケチくさくて湧いても来ない。
 因みに黄色は皇帝の色だそうで、皇帝の外衣である龍袍(ロンパオ)は黄色の生地に龍の文様が刺繍されている。
 現在の価値で言えば何千億円もするような嗜好品を作らせるということは、もう国家の意思の範疇と言える。
 我が国でもバブルなどと浮かれている時にはこれぐらいの凄まじい『贅沢』な『浪費』をしたら大変な文化遺産となったことだろう。
 というのも、故宮の後に話のタネに見に行った蒋介石を顕彰する中正紀念堂(記念堂ではない)に露骨な国家の意思を感じたからだ
 

 1975年に蒋介石が死去した後、5年の歳月をかけて建設された巨大なモニュメントで、面積1万5千平米、高さは70m。蒋介石の享年に合わせた89段の階段を登ったフロアに巨大な蒋介石の銅像が大陸に向って座している。
 当時の台湾はまだ貧しく(大陸はもっとだが)民主化もされていなかった時代に、故宮の文物を愛でた国家そのものとも言えるような皇帝の真似でもしたつもりか。そういえば左右の国家戯劇院と国家音楽庁を合わせて眺めてみると紫禁城を連想させる。ついでに銅像のデカさは北の国の指導者の立像の空虚さも感じさせた。これだけのものを作って国威発揚を表現しなくともよかろうに、などという感想はやはり国家の意思とは無縁の庶民のものなのか。 

 夕暮れが近づくと階段の下にフェンスが置かれて人だかりがして来た。儀仗隊による国旗貢納の時間だ。足を踏み出す時に一瞬動きを止める独特の足取りで左右から進んできた。
 儀仗隊の交代というものをアメリカ・ロシア・バチカン・インドで見たことがあるが、それぞれに威厳のあるものであり、この台湾のそれも見劣りはしない。
 一概には言えないが、国家のなりわいは悪にもなりうるが故にしばしば軋轢をおこすのであるが、紡ぎ出した文化は後世に残る。故宮の文物は遥か後にまで人々に愛されるだろうが、巨大銅像は滑稽にすら見える。いや、建造当時のこの国の状況を鑑みれば、むしろいじらしいと思えるのだ。

「ソナー・メンバーズ・クラブのHPは ソナー・メンバーズ・クラブ
をクリックして下さい。」

台湾旅情(センチメンタル・ジャーニー)

2024 NOV 2 11:11:41 am by 西 牟呂雄

 また台湾・松山空港に降り立った。風が熱い。
 随分と苦労をかけた懐かしい友、しばらく会っていない親戚のおじさん、そんな人に会うような気持で大好きな台湾にやってきた。仕事といえば仕事なんだが、マッそこはヤボ用ってやつで。
 ところですっかり死語となった感のある故安倍総理が提唱した『自由と繁栄のカーヴ』をご記憶か。僕はその頃、毎月のように台湾・フィリピン・マレーシア・インドネシアを飛び回り、その後中国に工場を稼働させてベトナムにも足を延ばしていた。その間にまず米軍がフィリピンの基地を閉鎖し、大陸は台湾沖に大陸からミサイルを打った(もっともそのミサイルは空砲だったのだが)。
 その経験から『自由と繁栄のカーヴ』は日本の産業の海外展開の最前線だという実感があった。まぁその分国内は失われた時間が経過したのだが。
 だが、その後国際関係は比べ物にならないほど変わってしまった。大陸は露骨に食指を伸ばし、ロシアは戦争を始めて日本との関係が悪化し、南北の半島は敵対した。半島は政権が変われば反日をやるだろうからほっといていいが、台湾有事はほってはおけない。すなわち安全保障上の概念においても『自由と繁栄のカーヴ』が可視化された。日本ー台湾ーフィリピンーマレーシアーインドネシアのラインである。
 岸田総理は最後にいい仕事をして,護衛艦に台湾海峡を通過させた。台湾有事に日本は黙っているわけじゃないことを示し(いや、戦争するわけじゃないですよ)、元々親日の台湾をグッと引き寄せたのだ。僕が足しげく通っていた頃の台湾の印象は、一言で言えば『いじらしい』に尽きる。李登輝という巧みな指導者の元、毅然と大陸に対峙しつつ民主化のプロセスを進めていた。

 先日、中国海軍がぐるりと台湾を囲むような海域で演習をしたばかりだが、街の雰囲気は落ち着いていた。と言うよりはむしろ活気を感じた。下世話な話で恐縮だが、若い女性がキレイだ。以前に比べてファッションが垢抜けたのか、お化粧が上手になったのか。みんな足が長く見えるようなプロポーションを強調するいで立ちで、暑いせいもあるだろうが露出度も大きい。実に健康的で溌溂とした印象。
 ヤボ用(お客さん並びに提携先)の相手も、20年前は『日本の技術を教えてもらう』『日本から買った方が安心する』という感じが前面に出ていたが、今は『もう同じことぐらいはできる』『日本だけに頼らなくとも自分たちでできる』と(露骨に口に出しては言わないが)変わって来た印象だ。
 事実、TSMCはファウンドリーという独自の事業モデルを進化させ日本に逆上陸した。TSMCは半導体上工程だが、下工程の組み立てラインもコスト競争力では世界一である。
 街はきれいになって、昔見かけたスラムなどどこにもスラムて常宿にしていたリージェント・ホテルの前にあったスラム場所を整理していた時、忽然と鳥居が出現してびっくりした。台湾総督としてこの地で亡くなった明石元二郎陸軍大将台湾総督の墓だと知った。
 単なる印象でしかないものの、勢いが伝わってくる実感があり、一人当たりGDPは日本より上かもしれない。

神様?仏様?

 今回は今までほとんどしたことのない観光もやってみた。
 まずはレトロ・タイペイの商店街。観光スポットらしく人でごった返している。いきなりこのエリアの守り神的な神様だか仏様があったのでお参り。
 おそらくツアー・コースに入っているのだろう。団体の日本人が大勢いて、ほとんどの店で日本語が通じた。自分のためにカラスミを買う。
 他にも食材は沢山あって、ニンニクやら果物が山のように並んでいる。驚いたのは『北海道産』とわざわざ表示してある昆布、これは台湾の人が買うのだろう。

 熱帯魚のような魚を売っていたが、あれは不味いのじゃないかな。
 また、土産物屋ではキンキラの光物とか訳の分からない雑貨を並べていて、一体誰が買うのかと思っていたら日本人観光ツアーで来た若い女性がカエルのおもちゃを買った。あんなもん旅の思い出になるのだろうか。

 現地エージェントに頼んで台北近郊のシーフェン(十分)に電車で行く。
 台北の混雑を抜けると、途端にのどかな田舎になる。元々平地は少ないので、都心からいきなり山梨か千葉の外房あたりに移動する感じだ。
 途中の乗り換え駅では驚くべき標識を見た。

 禁止事項が列挙されているが、右の一番上は何だ。
 わざわざ禁止しているという事はする奴がいるのか。
 まさか日本人じゃないだろうな。
 それとも観光客ではなく、地元では普通のことなのか、理解に苦しむ。

 さて、単線の電車をおりるとシーフェンの街である。やはり山岳地帯なので線路沿いにへばりついた様な商店街があり、そこでランタン(天燈)を飛ばして遊んだ。お土産屋さんからランタンを購入し、その4面に墨で願い事を書く。

飛んだ!

 そうして持ち上げていると店の人が下にぶら下げた燃料(良く分からなかったけど)に着火して、フワリと舞い上がる代物だ。
 僕は一人なので他の日本人のお客さんに混ぜてもらった。皆さん諺とかこの地で見つけた標語のような漢文を書いたりしている。隣の人は『仲良きことは良き哉』などと格調高かったが、自分の番が来たら反射的に『金』と書いてしまった。ウッ・・・・情けない。
 そして単線の線路に持って行って(道が狭くて飛ばせない)火を付けてもらうと。ランタンは少し上がったところで横風に流されて遠くの谷間の方に漂って行き見えなくなった。夜だったらさぞきれいだろう。やれやれ、やっぱりカネには縁が無いのか。
 別のランタンは強風に煽られて民家の二階で燃えていたが、このあたりの人は慣れているのか騒ぎにはならなかった。

(この項続く)

「ソナー・メンバーズ・クラブのHPは ソナー・メンバーズ・クラブ
をクリックして下さい。」

狂言 『樋の酒』

2024 OCT 26 9:09:28 am by 西 牟呂雄

  『樋の酒』とかいて『ひのさけ』と読む。
 留守を預かる太郎冠者(万作さん)と次郎冠者(萬斎さん)がこっそり酒をのんでしまうお話です。狂言は大衆芸能だから、酔っぱらってバカをやる物がたくさんあって身につまされるますね。棒縛(ぼうしばり)とか脱殻(ぬけから)ですね。
 さて、すっかり酔っぱらって謡うは舞うはでしまいには『ハッハッハッハ』と笑い転げているところに主人が帰ってきます。もちろん怒り狂って叱りつけるも『お許されませお許されませ』と逃げ回り、舞台からきえていきます。
 御年93才の万作さん、立ち上がるところ、舞うところはいまだに矍鑠とされていて見事なもの。さすがに日頃の修練の賜物でありましょう。しかしながらどうにも鍛えようもないものがあって、私が言うのもなんですがそれは『声』、すなわち喉なんですなぁ。萬斎さんがまことに通る発声なので尚更目立つ。

子猿の着ぐるみ

 ところで狂言の鳴きについて今回も面白い話がありました。
 『靭猿』では子役が着ぐるみで猿を演じますよ。猿は『キャー・キャー』と鳴くそうです、成程ね。 

 カラスとスズメが並んで留まっているのをいるのを見た主が太郎冠者に言いました。
『あの2羽の鳥は親子であろう』
 すると太郎冠者は、
『違いまする。片方はカラスと申し、片方はスズメと申します』
『そんなはずはない。あのさえずりを聞いてみよ』
「コーカー・コーカー」「チチッ・チチ」
『それ、親が「子か・子か」と尋ねれば「父・父」と応じておるではないか』

狐もあります

 他に、犬は『ビョウ・ビョウ』
 猫は『ネウ・ネウ』
 そこで僕も狂言語を作ってみた。
 
 ライオン『げーう』
 ゴジラ『えあーん』
 ウルトラマン『どわっけ』

「ソナー・メンバーズ・クラブのHPは ソナー・メンバーズ・クラブ
をクリックして下さい。」

 
 
 
 

ハーバーの秋祭り

2024 OCT 18 1:01:20 am by 西 牟呂雄

 

小雨のハーバー

雨模様、時に酷い降りになった。
 あんまり夏が熱いので秋にやることになったカーニバル。フラ・ダンスや出店を出して、近所の子供達も招待する。児童養護施設にいるワケアリの子だ。敗戦の混乱期に引揚孤児の受け入れを始めた施設なのだが、時代が変わってDVやら虐待やらの問題がある家庭の子が多い。引率の先生達は優しそうな若い先生だった。
 本当は船に乗せて体験乗船のはずがこの雨でダメになってしまった。
 小雨は時々強くなり雷も鳴る。おかげで最初のバンド演奏は散々だった。

 僕は子供用のスーパーボール・金魚掬いの屋台で子供達に一回百円でポイ(掬うやつ)を配った。小学校の低学年から5年生までのようで、ある程度躾けられている様子。年上がチビの面倒を見ていた。子供たちはあらかじめ100円券を5枚程持たせてもらっていて、ほかに焼きそばとかお菓子の屋台で買っては食べたりしている。中には全部僕のところで『もっとやる』と使ってしまう子もいた。

金魚とボール

 オッサン達はもっぱら生ビールやカクテルをガブ飲みしてデキ上がる。
 中には調子に乗って和をみだし、こっぴどく先生に叱られている子もいる。ここが僕の甘い所だろうが、あんなに怒っちゃかわいそうじゃないか、などと思うのだが先生にもプロとしての矜持があるのだろうな。僕は子供の頃は落ち着きが無く、集団生活にはなかなか馴染めなくて苦労したからこの子の気持ちはわかるような気がして見ていられなかった。この子はどうなっていくのだろう。
 僕の屋台はもうけも何もないから用意したものが無くなるまで売り尽くし。終いにはオマケに次ぐオマケをはずんで子供もハッピー僕もハッピー。
 僕が子供相手にやっているところが撮られた写真が後日回って来たが、ヨレた格好とサングラスがあまりにハマって本物のテキヤにしか見えなかったので封印した。

 暫くしてようやく小降りになった頃、ハワイアン・バンドが音を出してフラ・ダンスが始まった。
 オネーさん達の優雅な動きに見とれていたが、皆さんユラユラと踊る時は中腰ではないが少し膝を折っている。これは日本舞踊でも『腰が座る』と言って動くときに頭や肩が上下しない所作と同じだ。言ってみれば誠に色っぽい動作となる。そして表情はニッコリ笑っている。後で振り付けを教えてもらって一緒に踊ってみたが、ずっとニコニコするのはなかなか大変で疲れた。
 スッカリ酔い痺れて寝てしまった。

 翌日、エンジン音がしてやけに揺れる。時計を見たら10時を回っている、出港したんだ!ヤバッ。
 ノコノコとキャビンから這い出してみれば、昨日演奏していたバンドの方とフラのオネーさんが一斉にこっちを見た。オーハズカシ。
『ほら、セールを上げるよ』
 と声をかけてきたスキッパーの視線が痛い。
 昨日とはうって変わって晴天だ。昨日の子達、乗せてやりたかったな。

「ソナー・メンバーズ・クラブのHPは ソナー・メンバーズ・クラブ
をクリックして下さい。」

C・Sで決戦だ がんばれファイターズ!

2024 OCT 11 17:17:18 pm by 西 牟呂雄

 待ちに待った。何年も待った。この数年、地を這うように耐えてきた。我が日本ハムファイターズがついにC・Sに登場する。ここまで来たら何が何でも宿敵ホークスに一太刀浴びせて長年の鬱憤をはらしたいところだ。
 あしたからファースト・ステージでロッテに2勝を上げなければならぬ。まあ3試合目までやるとしたら、ここでは伊藤と山崎は使えない。この二人、意外と取りこぼしが多いのでもっとプレッシャーのかかるホークス戦までは出さない。上原・金村・北山にサブマリン鈴木を組み合わせて使えばよい。セット・アッパー杉浦は絶対に使ってはいかん。こいつはセカンド・ステージで一試合くらいはどうにもならない負け試合があるはずだからその時の処理要員にする。
 ロッテは佐々木が来るだろう。本調子で三振の山ができてしまったらその時はその時。バントで揺さぶってタイミングを外し食らいつく。ノー・ノーだけは勘弁してくれ。
 そして先手必勝。というのもファイターズはロッテの中継ぎ・ストッパーからはあまり得点していないのだ。佐々木は別にしても、とにかく先に得点しないとヒジョーにまずい。スクイズ上等!
 問題は清宮をどうするか。確かに今年の後半になって目覚ましい活躍を見せた。だが(影の)オーナーである私の目はごまかせない。あの守備は何だ。バカ・ボスはミョーにこいつがお気に入りらしく、ファースト・サード・外野の守備までやらせているが、ファインプレーなんぞ見たことがない。おまけに走塁ミスまでやらかして、ゲーム・センスの無さは天下一品だ。いっそ外野にレイエスを使って指名打者の方がまだいい。或いはC・Sの間はスタメンでは使わず、見せ場の代打起用でもいい。こいつが活躍するのは流れに乗っている時で、ここ一番のチャンスにはからきしダメだ。こいつがいるとチームが暗くなる。

 それで順調に二つ勝ったとして、いよいよ宿命の対決が待っている。
 セカンド・ステージは6試合でホークスにはアドバンテージがある。柳田も近藤も出て来る。おまけに全試合博多のアウェイだ。互角に戦うには相当の秘策を練らなければ。とにかく1試合目と3試合目は何が何でも、一人一殺でも勝ちに行かなければならない。ここで伊藤と山崎を持って行く。
 しかし、このエースの二人は時々突然ポカをして連打を浴びることがあるので、これが秘策だが初めから加藤を準備しておいて躊躇なく投入するのだ。加えて9回を田中一人に任せないで柳川・宮西と3人が一人一殺で臨む。この2試合に限ってリードができたタイミングには清宮を使えばいい。
 柳田・近藤に打たれるのは仕方ない。ターゲットは山川なのだ。このデブを封じ込めるには多少汚い手も使わざるを得ない。山川は5番に入るだろうから歩かせてしまえ。そして散々走らせて潰す。あるいは・・・オット筆が滑るといかん。
 もっと困るのは周東だ。攻略は絶対の企業秘密だ。と言ってもあれ程の選手(実はファンなのでやりにくい)だから一筋縄ではいかない。まっ見ていて欲しい。
 ここまでやれば5戦まで行ける。そしてC・Sの間、頼むから打順をコロコロ変えないでくれ。あれでは選手が自分で考えなくなってしまう。あれこそがバカ・ボスの『何も考えていない』証拠だ。敵はあの和田をワン・ポイントで使う余裕があるチームだ。。
 ん?日本シリーズ?そんなもんどうだっていい。ホークスと第5戦まで戦えれば本望よ。

「ソナー・メンバーズ・クラブのHPは ソナー・メンバーズ・クラブ
をクリックして下さい。」

 
 

如来(にょらい)考

2024 OCT 6 21:21:15 pm by 西 牟呂雄

 ウチは浄土真宗で、菩提寺は現在の場所に来たのは遥か後だが鎌倉時代の創建と伝わる。住職は代々『大江』さんと言って鎌倉幕府高官の大江広元の末裔である。
 本堂に鎮座するは阿弥陀如来像で、仏事のお経を聞いている時などにしげしげと見上げているが、なかなかありがたい。阿弥陀様は西方浄土の一尊、如来はサンスクリットのタターガタの漢訳で、この上もなく尊いという意味の呼称である。
 この『如来』という文字をジッと見つめていて心に浮かんだことがある。漢訳は当て字なんだろうが、読み下してみると『来るが如し』。
 形而上の教えはあくまで概念だから現実には起こりえない。だから信用できない、となってしまえば宗教は成り立たない。理論構造を実証できないがゆえに先に進めない、となると現代人の大半はとてもじゃないけど受け入れられなくなる。
 そうはいっても形而上としての心の支えが全くなければ人間には耐えられないことが多すぎる。例えば誰にも必ず訪れる死。いかなる合理的な知性でも簡単に腹落ちする解なぞない。宗教を否定した共産党独裁国家でも宗教が根絶やしになることはなかった。

 しかし生き延びるためには各宗派は凄まじいエネルギーを内部の改革に費やしている。 
 キリスト教は信仰を維持するために、まるで生物が細胞分裂やウィルスから回復するように宗派同士で血を流しあい洗練されてきたかに見える。
 イスラムでは今日ですらシーア派VSスンニ派、他宗教への攻撃と激しい対立はなくならない。ISの戦闘は記憶に新しい。
 ところが日本では多くの仏教宗派を生み出したが、宗門同士での相手の潰し合いのような対立は少なく、明らかに宗教戦争めいたものは物部VS蘇我の丁未の乱と島原の乱くらいだろうか。日本仏教の武装闘争である一向一揆や石山合戦はむしろ権力者と対峙したもので、それはそれで歴史上の自立作用かとも思われるが宗派対立ではない。つまり貴族の仏教(天台・真言・南都仏教)が武士の仏教(禅宗)になり庶民の仏教(浄土・浄土真宗)になるほど仏教が浸透し、その庶民が権力に対峙するほど豊かになった社会的構造変化だろう。しかも最後まで戦った相手は無神論者の信長であった。
 仏教が日本的に変化したところで、宗教戦争に至らなかったのは論争の際にご本尊を『如来 来る如し』としたために、まあそういうことにしておかないと先に進まない、ゴトクということで話を続けると、とやったためではなかろうか。仮説というか思い付きだが。
 当て字の『如来』に意味を込めたかどうか知らないが、そういうことにしてしまったとしたら日本人はうまいことやった。ナンチャッテ、博識の方、ご教示願えますか。ぜんぜん関係ないが『極道』も本来『道を極める』という意味だが今日の口語では全く違った使われ方だ。
 私の主催する『滋養教』もこれから『滋養如来』としようか。アッ、でも神道系だったよな。

 まじめなお坊様、思い付きですので怒らないでください。

「ソナー・メンバーズ・クラブのHPは ソナー・メンバーズ・クラブ
をクリックして下さい。」

見えてきたディープ・ステートの正体

2024 SEP 28 17:17:48 pm by 西 牟呂雄

 これはある国における分断の真相に迫るレポートである。
 その国は豊かで民主的で常に世界の最先端を行く技術をも持つ。更に他の追随を許さない強大な軍事力も持っている。しかしながら大変若い多民族国家だ。生み出される多様な文化はそのまま世界に伝播して大きな影響を与え続けている。
 一方でこの国はいかにも拙速かつ独善的であり、しばしば洗練されていないむき出しの力の外交で世界を混乱に招く。重層的な異文化を理解しようともせずに、自分たちのデモクラシーを押し付けたがる単純さがある。
 そのくせ自国内にも複雑な分断と乖離を内包していて、人種・格差・宗教と対立のネタは枚挙に暇がない。そしてしばしば銃撃事件だのテロだの犯罪に見舞われている。この国はその成り立ちから矛盾の塊なのだ。
 切り口を政治的に分析すると、陰謀論的なダーク・サイドと一見単純なカウ・ボーイが常に緊張関係を孕んでいる。
 折しも太政大臣の選挙がある。
 軍産複合体と巨大官僚機構に押された針巣氏は、脳梅毒の症状が顕著になった梅田太政大臣の後任として名乗りを上げた。実は対抗馬の都乱府氏の陣営が銃撃事件をゴルゴ13に依頼し、見事に耳だけをかすめるという抜群の演出が大当たりしたせいで梅田では到底勝てないため、焦った軍産複合体を中心とした勢力が候補者を代えたのだった。勿論フェイク銃撃の犯人にはダミーを仕立てて殺させた。 
 この作戦は見事に当たり、針巣の支持は都乱府に肉薄してきた。そして両者が直接対峙する形での公開プロレスでは、もちろん引き分けのシナリオではあるものの、針巣の必殺技アイアン・コブラ・ヘッド(どんな技か不明)を数発喰らって都乱府の受け身の下手さが露呈してしまった。
 焦った都乱府側は、夢よもう一度とばかりに暗殺未遂を仕掛けたが、ゴルゴ13は今回のギャラに20億ドルを要望したので契約は成立せず、素人を使い未遂にもならないで失敗した。
 ついでながら、同盟国である大和国の企業である一本製鉄がこの国の優越製鉄を買収しようとしている。双方ウィンーウィンの買収内容だが、組合員の票欲しさに両候補とも反対のフリをして見せた。どうせ後で理屈をつけて賛成するのはミエミエで、最近のその国の政治判断の幼稚さを物語っている。
 この国のディープ・ステートは明らかにリベラル・グローバリストの仮面を被って身を潜めているつもりだが、他方で力の行使にはあまり躊躇しない。従ってネオコンとの親和性も高い。ネオコンはネオコンで党派には関係なく使いやすい太政大臣ならば分け隔てなくスリ寄る。例えばこの国の利害のための大義名分が立てば戦争に至る緊張感を煽ることでディープ・ステートのご機嫌を取るのはやぶさかでない。
 これに対抗するために都乱府陣営ではことさらに移民問題・貿易不均衡を言い立てる。特に中花国との貿易戦争を厭わない。結果は妥協するにせよ、当面は強硬極まりない姿勢で臨むだろう。それにしても最近の発言は度を越してきた。
 更にディープ・ステート狩りのプログラムを用意して、上院の承認を必要としない政治任用の高官(約4千人)をデータベースに登録して指名する構えである。

 さて、お互い先が短くなった大和国の現木志田総理は梅田太政大臣と最期の傷の嘗めあいなのか、サミットごっこに興じていた。
『お互いいいこともやったんだが最後は足をすくわれたな』
『全くだ。そっちは針巣といういい後継者がいたからよかったけど、オレの周りは裏切り者だらけだ』
『だけど勝てるかどうかははっきりしていない。いい勝負ではあるが』
『万が一都乱府が勝ったら相手をしなきゃならなかったからオレもトンズラして正解だった』
『あの公開プロレスではアイアン・コブラ・ヘッドが決まったからな。あせった奴はますます出鱈目を言い散らして自滅するかもしれん。この前も「移民の好物は犬ソーセージと猫のニャーニャー焼きだぞ」とやったからな』
『こっちも大変だよ。モゴモゴ喋りのヒキガエルが後任だぜ』
『どっちにしろやっかいな不沈や醜金平と渡り合わなくてよくなるからホッとはしたが』
『世界はどうなるんだ。ドンパチが終わる気配もない』
『知ったこっちゃない。勝手にしろ、だ。この国だってあんなメチャクチャなバカに投票する国民なんかどうでもいい』
『おいおい、まさか大和国もどうでもいい、なんて人前で口走しらないでくれよ』
『ん?オレ何か言ったか』
『・・・・』

 太政大臣投票まであとひと月。

「ソナー・メンバーズ・クラブのHPは ソナー・メンバーズ・クラブ
をクリックして下さい。」

贋作 ジェット・ストリーム 自由編

2024 SEP 23 15:15:06 pm by 西 牟呂雄

ーミスター・ロンリーのインストロメンタルが流れるー

またお目にかかれましたね
パーサーのジェット・ニシ・ムロオです
ご家族とですか
恋人との旅ですか
それとも出張でしょうか
もしかしたら自由を求めての一人旅でしょうか

自由になりたいと思うなら
ひたすら孤独に耐えなさい
自由になることは
群れをなすことではないのです
見てごらん
自由に耐えられなくなって
あんなに大勢が逃げてきた
人恋しくなったのか
寂しくなったのか
あれほど欲しがっていた
自由から
みんな逃げてきた


それでもこの暮らしはいやだ
私には私の望みがあると言うのかい
おぉ!そのような迷いで
得られる自由など
何の普遍性があるというのか
お若いの
あなたが欲しているのは
単なる承認欲求にすぎないよ
地の塩になりなさい
地の塩になりなさい
いつの日か
いつの日か
自由を感じられるはずだよ


ですが、そんなに遠くない過去
いわれのない理由で自由を奪われていた
悲しい思いをしていた人がいました
なぜ、こんな目に合わなければいけないのか
どうして人間らしく暮らせないのか
世界で最も繫栄した
世界で最も強い国で

マーチン・ルーサ・・キングの肉声を聞け

ーインストゥルメンタルのミスター・ロンリーが流れるー

いかがでしたか
これからの旅が
みなさまにとって
心豊かなものでありますよう
また、空の旅でお待ちしています
パーサーはジェット・ニシ・ムロオでした

「ソナー・メンバーズ・クラブのHPは ソナー・メンバーズ・クラブ
をクリックして下さい。」

昭和99年9月9日

2024 SEP 16 15:15:35 pm by 西 牟呂雄

 恐ろしや恐ろしや。9月1日はかの関東大震災の激甚大災害の日として永遠に記憶される日であるが、私はその前日に喜寿庵に向かった。
 中央道に乗った途端、『カッ』と音がする。何か当たったのかと思ったらフロントガラスの右端に小さなヒビが入っていた。なんだよ、小石でも跳ね上げたのか。まぁ、いいや、とそのまま車を飛ばしたところ、その小さなヒビは見る見るうちに音もなく進んでいくではないか。着くころにはフロントの半分くらいに達していた。
 そのヒビの進行は、どうも車にあるたわみが発生したとき、スッといった感じで数センチくらい進む。このままでは端から一直線に亀裂が生じそうになって慌てた。
 何とかスピードを落としながらたどり着いて事なきを得たが(問題は全く解決していないものの)いやな気持で寝入った。
 翌、9月1日は防災の日である。しかし二日酔いにより昼前まで熟睡していた私は、何かが落下したような大きな音で目が覚めた。屋根でも落ちたのかと周りを見ても何もない。おかしいな、と思いつつボケた頭でテレビをつけると、ローカル・ニュースでちょうど速報が流れた、富士五湖地方で震度4の地震!地震も近いとあんな音がするものなのか。
 関東大震災の震央がどこか、というのはいくつかの説があって、その一つに富士河口湖という説がある。あそこが震源で巨大地震が発生したら、崖の上のここはイチコロ。ましてやそれが富士山の噴火でも引き起こした日には噴火口の向きによってはこの辺全滅だ。宝永の噴火の時は東を向いていたので助かった。
 話は戻って、9月1日は台風通過後の土砂降りだった。桂川は茶色く濁った濁流となり、川幅一杯まで水量が増えた。ここは10m以上ある崖の上だから水害の心配はないものの、ニュースではしきりに土砂崩れを伝えている。多少気になって捨てようとした割りばしを崖っぷちに差し込んでみた。すると気味の悪いことにスーッと刺さってしまうではないか。要するにスカスカな土壌の上にいることになり、地震の衝撃とそれに伴う土砂崩れの二重のリスクにさらされ続けているわけだ。

 ほうほうの体で帰京し(無論ガラスのヒビに注意を払いつつ)どんなものかとディーラーに寄った。因みにここで買った3台を廃車にしてしまい、どうも私のことを秘かに『廃車王』と呼んでカモにしていることを知っている。ナメられてたまるか、と気迫を以て乗り付けた。
『この傷、まだ持つかなぁ』
と白々しく聞くと、待ってましたとばかりにまくしたてられた。
『冗談じゃないですよ。ほっといたら全面ヒビだらけになって真っ白になりますよ。今のガラスは簡単に砕けちゃくれませんからね、運転どころじゃない。しかもこのシトロエン、もう型落ちしてフロントの在庫が国内にあるかどうか・・・。アッ、それどころか車検もう切れますよ。気が付いてよかった。前が見えなくなって事故っておまけに車検切れだったら下手すると交通刑務所行きですね』
 勝負は一瞬にして決まり、車はそのまま引き取られ、又も法外な金を取られることに。

 艱難辛苦はまだ続く。さる事情により仏壇を修理に出すことになった。実は喜寿庵にある古い仏壇を処分して、もっと小ぶりな可愛いものに変えようと考え業者を呼んだのだった。今から考えるとこれが間違いの元と言えなくもない。
 この仏壇は私から3代前の曾爺様が拵えたもので喜寿庵よりも古いから始末に悪い。現れた仏壇屋は抑揚たっぷりにこう言った。
『何ですかこれは。いや驚いた、こんなもん今じゃ作れませんよ。第一職人がもういない。捨てる?冗談じゃありませんよご主人』
『引き取ってもらえませんか』
『お勧めできませんね。これはだれがお作りになったのですか』
『私の3代前ですが』
『ご主人はおいくつなんですか』
『もう古希ですよ』
『では明治時代の造りですね。うん、京都に関係ありますか。これは関東ではできません』
『ありますね』
 しばらくこの調子が続いた。結局仏壇屋さんの熱意に負けて修理に出すことに。
 ご案内の通り、仏壇というのはものすごく重く作ってある。そして、これは知らなかったのだが組み立て式になっていて、全部解体できるのだ。そこで一緒になって解体してヨッコロショッとばかりに取り合えず庭まで運んだ。すると裏側に墨痕鮮やかに『明治廿壱年 〇〇〇〇〇出展』などと書いてある。ここでまた仏壇屋のオベンチャラが始まった。
『ははあ、この年の出展というと江戸期の職人さんが油の乗り切った時代に造ってますから云々』
 もうわかったよ。
 更なる衝撃はその下の台の部分にあった。一番下の台をずらしたところ巨大なネズミのミイラがペシャンコになって姿を現したのだ。一同『アッ!』と声を上げ、今にも動きそうなそのミイラに腰が抜けた。その証拠にそれまで部品を写メで撮っていた業者も私も写すのを忘れた。
 落ち着いてから、なぜこのデカさのネズミでここに死んでいるのか皆で話した。最も恐ろしい仮説は、体の小さかった頃に忍び込んで、クモとかゴキブリを食べて体が大きくなって出られなくなり、それを支えるだけのエサにありつけずに餓死した、というものだった。そうだとすればこのネズミ存命中にこいつに向かって手を合わせてお線香をあげていたことになる。無論不愉快千万だが、ネズミは成仏したことだろう。

 この日は9月9日の月曜日だった。ん?待てよ。今年は昭和換算では99年では。9999の並びとは、あのネズ公はダミアンか。
 その後、仏壇修理代と車の見積もりに苦しめられている。更にこれから・・・・。

「ソナー・メンバーズ・クラブのHPは ソナー・メンバーズ・クラブ
をクリックして下さい。」

皇軍未ダ屈セズ

2024 SEP 8 15:15:23 pm by 西 牟呂雄

 玉音放送は、竹中中佐の妨害を払いのけて流された。
衷情モ朕善ク之ヲ知ル。然レトモ朕ハ時運ノ趨(オモム)ク所、堪ヘ難キヲ堪ヘ、忍ヒ難キヲ忍ヒ、以テ万世ノ為ニ太平ヲ開カムト欲ス
 衝撃は甚だしかった。ソ連の南下備える千島の部隊、素通りされたシンガポール・ラバウル、潔しとせずに抵抗を続ける南洋諸島の部隊、個別戦闘ではほぼ負けていない大陸の部隊等、簡単に武装解除できるはずもない。
 現に北方占守島では8月18日にソ連軍が攻撃を開始、果敢にこれを撃退した。フィリピンのルバング島では中野学校の教育を受けた小野田少尉はその後30年に渡ってゲリラ活動を続けた。
 本土においても混乱は生じる。厚木にあった第三〇二海軍航空隊は小園安名大佐の元、一致団結して継戦完遂の意思を固めていた。中央の武装解除命令を無視し、しきりに周囲にビラを撒く。

 一方、一度はフィリピンから追い払われたマッカーサーは、さすがにいきなり日本に上陸することは避け、連合国最高司令官が作成する降伏文書を受理することに関し、十分な権限を有する使者を連合国最高司令官の許へ派遣することを命じて来た。
 『十分な権限』とはすなわち天皇の勅使である。この場合、国体を護持できるか否か、それ次第では決裂し再び戦闘が始まるかも知れない。誰もが引き受けたくない役目として腰が引ける中、恥辱を受けたらその場で切腹する覚悟をもって事に臨んだのは、陸軍参謀本部次長河辺虎四郎、随員として、外務省から岡崎勝男(調査局長)外1名、陸軍から天野正一少将(参謀本部作戦課長)外6名、海軍から横山一郎少将(軍令部出仕)外6名だった。輸送指揮官は寺井義守海軍中佐が指名された。
 この人数を運べる大型機のほとんどを失っていたため、一行を1番機一式大型陸上輸送機と2番機一式陸上攻撃機の緑十字機で沖縄の伊江島まで送り迎えすることとなった。
 緑十字機とは、事実上空を飛べなくなった日本で米軍が飛行を許可した航空機で、その機体は白く塗られて緑の十字をペイントされた。調子に乗ったマッカーサーは『平和の白い鳩』と呼んだ。

 一番機機長の須藤大尉と駒井上飛曹は指揮官寺井中佐に呼び出された。海軍省の一室に通され、待っていると寺井少佐は一人のスーツ姿の紳士を伴って入って来た。思わず立ち上がり敬礼をすると寺井はそれを制した。
『本日は事情により挙手の礼は必要ない。掛けたまえ』
『ハッ』
『これからの話は一切他言しないでくれ。書面による命令も残せない』
 こう告げると一層声を潜めて何事かを告げた。
 羽田から飛ぶと厚木の反乱部隊のゼロ戦に撃墜されるかもしれないので、木更津から要人を乗せて離陸すること。事実、米軍機に対する攻撃は散見されていた。旧式の機体のため沖縄の伊江島経由まで飛び、そこからは米軍機で一行はマニラに向かうこと。そして・・・・、整備兵を二人指名された。
 勅使団は木更津に集合する。
 寺井中佐が、今回同行する整備兵だ、と西兵曹長と室田兵曹長の二人を一行に紹介した。二人とも精悍な印象ではあるが実に暗い眼つきをしていて、ほとんど喋らない。
 須藤大尉は気になったことを寺井中佐に尋ねた。
『中佐。ところで海軍省にいたあの商人服の紳士は何者なんですか』
『聞かない方がいい』
『本作戦は生きて帰れるかどうかわかりません。勅使は恥辱を受けた場合の自決用の拳銃を用意しました。我々もその際には帰れないでしょう。どういう者が関係したかは知っておきたいのです』
『む、一切他言無用。某宮様とだけ言っておこう』
『ハッ』

 それだけ聞くと出発していった。
 厚木の反乱部隊はいまだに健在。その目をかすめるように太平洋上に出てひたすら西に飛んだ。
 命がけの決死行は、その後次々と困難に見舞われる。
 まず、伊江島に着陸の際に1番機のフラップが下りず、危うく滑走路から飛び出してしまうところだった。その先は崖である。結局そのまま正義のため伊江島の留まらざるを得なくなった。
 勅使はマニラニ行ってしまった。周りは米兵ばかりである。
 ところが、4年にわたった激しい戦闘が終わった解放感からかやたらと明るく、昨日までの敵兵である一行に親切なのだ。それは勝者の余裕かもしれないが、明日死ぬかもしれないという恐怖感が亡くなった方が大きいのであろう。扱いも丁寧だったため、寺井中佐以下の面々も多少は打ち解け始めた。
 しかし例の整備兵二人は米兵どころか日本人一行とも世間話一つしないのだ。
 そうこうしているうちに勅使団はマニラから帰ってきてしまう。自決するほどの恥辱こそ受けなかったものの、日本側の要望である国体の護持については言質は与えられず、一方的にマッカーサーの進駐計画を告げられ降伏要求文書を受領したのみ、会談自体は1時間にも満たなかったのだった。
 そしていよいよ帰国の途に就こうとすると、またもトラブル見舞われる。今度は2番機が滑走路へ動き出したところ突如ブレーキの油圧がゼロとなり、制御不能に陥ってそのまま滑走路脇に止まっていたトラクターにぶつかった。結局勅使たちは文書を携えて1番整備の終えた1番機単独で日本に向かうことになってしまった。
 機が遠州灘の南方を飛行している時点でメインタンクが空になるので予備の増設タンクに切り替えた途端、エンジンは空転しだした。操縦桿を握る須藤大尉の悲痛な声が響いた。
『何だこれは、燃料がないぞ!』
『そんなバカな』
 副操縦士だった駒井上飛曹も目を疑った。これは・・・。
 河辺中将は一瞬にして事態を飲み込んだようだった。この降伏文書がもし届かなければ。停戦はなし崩しになり再び戦闘が始まるかもしれない。何がなんでも届けなければならない。
 須藤大尉には誰が発したかはわからないが切羽詰まった声が聞こえた。
『海岸線に沿って不時着しろ!』
 無論言われなくてもそれが唯一生き残る道だ。須藤大尉と駒井上飛曹は目配せして機体を北に向け、同時に降下し始めた。
 未明、うっすらと遠州灘の海岸線が見えてくる。岩礁のない砂浜の近く、それもあまり海岸に近ければ胴体着陸になり危険が増す、という難しい局面になった。
 全員待機姿勢をとりつつ、機体は水煙を上げながら絶妙な角度で着水した。海は荒れておらず、海岸から20mほどの沖にしばし漂った。
 勅使一行は強い衝撃にもかかわらず全員脱出し、何とか浜に泳ぎ着いた。とにもかくにも降伏文書を持って帰京しなければと必死の脱出だった。

 結局文書は多くの関係者の協力と強い意志で届けられ、マッカーサーは無事に進駐を果たし、ミズーリ艦上での降伏文書に署名ができた。
 だが、この緑十字飛行には多くの謎が残った。度重なるトラブル、極め付けが燃料切れ、あまりにも不審な点がある。整備兵を同行させてまでこうも連続して起こるものであろうか。特に燃料切れについて、関係者は口裏を合わせたように『こちらはリッターでやっているが米軍はガロンで測るので積み込む燃料の量に行き違いがあった』という。そんな程度の意思疎通のミスで増設槽が空で飛ぶとも思えない。
 しかも、その整備兵の名前は正規の軍籍には無く、その後の消息が全く不明なのだ。名乗りは偽名だったのである。そこから推論するに、降伏文書を日本に持ち帰らせたくないさる筋が妨害工作を仕掛けたのではないだろうか。緑十字飛行に関わった海軍の一部が工作し、命を賭しての飛行だった可能性はある。
 冒頭の話に戻る。樋口中将率いる北部軍は樺太・千島を南下するソ連軍と対峙し、大陸には殺気立った部隊が健在。無論邦人の帰還は未だであり、南方での戦闘も燻っていた。
 厚木航空隊の小園大佐は、マラリアの発作を発症した際にモルヒネを打たれそのまま海軍病院に幽閉され部隊は鎮圧された。尚、小園大佐は斜銃搭載夜間迎撃機「月光」の発案者である。
 海軍軍令部の富岡少将は密かに土肥中佐を平泉澄の元に遣わし、国体の護持を三種の神器と皇統の継承であると確認すると、343空の源田司令に九州某所に宮様を動座する工作を始めた。富岡少将はミズーリ艦上での調印に海軍代表として参加している。土肥少佐はその後台湾海軍の創設に深く関わった。
 以上は史実である。
 その後の政治的推移は読者ご案内の通りだが、水面下ではコミンテルンの介入並びに大陸・半島のスパイ活動は激しく、片やアメリカの治安機関の陰謀とそれにスリ寄る日本人、あるいは中野学校関係者による長期に渡る地下工作といった裏の戦いは続き、今も継続されているとしか思えない。
 そのうち抗戦派の流れは民間に継承され、今日なお健在である。皇軍は未だに地下にあり、しばしば姿を現す。SECRET・MACHINATIONS・CONSPIRACYとして。SMCのことである。

「ソナー・メンバーズ・クラブのHPは ソナー・メンバーズ・クラブ
をクリックして下さい。」

 

▲TOPへ戻る

厳選動画のご紹介

SMCはこれからの人達を応援します。
様々な才能を動画にアップするNEXTYLEと提携して紹介しています。

ライフLife Documentary_banner
加地卓
金巻芳俊